第4話









 私が、15歳になったばかりの頃だ。


『生まれたよ〜!赤ちゃん』


 姪っ子の、紡ちゃんが生まれたのは。


『そう。おめでとう』

『相変わらずクール!もっと喜んでよ〜』


 姉は私とは違って感情豊かな人で、そんな彼女から生まれてきた紡ちゃんもまた明るい良い子に育った。

 会えるのはたまに実家へ帰ってきた時くらいだったけど、会うたび成長していって人間らしくなっていくのが新鮮で、慣れない子供への対応は驚きと戸惑いの連続だった。

 正直な話、子供は意思疎通が難しいから苦手で、あまり好ましい接し方はできてなかったと思う。


『ほら、抱っこしてみて』

『……やだ』

『なんでよ〜』

『落としたらどうするの。責任取れない』

『大丈夫。お姉ちゃんそばで支えてるから。ね?』


 産まれたばかりの頃はよく、そんな風に抱っこさせてもらってた。

 小さな命は自分の腕の中に収めるには怖くて、人間の形をしているはずなのに別物みたいな感じがより心に恐怖を植え付けた。

 可愛くないわけじゃない。でも、愛情が湧くほどでもなかった。

 何年かして、会話ができるようになっても変わらずで、“姉の子供”くらいの認識しかなかったから特別可愛がった記憶もない。

 

『いつか、郁美の子供も見てみたいな』


 口癖のように会うと姉にそう言われてたけど、残念ながらその夢が叶うこともなく、叶える気も無く。


『……ごめん。俺、お前がなに考えてるか分かんない』


 高校生の頃に告白されたから付き合った彼と三ヶ月と経たず別れた辺りで、私の中から“結婚”という言葉は消え失せた。恋愛は面倒な上に、自分の生活に他人が入り込んでくる感覚が苦手だと、早い段階で気が付けて良かった。

 だからひとりでも生きていけるよう、資格の勉強や大学受験に力を入れ、頑張れば頑張るほど家族との関わりは希薄になっていった。

 早くに父が亡くなり、女手ひとつで私達を育ててくれた母親に迷惑をかけない一心でバイトもしていたから、忙しさにかまけて放置していたことを後悔することになる。

 母が亡くなったのは、大学三年の冬。

 死因はヒートショックによる心肺停止。第一発見者は私たった。

 もっと早く見つけていたら、助かっていたかもしれない。自己嫌悪と罪悪感で押し潰される日々を重ねた。


『大丈夫。郁美は悪くないよ』


 辛い時期に支えてくれた姉は、私の前では気丈に振る舞い続けていた。

 きっと影でたくさん悲しんで泣いていたんだろうけど、微塵も暗い気配は見せなかった。むしろ実家でひとり暮らしを始めた私を心配してか、何日も通って食事まで用意してくれていた。

 感謝という言葉では表せないほどの恩を返すため、紡ちゃんともちゃんと向き合って対話しようと、私の意識が明確に変わったのはその辺りからだ。

 小学生になっていた彼女は性格が姉そっくりで、嫌味なく誰とでも仲良くなれる子に育っていたようで、会えば学校の話を必死にしてきた。

 論理的じゃない、めちゃくちゃな感情論で話すことも多々あって、どう返していいか頭を悩ませていると決まって姉は困惑した私を見て楽しそうに、微笑ましく笑っていた。


『ごめん、彼の転勤があって……隣の県に引っ越すことになったの』


 少しずつ、距離を縮めていけると思っていたある日、姉から言いづらそうに伝えられた。


『何かあれば、頼ってね。お姉ちゃん飛んでくるから』

『……うん。大丈夫』


 迷惑だけはかけたくなくて、寂しい気持ちを押し込めて頷いた。

 そこからはひとり、大学卒業までは実家で暮らした。

 卒業して就職してからは、独り身にしては広すぎる家を姉の名義に変えて手放して、職場近くのマンションで本当の意味でのひとり暮らしを始めた。姉に渡したのは、そのうちまた地元に戻りたいという意図を汲んだ結果だった。

 戻ってきた時、私が住んでいたら邪魔になる……優しい姉はそう思わなくても、気を使って実家を諦めると考えたから。

 社会人になってからは仕事と家の往復。たまにどうしようもない孤独と将来への不安に襲われて、血迷って恋愛に走ることもあった。


『郁美のことは大好きだけど……俺、もう耐えられないよ』

『……どうして?』

『俺より、仕事が大事なんだろ。それに、一度も好きって言ってくれないじゃないか』


 好きじゃないのに、好きなんて言えない。


 ひどい言葉が声帯を揺らしそうになって、唇を紡いだ。

 何人か付き合ったうちの、最後の交際相手となった男性は、とても他人思いで優しい人だったと思う。日頃の行動や言動の端々から、大切にされているのもちゃんと伝わっていた。

 人としては、好きだった。尊敬もしてた。

 セックスも別に、嫌ではなかった。積極的にするようなことはなかったけど、望まれれば応じられるくらいには好意的ではあった。

 ただ、根本的に私は“恋愛感情”というものが備わっていない人間だったらしい。


『ほら。こんな時でさえ、好きって言ってくれない』

『……ごめんなさい』

『もういいよ。好きじゃないなら、別れよう』

『うん』


 本心では引き止めてほしかったのか、彼は泣きそうな引きつった顔で私の前から去っていった。

 早々にふっ切れて、独身を謳歌しようと決意した私とは正反対に、過去の恋愛を引きずった彼から未だに連絡が入る。内容はくだらない雑談だったり、こちらの様子を窺うもので、最初は返していたけど途中からは無視している。

 仕事で忙しいのも理由のひとつだったけど、今は違う。


「郁美さん……今日も、一緒に」

「……うん」


 姉が亡くなってから家に来た、紡ちゃんの存在が大きい。

 今まで姉が私にしてくれた分のお返しを、彼女にしようと受け入れた瞬間から覚悟を決めていた。

 そうでなくても、大切な家族を失う辛さは痛いほどに分かる。

 元から恋愛なんて向いてない自分だ、今さら結婚しようとも思ってない。そんな私だから、彼女が家に居てくれる方が、むしろ好都合だったりする。恋愛を避ける言い訳と、果てしなく続く孤独から逃げられるから。

 少しの打算と、同情。そして姉への恩返しのつもりで、紡ちゃんを引き取ることにした私の運命は、予期しない形で変わることになる。

 良い意味でも、悪い意味でも。

 





 

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