第3話








『私の部屋に来て』


 眠れない夜に、ふと。彼女の言葉を思い出した。

 時計の針は午前1時を指している。さすがにもう寝ちゃってるよね、とその日は断念。


「今日、一緒に寝てもいいですか…?」


 翌日になって、夕食時にお願いしてみた。

 あれから、郁美さんはなるべくふたりで食事をしようと気にかけてくれているのか、夜には帰ってきて健康的な料理を振る舞ってくれる。だから食卓を囲むのもこれで三回目。帰りが遅くなる時は、テーブルにお金を置いていく。

 相変わらず会話は少なく、話す内容はストレス経験のための豆知識や随分と遠回りをする心配の言葉で、少しずつではあるものの心を開いていたから頼んでみたら、


「……許可を取らなくても、いつでも来ていい」


 冷たい声とは裏腹に、優しい返事を貰えた。

 

「じゃあ……お言葉に甘えて」

「うん」


 どこまで許されるのかまだ探り探りで、多少の遠慮はしつつ甘えてみることにした。

 本当に良いのか迷いながらもご飯とお風呂を終えて、郁美さんの部屋の扉をノックする。


「……入って」


 彼女も寝る前だったみたいで、黒地のパジャマに身を包んでいた。

 招かれた寝室に入ると、中はひとりで使うには大きなベッドとサイドテーブルだけがあって、シンプルで柄のない白い羽毛布団が逆に印象的だった。

 枕を背もたれにして座った郁美さんの隣へ、おずおずと入り込む。

 彼女はリモコンを操作して、何やら壁に映像を流し始めた。映像の光と音はどこから来ているのか、よく分からないまま始まった焚き火の風景を眺める。なんで焚き火…?


「焚き火にはリラックス効果があって、入眠にとても良いの」


 あぁ……これも私のためか、と。

 隣でつらつら説明し始めた郁美さんに対して、微笑ましく思って苦笑する。


「いつもは、何を見てるんですか?」


 私も私で遠回しに「気にせずいつも通り過ごして」という意味合いを込めて聞いたら、数秒黙って悩んだ後で、リモコンをポチポチした。

 次に流れたのは“宇宙の神秘”みたいなタイトルの、ダンディな声が天文学なんかを噛み砕いて解説してくれるもので、ある意味で解釈一致だった。こういうの好きそうだもんね。

 眠れない時にはよく見ているそうで、小難しい話を聞いているうちに気が付いたら眠っているんだとか。


「起きたら忘れてるから、何回も同じの見てる」

「ふふ。あるあるですね」


 人間味を感じて、親近感を覚える。完璧そうで完璧じゃないのが、どうしてか落ち着いた。

 意外にも先に眠ったのは郁美さんで、こっくりと項垂れる姿を見て、「横になりませんか」と声をかけた。

 仰向けで枕に頭を預けたら彼女はあっという間に眠りに落ちて、その横でひとり壁を埋める夜空の光景を視界にぼんやり過ごす。


『太陽光が地球に届くまでにかかる時間は…』


 良い声だ。

 低く、穏やかな口調が響き渡る室内で、まるで授業でも受けてるみたいな気分に陥って、脳が退屈になってきた。

 これは確かに、よく寝れそう。

 誘われた眠気に身を委ねて目を閉じたら、タイミング悪くもぞもぞ動く布擦れの音が耳に届いて、少し重い瞼を上げた。

 見てみれば、私の方を向く体勢で寝返りを打ち、布団を抱き締めるようにして眠る郁美さんの目尻からひと粒の涙が垂れて、白い枕シーツを濡らしていた。


「お姉ちゃん…」


 この人も泣くことがあるんだ、と驚いた私は、次に呟かれた言葉にさらなる衝撃を受けた。

 悲しみに暮れていたのは自分だけじゃなかったんだ。そんな当たり前な事実を今さら知って、心を揺すぶられる。


「そっか……つらいよね」


 あまりに早かったふたりの死は、彼女の胸にも大きなダメージを与えていたらしい。

 夢の中でも追い求めて泣くほど、失った現実を受け入れきれていないのは私も同じで、深く共感して同情もした。何食わぬ顔をしていたのもただ隠していただけで、毎晩のように泣いてたのかな。

 それなのに私には微塵も感じさせないよう凛として、仕事も休まずにいる郁美さんの強さと不器用な優しさに、つられて涙を流した。 

 自然と伸びた手が、黒く艷やかな髪を触る。

 こうして体温を感じられる事がどれほど大切で嬉しいことか、痛感している私は同じ気持ちを共有できる唯一の相手に縋った。

 低い温度の手を包み、祈るように背中を丸める。

 泣き疲れた私が翌朝目覚めると、郁美さんはもう仕事へ出かけていて居なかった。


「……今日も、いいですか」


 夜になってまたお願いすると、


「うん」


 変わらず無表情のまま、小さく頷いてくれた。




 

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