第2話










 ノリで始まった勝負とやらの期限は、夏休み終わりまでになった。

 今は5月に入ったばっかりだから……大体、4ヶ月ないくらい。

 その間に杏柚は私のことを口説いてくるみたいで、私は杏柚からの口説きをスルーして逃げ切れれば、訳分かんない交際関係から抜け出してまた友達に戻れる。

 とはいえ、三年間も友人で居続けてるんだから今さら…ましてや同性同士でそんな都合よく恋に落ちるなんてことあるはずもなくて、だから圧倒的に不利なのは杏柚なんだけど……


「おーはよ、美栗」

「おはよ」

「今日さ、お昼…購買?」

「うん、いつも通り買う予定だよ。なんで?」

「それならよかった」


 翌日の朝、普段と変わらない気さくな笑顔で話しかけてきた杏柚は、笑みを深めて鞄から何かを取り出した。


「愛妻弁当、作ってきた。一緒に食べよ?」


 見るからにお弁当だと分かる形状のそれを包んだ布を片手に、彼女は可愛らしく小首を傾げる。

 どうやら本気で私を口説き落とそうとしてるつもりらしい杏柚に驚く前に、


「…料理、できないのに……作ってきてくれたの?」


 水仕事の手荒れなんて縁がなさそうな、綺麗にケアされた指達に絆創膏がいくつも貼られていることに気が付いて、言葉を失う気分で手を伸ばした。


「なんでそこまでして…」

「だって胃袋掴んだ方が早いって言うじゃん」

「そんなことのために?」


 手首を掴んで、とりあえずお弁当はテーブルに置かせて…貼られた絆創膏を見てみれば、痛々しいくらいに血が滲んでいた。

 さっそく、バカげた勝負に乗ったことを後悔する。

 大親友で大切な杏柚に怪我をさせるくらいならこんなことすぐにでも中止にしようと顔を上げて口を開いたけど、不機嫌な目を向けられていることに気が付いて唇を閉じた。


「そんなことって、言わないで。こう見えても真面目に口説こうとしてるんだから」


 無自覚の発言で傷付けていた事にも気が付いて、さらに何も言えなくなって喉の奥が絞まった。

 …暇潰しのわりに、本気すぎない?

 やたら真剣な眼差しの杏柚に戸惑って、今ここで「昨日のナシ」なんて言えるほど私のメンタルは強くなかった。…また、傷付けちゃうかも。


「ありがと…お昼、楽しみにしてる」


 好意を無下にもできなくてお礼を伝えたら、彼女は満足げに瞳に喜びを宿して頷いた。


「楽しみにしてて。美栗の好きなものいっぱい作ってきたから」

「えー、何が入ってんだろ」

「それは見てからのお楽しみ」


 私よりも楽しみな気持ちで溢れた笑顔を見せたあとで、お弁当を鞄にしまう前に、


「なに杏柚、弁当作ってきたの?珍しい…」


 友人である柊茜音ひいらぎ あかねに捕まっていた。


「うん、珍しいでしょ。美栗のために頑張っちゃった」

「相変わらず仲いいねぇ、そろそろ付き合った?」

「何言ってんの、付き合うわけ…」

「付き合ったよ!」

「は…?」


 あっさりと暴露しちゃった杏柚に、焦り通り越して変な汗が背中に流れた。

 え、公言したら…この先、別れにくくなるじゃん。

 てっきりあれはふたりの間だけのおふざけで、だから周りの人には暗黙の了解で隠しとくもんだと思ってたんだけど……違ったの?

 どうすんの、夏には別れるの確定してんのに。

 なに考えて……


「もう私の美栗だから。取らないでね」

「やっばぁ…独占欲強すぎ。メンヘラ?」

「恋したらみんなメンヘラになるもんじゃないの?」

「ならないから。ウケる」


 会話の内容から、ただ単に“恋はそういうもの”って認識だから突き進んでるだけなのかなと単純な杏柚の思考回路を推測づけた。

 けっこう…いやかなりミーハーなとこあるもんね。

 それにしても、周りにこれ以上広められると困るな…茜音はまだ理解ある方だからいいけど、みんながみんな同性愛に寛容なわけでもないから。

 …お昼に、ちゃんとそこら辺のすり合わせはしとこ。

 私が心の中で冷静に今後のことを考えてる間にも二人の会話は進んで、


「お昼、わたしも一緒にいい?」

「もち!いいよー」

「え」


 さっそくふたりきりで話せる時間が無くなりそうなことに焦ってつい反応してしまった。


「なに、美栗」

「あ……いや、なんでもない」


 お昼じゃなくても放課後でいっか、なんて早々に諦めた私を見て、なぜか杏柚は目を細めてニマニマ笑う。


「もしかして…私とふたりきりがよかった?」


 困ったことにある意味、図星で…咄嗟に言葉も出てこなくて口を噤んだ。


「しょーがないな。いいよ?…ってことだから、ごめん茜音。今日はむり」

「おっけ〜、ふたりで楽しんで。カップルの邪魔してごめんね?」

「いや、違うから。そういうんじゃない…」

「いいっていいって。付き合いたてはイチャイチャしたいもんね」

「まじで違う…」


 なにやら盛大な勘違いをされて、否定しても無駄だったことはすぐに悟った。…はぁ、困るんだけどほんと。

 これ以上、心労を増やさないためにも杏柚にはちゃんと口止めしておかないと。今は浮かれてるからいいかもだけど、そのうち飽きた頃に首を絞められるのは自分たちだもんね。


 改めて心に決めて、その日のお昼時。


「付き合ってることさ…周りには秘密にしない?」


 あくまでも提案の形で、話を切り出した。


 杏柚の言葉を待ってる間に作ってくれたお弁当の蓋を開いて、中身の彩りの綺麗さと…ところどころ崩れた形のおかず達に努力を感じて、嬉しくなるのと同じくらい胸を痛めた。

 手頃な存在だから、私と恋したいのかもしれないけど…多分、こんな事するよりも男と付き合った方が早いのに。

 私はあくまでも友達が良くて、恋人としての期待には何一つ応えられないのに。


「やっぱりさ…」

「別れるのはナシだよ」


 秘密にしようって提案には答えなかったくせに、次に出てきた私の言葉は言う前に遮られる。


「そんなに嫌なら秘密にするから。だから別れるなんて絶対やだ」

「嫌とかじゃ……ただ、こんなのおかしいじゃん」

「おかしくてもいいの。私は恋がしたいの」


 作ってきたのは私の分だけだったみたいで、購買のメロンパンを頬張りながら杏柚はフンと顔を逸らした。

 …やっぱりレズなのかな。

 あくまでも男じゃなくて、女の私と恋をすることを目標にしてる姿を見て、疑念は確信へと変わる。そうでもなければ、こんなくだらない事に必死になるわけない。

 だったらまじで、本気で口説いてきてる…?


「てか、私の作ったお弁当どう?」

「あ……ごめん、今食べるね」


 意識を現実へと引き戻して、少し焦げた卵焼きを箸でつまむ。

 口に運ぶ間、杏柚はワクワクの中に僅かな不安を宿らせて、私が食べるのを心待ちに眺めていた。


「ん…甘い」

「美栗、甘い卵焼きのが好きでしょ?」

「うん。めっちゃうまい」

「よかった!」


 そう言って笑った顔が、本当に嬉しそうで。

 もし仮に…本当の意味での恋人になる事を望んでそうしてるなら、その期待が私にとっては荷が重くて心まで重たく沈んだ。

 …私のことを本気で好きってわけじゃないと思うけど、レズだったとしたら他の相手を見つけてほしい。

 だって私は…友達が良いから。


 杏柚とは、付き合えない。


 すでに交際してる相手に対してこんなこと思うのもどうかしてると思うけど、ノリじゃないなら余計に…なんとしてでも夏の終わりまでに諦めてもらわないと。


「あんま、真に受けないでね」


 暗く沈んだ私に気が付いて、杏柚がいつもの調子でニッコリ笑った。


「全力で恋してみたくなっただけだから」


 腑に落ちる。

 彼女は私じゃなくて、恋に恋をしてるだけの…これはやっぱりただのノリでしかないんだと。

 安心した気持ちに包まれた。


「せっかくだから勝ちたいし、本気で行くから覚悟して?」

「はいはい、せいぜい頑張って」

「ふふん、油断してられるのも今のうちだよ。私のこの魅力ですぐ悩殺しちゃうんだから」


 得意げに胸を張った姿を、さっきよりは軽い心情で眺めて苦笑した。

 恋に落ちることはないけど……彼女がそういう意味で本気なら、私も全力で遊ばないと損かな。一方的に良いようにされるなんて癪だし。


「私も負けないよ。杏柚になんて絶対惚れないから」


 冗談めかして笑いかけたら、


「……うん、知ってる」


 やっぱり相手も冗談程度にしか思ってなかったのか、眉を下げた困った笑顔を向けられた。



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