第10話










 葉山の元気がない。……ような気がする。


 心配だから話しかけに行きたいけど、こういう時に限って。


「芹那〜、聞いてよ〜」

「ん、なになに?どうしたの」

「彼氏と喧嘩した!」

「あちゃー……それは大変だったねぇ」


 朝は友達に泣きつかれ、話を聞いてたらあっという間に昼休み。


「よし。葉山…」

「御堂さん、お、お話が…!」

「あー……ちょっと待って。今忙しいかも」

「じゃあここで……好きです!俺と付き合ってください」

「えぇ…?」


 昼は男子に教室で告白され、冷やかしや野次馬を静めるための対処に追われていたら気が付けば放課後。


「あの、はや…」

「御堂ー、三者面談のことで話があるんだが。今いいか?」

「むりです!」

「……うん。ちょっと来い」

「やだ…!まじでむり!」

「先生もむり!いいから来い!」

「うぅ……はーい…」


 帰りは担任に連行され、


「お前のとこだけなんだ。その……親御さんの返事が貰えてないの」


 嫌な話になった。


 感情を隠すこともなく表情に出せば、担任も察してくれて言いづらそうにしたものの、最終的には腹を割って話そうと開き直ったんだと思う。


「お母さんが無理なら、おばあちゃんでもいいんだぞ」


 努めて優しく、気遣う提案をしてくれた。


 でも、そう簡単には頷けない。そうしたくない理由があるから。


 首を横に振って拒否の姿勢を見せたら、次に来る質問は「どうしてだ?」って。予想できるから先回りして答える。

 

「……ばぁば足腰悪いし、あんま負担かけたくない」

「じゃあ、お母さんにちゃんと…」

「言ってるから!…言った上で、来る気ないってだけで」

「あのなぁ、それじゃ先生困っちゃうんだよ」


 そんなこと言われても、あたしも困る。困ってる。


「とにかく、親御さんにもう一回伝えてみてくれないか?一応、先生からも電話するから。な?」

「……わかりました」

「まぁ、なんだ。その……色々大変だと思うけど、お母さんも、きっとお前のことが嫌いなわけじゃないと思うから。家族なんだから、仲良くな」

「……わかってます」


 何も知らないくせに、とか。そんな簡単な話じゃねえんだよ、とか。仲良くできるなら最初からやってる、とか。


 先生に悪態ついてもなんにもならないから、胸の内だけで留める。


 居心地の悪い職員室からはさっさと退散して教室、図書館と葉山の姿を探したけど、彼女はもう帰った後だった。…大丈夫かな。


 うまくいかない一日の鬱憤を溜め込みながら、帰り慣れた道とは逸れて、自分の家へと足取り重く向かった。


 到着したオートロック付きマンション前。無機質な建物を見上げて、ため息を落とす。見た目だけ綺麗で設備も備わってるこの場所より、古き良き祖母の平屋の方が何千倍も帰りたくなるのはなんでだろ。


 ロビーを抜け、エレベーターに乗り、廊下を進んで、カードをかざすと鍵が開く機械的な音が響いた。この音を聞くと、帰ってきた実感があって気が沈む。


「……ただいま」


 しんとした玄関からリビングへ移動すると、耳を塞ぎたくなるほどの大音量で洋楽が流れていた。


「おかえり〜!芹那!」


 赤いドレスに、艶のない黒髪を束ねた厚化粧の女が、上機嫌な様子で抱きついてくる。…今日は、“あたり”の日だ。


 細く骨ばった体を受け止めて、苦笑いを浮かべた。


「久しぶり、ママ。元気そうでよかった」

「うん!そうなの〜!今日はね、モデルの仕事が入って…」

「そうなんだ。よかったね」

「そうそう。で、なに?急に帰ってきて。どうしたの?」

「あー……」


 まずい、かも。


 内容的にやっぱ“はずれ”の日だったか……もしそうなら、ここで学校の話なんかしちゃったら大変なことになりそう。


 慎重に相手の顔色や機嫌を伺いつつ、どう切り出そうか詰まる。


「学校の、三者面談のことなんだけど…」

「?……なーに。それ」


 おどけたわけでもない、本当に“それが何か分からない”といった虚ろな瞳にあたしは映ってなくて、早々に断念した。


 言えるわけない、こんな状態の人に。


「ううん。なんでもないよ」

「そっかぁ。それよりね?芹那」

「うん。なに?」


 そこからは作り笑いで、大半は意味不明で意味のない雑談に付き合って、いつもの時間に薬を飲んだことだけ確認して家を出た。


 帰る先はもちろん、祖母の住む家。


 あたしの居場所はそこで、母のいるあのマンションは違う。


「ただいまー…!」

「……あぁ、おかえり。せりちゃん」


 引き戸を開けて香る和室の香り、覗くしわくちゃな顔、走ってくる小さな生き物。ここにある全てが癒やしで、心の支えになってくれる。


「ねぇ、ばぁば」

「うん。なんだい」

「学校の、三者面談があるんだけど…」


 結局、最後には祖母に頼んだ。


 なら最初からそうしろと担任には怒られるかもだけど、あたしにはあたしの事情があって、そうしたくなかった理由もある。


「うん。もちろん、いいよ」


 こうして快く了承してくれるからこそ、甘えすぎちゃいけない。あたしはあくまでも、母の子供だから。ばぁばの家の子じゃないから。


 労りたい気持ちもある。無理させて、体を壊したりでもしたら……って悪い想像すると、怖いし。


 それ以外にも、色々――未来のことを考えると、頭が痛い。


 複雑に混じり合った感情が時折、心臓をきつく締め上げてくる。


 息も、満足にできなくなるほど。

 






 

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