第十五節「月下の契約(前半)」

足立区竹ノ塚の空に、薄い雲が夜の月を霞ませていた。街路灯に照らされた住宅街の一角にある一戸建て。そのクローゼットの奥には、誰にも知られていない“扉”があった。


朝比奈一翔はその扉を抜け、〈マイルームダンジョン〉と呼ばれる異空間へと戻ってきた。コンクリートの床、鍛造炉、簡易ベッド、そして──今はテーブルを囲んで仲間たちが集まっている。


「ねえ一翔、ギルドの支部からまた連絡が来てたよ。『非公式でいいから現状の勢力図を共有してほしい』って。どうする?」


白神紗夜が書類をテーブルに広げる。ギルド〈黎明の灯〉の幹部であり、表向きは都心の大学院に通う才女。だがその実力は、ダンジョン攻略チームでもトップクラスだ。


「……まだ、渡すわけにはいかないな。連中の中に、信用できない奴がいる」


「……“中の誰か”が漏らしてるのよね、例の件を。」


拓巳──かつて一翔と同じ職場に勤めていた男で、今は共にこの異世界の力を使いこなすパートナー──が腕を組んで言った。


「ギルド幹部の誰かが、国家の情報機関に内通している。証拠はないが、魔石の流通ルートが軍部に先回りされすぎてる」


一翔は小さく頷いた。数日前、竹ノ塚駅前で起きた“局所瘴気暴走”──あの現象は偶然ではなかった。あの場に、ギルドしか知り得ない瘴気動向の情報が漏れていた。


「俺たちが築いてきたこの拠点も、正直安全じゃない。紗夜、セキュリティ結界の再構築を頼めるか?」


「任せて。今回は“認識阻害”に加えて、“空間干渉遮断”もかけておく。国家側の術師に対する備えよ」


「俺は人員整理しておくわ。さすがに最近、人数が増えすぎた」


拓巳の言葉通り、この拠点にはダンジョンから救出された非戦闘員も暮らしていた。子どもを連れた母親、帰る家を失った初老の男。彼らの生活の場も確保するには、物資も結界も足りていない。


「……それで、一翔。今夜の“契約”だけど……本当に、やるの?」


静かに問うたのは、もう一人の少女──クロエ=ルフェーブル。欧州からの〈転移者〉であり、独自に契約魔法の才を持つ異邦の術者だ。長い銀髪と翡翠の瞳が、月光に映える。


「やる。俺たちがこの街で、立場を守るには“領域認定”が必要だ。国もギルドも、俺たちの自由を放ってはおかない」


「……わかったわ。“王の契り”を交わしましょう。私と、あなたの間で」


一翔とクロエが、魔法陣の中心に並んだ。契約魔法【王の契り】──これは個人に〈領主権限〉を与える儀式であり、一定範囲の空間と住民に対し、権限的な“支配力”を及ぼす魔法。都市国家化の第一歩ともいえる行為だ。


「詠唱を始めるわ。“汝、我が盟約者なり。信義を貫きし者に、王権を分かち与えん……”」


契約の光が、静かに天井を照らす。


……そのとき。マイルームダンジョンの壁に仕込まれた監視結界が、わずかにノイズを発した。


「……誰かが、結界の外から覗いてる。拓巳、外周のセンサー、チェックお願い!」


「了解。だけど……この結界、国家の“認識破り”の痕跡がある。やっぱり、誰かが場所を漏らしてるな」


「――やはりそうか」


一翔は小さく息を吐き、手元の短剣に魔力を通した。剣身が青白く輝く。


「契約は続ける。だが、同時に“粛清”の準備も始めるぞ。内通者を――暴く」


月光の下で、新たな契約が結ばれる。その裏で、確かに〈裏切りの気配〉が忍び寄っていた。

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