最終話 お兄ちゃんと呼びたかった。

 ベッドの上ですやすやと眠っている燐。発作を起こしたにしては安らかに眠っている。本当に良かった。その燐の頭を撫でた俺。


 すると猫が撫で声を出しながら俺の足に擦り寄ってくる。

「可愛いなぁ。よしよし」

 そうしたら俺の足元で眠り始めた。

「お前の名前を考えないとな」

 外ではパチパチと雨が打ち付けている。その音がどこか子守唄のように聞こえて睡魔を誘う。俺は床に頭を乗せて瞼を閉じた。


 雷鳴で目が開いた。起き上がると節々が痛い。やっぱり床で寝るもんじゃねえな。

 ベッドの上を見るとなぜか燐がいなかった。

 寝ぼけていた頭が一気に冷凍され冷たくなるように覚醒する。

 まだ雨は降っている。こんな状況でいったいどこに行ったんだ。


 俺はまず父親に連絡をかけた。

「ごめん。無駄話をしている時間はない。単刀直入に聞くけどそっちに燐が来ていないか?」

 このマンションから実家の家までおおよそ五キロ。一時間もあれば着くのだ。

 まあ道順を覚えていたらの話しだが。

「……どういうことだ? 斎木まさか燐が家出したんじゃないだろうな」

「まだその確証は得られていない。父さんがその反応ってことは来てないんだな?」

「ああ。来ていないよ」

「分かった。ありがとう」

 傘を持って俺は外に出て、家の鍵を閉めた。そして燐を探しに行った。



 近所の商店街。お母さんにせがんで燐と一緒にコロッケを食べたっけ。

 児童公園。この場所でいじめられていた燐を助けたんだっけな。


 東京でも郊外で、他の23区に比べると地味で田舎と言われればそうかもしれないけど。それでも大切な俺の、いや、俺たちの街なんだ。

 持っていた傘に吹き付けられる雨。


 だがどれほど探しても見つからなかった。

 一度帰宅して印鑑とかを持って警察署に行こう。

 そう思いマンションへと戻る。


 ――玄関の前で捨てられた子猫のようにうずくまっている、燐の姿がいた。

「斎木くん……」

 俺は一発ぶん殴ろうかと思った。だが妹の次の言葉でそれは出来なかった。

「私、死にたいなって思った。ときどきそうなるの。ときどき、死ねれば楽になるのに、って。だけどそれは出来ない。だって――」

 妹は真っ直ぐ俺のことを見てきた。

「お兄ちゃんが、いるんだもん」

 俺は驚いて固まってしまう。だがそのあとなんとかして答えを絞り出した。

「俺のことを、本当は覚えていたのか?」

 それに彼女は笑って見せてきた。


「当たり前だよ。家族の誰よりも面会に来て。私が記憶であやふやなところがあっても構わないでくれる。そんなお兄ちゃんのことを忘れたくない」


「じゃあ。なんで俺のことをずっと斎木くん、って他人行儀に接していたんだ?」

 というかまさしく他人として扱ってきたのだ。

「先生に言われたの。この病気は、という症状があるんだって。

 私、そんなの嫌だよ」


 気付いたら俺は燐のことを抱きしめていた。

「ちょっと、お兄ちゃん。力強いよ」

 そんな不満を漏らしていたが関係ない。俺はずっとこの子を抱きしめていたいのだ。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る