第52話









 葉山は少しずつ、前に進もうとしている。


 今は縁側でぽかぽか当たる春の陽光を猫のたまとふたりで気ままに呑気に日向ぼっこしてるけど、あれでも親とぶつかり合ってきた猛者でもある。


 多分、明日には進路についての問題も解決してるかもしれない。本人はずっとここで逃げ隠れているつもりはないようだし。


 あたしも、見習わなくちゃいけない。


 小柄な体で勇敢な彼女に感化されて行動に移そうとしたものの、


「み、御堂さん。どこに」

「ん?自分の家帰ろうかな〜って」

「え」

「え?」


 靴を履こうとした玄関先で捕まって、正直に話したら葉山の瞳に光が宿った。……うわ。嫌な予感。


「御堂さんの、おうち…」

「絶対、やだ」

「まだ何も言ってない…」


 お願いされちゃったら可愛さに根負けして頷いちゃいそうだったから、そうならないよう事前に阻止した。


 葉山は見るからにしょぼんとして肩を落としてたけど、親のいる家に連れて行くとか本気で無理。死んだ方がマシ。


 掃除は週に一度、通院の付き添いで帰ったついでにしてるから人を招いても問題はない清潔さを維持してる。けど、問題はそこじゃない。


 明らかに、誰が見ても病的な母とばったり遭遇してしまった暁には、あたしだけじゃなく葉山にまで危害が及ぶかもしれない。連れて行きたくない理由はそこに全て詰まっていると言っても過言じゃない。


「御堂さんの、おうち…」

「だめ。そんなかわいい顔してもだめだから」

「おうち…」

「しつこい。怒るよ」

「……史恵さん」

「ばぁばに言ってもだめだから」


 珍しく諦めの悪い葉山を引きずって縁側まで戻る。まったく。おかげで家に帰るタイミング失っちゃった。


 帰らずに済んだことを喜ぶ自分には気が付かないフリをして、祖母が運んでくれた季節の果物を食べさせることでこういう時ばかりよく喋る口を塞いだ。


 もぐもぐ咀嚼しながらも隙を伺っていた葉山も、食べ終えたら眠くなったのか座布団を敷いてその上で丸くなる。相変わらず本能に忠実でかわいい。


「あ……あ。そ、そうだ」


 だけど何かを思い出したらしく、すぐむくりと起き上がってこちらを向いた。そして、まっすぐ伸ばした人差し指で控えめに指してくる。


「御堂さん、昨日……カラコンのまま寝てた」

「あー…」


 そういえば、誤解させたままだった。


 あたしも思い出して、どう言い訳しようか頭を悩ませる。


「目、悪くなるよ。よくないよ」

「……はは。そうだよね〜。次から気を付ける」

「うんうん」


 口下手な印象のある葉山だけど、なんだかんだ人を心配して注意する時は物事をはっきり伝えてくれる。


 不器用な優しさに意識が向くと、途端に胸が苦しくなる。彼女の心は綺麗で、だからこそ比例して嘘で塗り固めた自分の醜さがより酷いものに感じられるからだ。


「でも、似合ってた……ヨ」


 自己嫌悪で沈む心を掬い上げたのはたどたどしい褒め言葉で、光さす方に自然と視線は動く。


「宝石みたいで、きれいだった」


 彼女はどれだけ、あたしの心を救えば気が済むんだろう。


 要所要所で散りばめられた素直さが、的確に奥底で眠る自尊心を目覚めさせて、泣きたいくらいの温かさが溢れる。


 気持ち悪いとは正反対の感想を貰えたのは初めてのことで、信じられない疑心と信じたい期待に挟まれては揺れ動いた。


「……ほんとにそれ、思ってる?」


 怖い聞き方をしたと、自分で分かる。


 笑顔もなく、抑揚もない。相手への気遣いを排除して疑うだけの暗い声色の質問に、葉山は臆するどころか照れ笑った。


「うん」


 迷いのない答えを貰えて、期待に天秤が傾いた。


 この子なら、信じてもいいかなって。


「あのね、葉山」

「?」

「実は…」


 この瞳が本物だと、嘘偽りなく伝えるため口を開いたタイミングで、ふと。


 汗で滲んだシャツの薄さが目に止まった。


 今はそんなのどうでもいい。それより早く打ち明けたいと気持ちは焦るのに、一度意識してしまったら気になって仕方がない。


「さっきから、透けてるけど……下着つけてないの?」


 肌に張り付いた生地が本来の目的を果たさず、隠しきれていない大事な箇所をツンと指でつつく。


 触れた瞬間、ぽかんとしていた葉山の顔がみるみる赤く染まっていって、胸元を腕で覆いつつペチンと手の甲を叩き落とされた。


「いたた。……てか、昨日もその状態だったよね。なんで?」

「っ…!っ!」


 声にならない声で何かを訴えてきたものの、一切分からなくて首をひねる。


「言わなきゃわかんないよ」 


 顔や肩をペチペチと叩いてくる手を止めるため細い手首を掴んで、さっきまでのおしゃべりはどこへやら。声が出せなくなってしまった葉山にため息を返す。


 彼女は言いたいことがありすぎたり、恥ずかしいが行きすぎると無言になるってことを、心のメモに刻んでおくいい機会になった。


「ほーら。葉山。ちゃんと言って?」


 前向きに捉えることでイライラを防いで、余裕ある対応で再度聞いたら、


「っ……も、持ってきてない…から!」


 至極当然の事実を告げられて、即納得した。


「あ〜!だからノーブ」

「や!い、いうな」

「ごめんごめん」


 葉山にしては強い口調で怒られたから、口を閉じる。


「ん?でも…」


 だけどすぐ、あることに気が付いてまた開いた。


「ってことは……下も履いてないの?」


 動きにつられてあたしが指さした先――自分の下腹部辺りを見下ろした葉山は、言われたことを理解するまで数秒。じっと固まる。


 次に顔を上げた時には見たことないくらい真っ赤な肌をして、若干の恨みを込めて睨んできた。


 口で説明されずとも目が全てを語っていたせいで察してしまったあたしは、さらに興味を惹かれ、好奇心に負け、


「え。見せて」


 身を乗り出したら頬に手形と、腕に噛み跡をひとつ作って、終わった。 


「こんなに怯えて……何したの、せりちゃん」

「はは。…セクハラ?」

「あっち行け…」

「まーじでごめん。ごめんなさい」






 


 

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