第31話










 内部では、抗争が起きていた。


『そろそろ許してあげようよ。可哀想だよ』


 と言ってくる私と、


『あんなやつもうほっとけ。またひどい目に遭うよ』


 と囁いてくる私。


 声が大きいのは、今のところ後者だ。


 だから御堂さんが追いかけてまで謝りに来た時も、期待はしてなかった。むしろ、どうやって距離を取ろうか頭を抱えたくなったくらいだ。


 とりあえず人目を避けて階段の踊り場へ移動して、そこからは何度目か分からない謝罪の言葉を受け止めるでもなく聞き流した。


「ほんとにごめん。あたし、葉山の気持ちなんにも考えてなくて…」


 言いたいことはなだれ込む雪よりも大量にあって、だけどどれひとつとして表に出てきてはくれない。


 傷付きすぎた心が、話し合いを遠ざけてしまう。


「何か言ってよ、葉山」


 黙るばかりの私にしびれを切らしたのか、苛立ちを乗せた声で詰め寄られた。


『もう、関わらないで』


 掴まれた手を振りほどいて拒絶できたら、どんなに楽なんだろう。


 不満が溜まれば溜まるほど、喉がきつく出口を塞いで、脳内はどす黒い文字列で満たされていく。血液までも流れを悪くしたみたいに、全身の体温が下がる。


 それなのに頭は沸騰したように熱くて、自分の体内の温度差で体調を崩しそうだ。


「葉山」


 うるさい。


 名前を呼ばれて、琥珀色の虹彩に自分が映った瞬間、何かが弾けた。


 彼女の視界に入っているはずなのに、自分を見られていない気がして、どうにもならない孤独感が暴れだす。


「っ……」


 ふざけんな。


 ふざけるなよ。


 私を選ばなかったくせに。


 どうせまたお前は他の人を優先するのに。今さら仲直り?笑わせんな。


 私は都合のいい存在じゃない。


 ここで許したら、今度は「こいつは何しても許してくれる」とかナメられてもっと扱いが雑になるのは分かりきってる。お前ら一軍女子なんて所詮、性格悪いやつばっかなんだから。


 誰が仲直りなんてするか。私みたいな陰キャは使い潰されて捨てられて終わりなのに。


 自分で自分のことを馬鹿にして、悲しくなって泣けてきた。


 なにひとつ声帯を震わしてくれないもどかしさも相まって、感情の排出を促すようにとめどなく溢れてくる涙を止める術を自分では知らない。


「は、葉山?泣かないで……ごめん。泣くほどつらかったよね」


 違う。


 本当はつらいのも、嫌いなのも、ひどいことをしてきた御堂さんに対してじゃない。好き勝手に利用されても反論ひとつできない、情けない自分に対してだ。


 雑な扱いをされても嫌いになりきれない、自分の弱さが憎い。


 今は触れられるのさえ嫌で、伸ばされた手は声の代わりに手の甲で弾くことで拒否を示した。


 弾かれた手を包んだ御堂さんの、驚きと傷心が混ざった眼差しが刺さる。傷付いた顔をされても、慰める気にもなれなかった。


「ごめん。葉山…」


 謝られれば謝られるほど、自分も相手も許せなくなる。


 そんなこと言って、また裏切るくせに。何かあったら他の人のところに行っちゃうくせに。私のことなんて後回しなのに。ほんとはどうだっていいくせに。


 みんなそうだ。


 今まで出会ってきた人間全員、そうだった。


 どうせ私は誰からも好かれない。求められない。愛されない。


「っう、ぅ〜……」


 御堂さんには、彼女にだけは、好かれたかったのに。

 

 諦念して手放していたはずの強烈な欲の塊が、この出来事をきっかけに蘇ろうとしていた。


 とっくの昔に、持っていると苦しいだけだと心の奥底に閉じ込めていたはずが、こうも簡単に湧き上がる。枯渇するだけだと警鐘を鳴らしても意味がないほどに膨れ上がる。


 こんなにも抉られる痛みを覚えたのは、それだけ期待してたからだ。


 御堂さんなら私を見てくれると思ってたし、御堂さんには見てほしかった。誰よりも、その視界に映ってたかった。


 なのに――


「っ……ぅ、うう」


 もう、これ以上はしんどい。


「な……なか」


 重い唇を持ち上げて、締まる喉を半ば無理やりに開く。


「仲直り、しない…」


 スカートを握る手に汗が滲む。


 必死に吐き出した精一杯の抵抗に、御堂さんは言葉を失っていた。


 琥珀の瞳に涙が溜まっていくのが、視界の端で光った。


「や、やだ」


 私の勇気も虚しく、関わりたくない意思を汲み取ってはもらえなかった。


「なんで?そんなに……仲直りしたくないくらいあたしのこと嫌いになったってこと?」

「ち、ちが……し、したくない」

「だから、なんでしたくないの?教えて、葉山」


 理由はたくさんある。脳内の情報があまりに多すぎて、体がついていかない。喋ろうとすると何から伝えればいいか迷って口が動いてくれない。


 知りたいことを教えてもらえない歯がゆさからか、御堂さんの足先が落ち着きなく床を叩く。


「ちゃんと言ってよ!じゃなきゃ分からないよ」


 彼女の言い分は、ごもっともだ。だけど、こちらにも“言いたくても声が出ない”という今すぐには解決できない事情がある。


「仲直りしようよ。あたしはしたいよ。葉山と仲良くしたい。葉山は違うの?もう仲良くしたくないの?」


 そういうわけじゃない。


 首を横に振ろうとして、やめる。否定する意思表示をしたら、「じゃあ仲直りしよう」と言われる未来が確定してしまうからだ。


 待っていても私が答えないと察したんだろう。それまではどこか遠慮がちで受け身だった御堂さんは、容赦なく言葉を紡ぎ合わせた。


「仲直りしないなんてやだ!何が不満なの?せめてそのくらい教えてよ。そしたら今度からしないから。直すから。だからお願い……葉山。あたし、なんでもするから」


 “なんでもする”――そう言って、約束を破った過去があるのに、よくまぁ悪びれもせず言えたもんだ。自分のしたことも忘れて。


 呑気な発言にも思えてしまって、冷めかけていた怒りが再熱する。


「ねぇ、葉山。ちゃんと話し合おう?あたし達、友達でしょ?」


 “友達”の二文字に、自分の中で落胆にも似た感情が弾けた。


 御堂さんにとっての“友達”と、私にとっての“友達”は、重さが違う。


 何人もいる中の私と、ひとりしかいない御堂さんでは、あまりにも違いすぎるのに。


 軽々しく言ってほしくなかった。ましてや、約束を破って平然としてた人が。ひとりより大勢を選んで切り捨てた人が。


「……じゃない」

「え?」

「友達じゃない」


 私が明確に伝えたのはそれだけで、御堂さんの隣をすり抜けて廊下を突き進んだ。


「待って、葉山!」


 後ろから追う声も、掴もうとしてくる手も振り落として、振り返ることもせず学校を飛び出す。途中で、御堂さんは追うのをやめたみたいだ。


 家に着くまで止まっていた涙は、自室に入った途端に滝のように流れ出た。


 枯れるまで泣き果てる私を慰めてくれる人は、誰もいない。


 誰も。







 

 

 

 

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