第51話

第五十一話








 私の唇に夢中でキスを落とす御堂さんは、別人みたいだった。


 理由はいくつかあって、いつもどこか飄々としていて落ち着きのある彼女が、あんなにも余裕ない表情をすることなんてはじめて見たことと、


 ――きれい。


 たまに光る、長いまつげの向こう側にある瞳が、空みたいに透明感のある青緑色だったから。


 金髪も相まって、どこかの国のお姫様みたいで、胸が高鳴った。


 近付けば近付くほど、陶器のような白い肌の美しさや絹のように光沢のあるサラサラな髪が、現実味を失わせる。まるで夢みたいに、遠く感じる。


 確かなのは握った手の感触だけで、御堂さんの存在を離したくない身勝手な欲が、指に力を込めさせた。


 与えられた感覚に心臓が止まらないよう耐えるのに必死で、途中まではあまり覚えてない。


 我に返ったのは、整えられた爪先がツー…っと脇腹をなぞり落ちて、布と肌の間に入っていく様をのぼせた頭で眺めていた時で、


「っ〜……や!」


 嫌というよりは、この先に進んだらどうなっちゃうんだろうっていう未知への恐怖から、御堂さんを拒んだ。


 史恵さんの寝室へ逃げてからは、襲われない安心と疲れもあって熟睡。何があったのか聞かないでくれる優しさが、この時ばかりは本当にありがたかった。


「お、おはよ」


 翌朝、起きてきた御堂さんの瞳はいつもの琥珀色で、気まずさを貼り付けた顔でそれでも声をかけてくれた。


「あー……昨日、ごめんね。友達とのお泊まりで、ちょっとテンション上がっちゃったっていうか」


 あ、なるほど。そういうことか。


 ……って、なるか。納得できるわけがない。


 じゃあ、あれですか?あなたは私じゃなくても、友達と寝泊まりしたらあんな風にでろんでろんに溶けるみたいなキスかまして、おまけに人の■首いじった挙句、服の中に手を突っ込む暴挙をやらかすんですか?誰が相手でも?


 そんなの、許せないに決まってる。


 いくら自分の思いを言葉にするのが苦手な私でも、ここはドンと構えて言ってやる。あんなのはだめだって。


 言う。


 言うぞ。


 言うんだ。


「い……いい、ヨ」


 言えなかった。


「ほんと!?」

「ウン。キニシテナイ…ヨ」

「よかった〜」


 いや、良くない!良くないよ。何やってんだ、私!


 強気に出るはずだったのに、なぜ!?どうした私の口!?機能してるか!?おい!史恵さんのご飯を美味しく食べるためだけに存在してるんじゃないぞ!?職務怠慢だぞ!お前はいつから口先だけの政治家の如く成り下がってしまったんだ、口よ!


 く、くそぅ……せ、せめて、やんわり。言い方を工夫すれば、言えるかもしれないから、もう一回だけ挑戦してみよう。


「ぁ……で、でも、御堂さん」

「うん。なに?」

「っえと、その」


 だめだって、言う。


 勇気を出すため、服の裾を掴んだ。


 瞼も固く閉じて、頭の中に言いたいことを強く思い浮かべる。


 あんなこと、“しちゃだめ”。相手が誰でも、良くない。“私以外の人相手に”したら、もっと良くないよ。


 って、言う。


 言え、私…!


「わ、私以外にしちゃ、だめ」


 精一杯に絞り出した声は、御堂さんにどう届いたのか。


「え。かわいい。やば」


 顔を上げて見てみると、どうしてか感激していた。


 口元と共に興奮を隠そうと試みた御堂さんは見事に失敗していて、溢れんばかりの笑顔で無遠慮に人を抱き締めてくる。


「かわいいんだから、もう。葉山以外にはしないね」


 服越しに伝わる意外とボリュームのある肉に潰されながら、自分が犯した間違いに気が付いた。


「あ……あ、ち、ちが、ちがう。あの」

「大丈夫だって。他にやるような相手もいないし」


 違う。違うんです、御堂さん。


 混乱して、浮かんでいた文字がごっちゃになった結果、奇跡的に誤解を生む文字の羅列が完成しただけで、私が伝えたかった真意は宙ぶらりんのまま。


 もみくちゃに撫でられて、訂正するどころじゃない。


 そしてなぜ、あなたはそんなにも嬉しそうなんだ。


「仲直りのちゅーする?していい?」

「っや……け、喧嘩、してない」

「そっかー……じゃあ、ぎゅーしていい?」

「もう、してる…」

「はぁ〜。ほんとかわいい。まじ好き」


 全力で愛でられ、されるがままな私の脳裏には、何度目になるか分からないとある疑問が再浮上していた。


 御堂さん、ほんとにレズじゃないんですよね?


 しかし、私だって何度も疑いたくて疑ってるわけじゃない。仮にそうだとしても、友達で居続けるつもりだ。ただ、気持ちには応えられないってだけで。


 一度、はっきりさせよう。


 解消されては浮かび上がるたび、ネットを頼って調べ尽くしてきた私が出した結論は――御堂さんは、レズであってレズではない。


 どういうことか説明しよう。…スチャリ。


 世の中にはファッションレズというものが存在して、御堂さんはおそらくその部類に該当するんじゃないかと憶測を立てている。


 定義は様々あるが、一番は“距離感の近さ”だ。


 ファションレズの特徴として、本人は一切その気がないのに周りにはレズだと勘違いさせるような行動ばかりを繰り返すというものがある。まさに、今の御堂さんのように。


 むしろ本当のレズは周りに勘付かれないよう同性との距離感には敏感で、普通を演じ、擬態する事の方が多いんだとか。※葉山調べ。


 やたらめったらベタベタしてくるから、「もしかして…?」と期待してしまい、がっつりノンケ。なんなら男好きでしたーと蓋を開けてから知り落ち込むレズも少なくないとネットで見た。


 距離感が異常に近いバグ女を信用してはいけない。これレズ界の常識。※葉山個人の見解です。


 つまり、御堂さんはファションレズ。


 よって、レズではない。


「かいけつ」

「……ぞ■り?」


 完璧なまでの名探偵を済ませたところで、問題は山積みである。進路の件で親から逃げたままここに居続けても仕方ない。


 ただ、昨晩起きた“やましいかやましくないかで言ったらギリやましいを超えてやらしい事件”のおかげで気が散って、悶々と思い悩む暇もなかったからか謎に冷静になれている。


 ダメージも最小限で済んだ気がするし、御堂さん様々である。


 でもまだ、家に帰るつもりは、ない。

 






 




 

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