第4話「プリンセスの代償」
廊下を歩けば、
「死ねよ、ブス」
授業が終われば、
「失せろ、ブス」
体育の準備時間に着替えようとすれば、
『消えろ、ブス』
真っ赤なペンで彩られた珍しい文字の柄を見下ろし、朝から止まることのないため息をひとつ。あらあら、荒々しくて芸術的なフォントだこと。
暴言を吐かれるのは良い。海馬に保存しとかなければ……そもそも耳に入っても聞かなかったことにすれば何も言われてないのと同然だからだ。
でも、物を壊したり汚すのは良くない。親の金がかかってんだぞ、ただでさえクソ高え学費を負担してもらってんだぞ。おこだぞ。
まぁこれも、人気者の宿命――プリンセスの代償だとでも思っておこう。
「はぁ……母上になんて言おう…」
とりあえず、体育は「体操着が脱走しました」とか意味分からん言い訳で怒られて、見学することにして。
「母上!」
「なんだ、愚女」
「お小遣いください!」
家に帰ってすぐ、わたしは金髪ヤンキーの母上殿の前へ見事なまでのスライディング土下座を決めた。
我が家は父親不在のシングルマザー。亡くなった父が大切にしていた居酒屋を継いだ母上は一家の大黒柱でもあり、わたしの財布の紐を握る重要人物でもある。
ここでお金を引き出せなかったら、私は今後の学園生活、体育の際は下着で過ごすことになる。だからここは、なんとしてでもお小遣いをゲットからのゲーセン……じゃなくて、密かに新たな体操着を入手しなくてはならない。余ったお金は泣く泣く返金する思いである。
とにかく、お願いできた時点で第一関門突破。問題は、この後。
「……なんで?」
親として当然の疑問である。
厚かましい娘に対して怒りが湧くのも当たり前の反応で、ギラついた瞳に睨まれたわたしは、冷や汗を垂らしながら顔を上げた。
「え、えー……学業に専念するため、上等な万年筆の購入を検討しております」
「いいよ。どれ欲しいの?ネットで買える?」
「ね、ネットには販売していないものでして…」
「じゃあ今から一緒にお店行こう。いくらすんの?」
「わかんない」
「欲しいのに分からんないの?」
最初の方はまだ信じてくれていた母も、タジタジな私の様子に異変を感じ、次第に疑いを持ったようだ。眉間に濃くシワが寄る。
「華子」
「は、はい」
「正直に話してごらん。あたしは何があってもお前の味方だ」
しゃがみ込んで目線を合わせてくれた相手に、これ以上嘘はつけない。
勘のいい大人である母に汚された体操着を見せて事情を話すと、さすがの母も険しい表情をして、手に持った布を眺めていた。
「“消えろ、ブス”か……あたしの娘が可愛くないわけねえだろ。視力無いんか、こいつら」
「だよね!?わたしもそう思う」
「よし。これ書いたやつぶん殴ろう」
「それはお待ちくださいお母様!?」
この人なら本気でやりかねない。焦ったわたしが止めたら、仕方ない…と言った様子で意気揚々と上がっていた肩を下ろした。
大事にはしたくない。これきっかけで伊織さんに迷惑がかかったら困るし、なにより彼女の正体がどういう形でバレてしまうか分からないから、揉め事はできるだけ避けたかった。
伊織さんのことは伏せ、穏便に済ませたい気持ちを伝える。母は、納得したように「うん」と頷いた。
「自分で解決したいなら、自由にしな。でもほんとに困ったら……いや、困る前に大人を頼ること。分かった?」
「わかった!」
「これは一応、証拠としてお母さん預かっとくよ。新しいのも買おうね」
「ありがたきお言葉…」
基本的にいつもわたしのことを尊重してくれる母のことを考えたら、初めから嘘をつかずに言えばよかったと反省した。
無事に体操着を買ってもらい、翌日からは普段通り鋼のメンタルで過ごすようになったわたしだけど、
『器物破損は、犯罪です。物に罪はありません。わたしの物を傷付けたら、然るべき対応を取ります』
念のため、机や鞄に注意書きの張り紙をつけておいた。ビビってやめてくれたら万々歳。そうでなくても、こちらはもうすでに意思を明確に示している。何かあれば先生にこっそり伝えるつもりだ。
ただ……相手はバカ。話が通じないかな?と予想していた通り、翌日の朝には上履きの中にカッターの刃が敷き詰められていた。
でもまぁ、汚れてないだけまだマシ。中身を捨てれば履ける。母譲りの楽観視で気にも止めず一旦スルー。クラスメイト達も、わたしが何されてもスルーしてるから同類。類友ってやつか。いえい。
唯一、心配してくれてるのはクラスの違う親友だけだ。
真面目に聞かないと追いつけない授業を受けて、移動教室の前の隙間時間。
「話があるんだけど」
「わたしはないんだけど」
「いいから来い、ブス!」
もうすぐ授業が始まってしまうというのに、ひとりになったところを狙われて連行された。…今日は校舎裏か。
同性にされても嬉しくない壁ドンをしたモブ三姉妹のひとりが、憎たらしげに睨んできたのを見上げる。あーあ。同じ女でも、これが伊織さんだったら少しはテンション上がったかもしれないのに。
「お前、まじでふざけんなよ」
もはや口調に気を付ける余裕もないくらい憤ってるらしい彼女は、胸ぐらを掴んで顔を近付けた。
「なに?壁ドンの次はちゅーするつもり?やだよ、わたしファーストキスもまだなのに」
「そういう態度がムカつくんだよ!」
お決まりのビンタが頬を直撃。
煽るようなことをしたわたしも悪いけど、怒鳴られ叩かれる筋合いはない。
一発やられたし、これはもう喧嘩両成敗。
体に半分流れているヤンキー母の血が勇気の後押しをしてくれて、「よし、ぶん殴ろう!」と拳を握った。
だけど、わたしが自分の手を汚すことはなかった。
「何をしてるんだ、君たち」
ふたりの間に手を伸ばし、割って入った人物――伊織さんが守るように肩を抱いた。
「僕の華子さんに……ひどいことをするな」
初めて聞いたような、怒りの感情を露わにした低い声と言葉が耳に届くと、“イケメンに守られた”と認識した脳が心臓を高鳴らせた。
やば。かっこよ。
と、呑気に考えている間も、非常にまずい空気は流れ続けていた。
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