Synaptic Drive編
vol.1 追いかけろ!
ライブハウスの薄暗い楽屋。
地下特有の、逃げ場のない閉塞感。
膝の上で組んだ僕の指先は、情けないほど小刻みに震えている。
武者震いなんて格好いいもんじゃない。
今日、僕たち『Synaptic Drive』は初めて、その姿を現す。
「けんたろう、緊張してる?」
相棒のユージが、ギターの弦を一本だけ、軽くはじいた。
張り替えたばかりの弦が空気を揺らし、天井の蛍光が一瞬だけ脈打つように見えた。
鋭くて、宇宙と交信してるみたいだ。
「うん……宇宙と交信できそうなくらい」
「そりゃ重症だな」
ユージは笑ってる。
でも今日は違う。
冗談めかしてても、目が本気だ。
今、心臓の音がうるさい。
「けんたろうくん」
肩に、温かい手。
マネージャーの佐久良綾音(さくら あやね)さんだ。
「大丈夫。
けんたろうくんの音楽は、必ずみんなに届くから。
私たちがついてるからね」
姉のように温かい声が、少しだけ震えている。
僕を励ましながら、自分にも言い聞かせているみたいだった。
弱小レーベルの新人マネージャーと、無名の新人バンド。
崖っぷち同士だけど、彼女の手の温もりだけが、ここにある唯一の救いだった。
ユージは、そんな僕と綾音さんの様子を、にやにやと眺めていた。
深く息を吐き出すと、ギターのネックを軽く持ち上げて言う。
楽屋の空気が変わった。
「けんたろう、お前は何も考えるな。
最高の音を鳴らすことだけ考えろ。
あとは全部、俺が何とかする」
胸の奥が熱くなる。
ざわめきが、少しだけ静まる。
「行くぞ、けんたろう!」
ユージが立ち上がり、僕の背中を軽く叩いた。
そして、にやりと笑う。
「けいとちゃんを追いかけるんだろ?」
僕は返事の代わりに、テーブルの上に置かれたサングラスを手に取った。
まだ世に知られていない『Synaptic Drive』。
その黒いレンズの奥で、あの日の光景を思い出す。
「俺はあやを追うんだ」
悪友みたいに笑みを浮かべるユージ。
そうだ。
すべては、あの雨の日の喫茶店から始まったんだ。
【数ヶ月前・喫茶店】
テーブルの上には、ほとんど手付かずのクリームソーダが四つ。
アイスはもう半分溶けて、緑色の上でゆっくりと沈みかけている。
窓の外は、静かに雨が降っていた。
「私たち『Midnight Verdict』、メジャーデビューが決まったの」
向かいの席。
僕の恋人、けいとさんが静かにそう告げた。
隣では、ユージの彼女である、あやさんがうつむいている。
二人は大学生で、ユーロビートのバンドをやっている。
「すげえじゃん!おめでとう!」
ユージがいつもの調子で声を上げる。
けれど、祝福の言葉を浴びせられても、二人の表情はどこか重かった。
「事務所の方針で……
プライベートも、今まで通りにはいかなくなる。
だから……」
けいとさんは、真っ直ぐに僕の目を見て言った。
「もう、簡単には会えない。
距離を、置きましょう」
クリームソーダのバニラアイスが、緑色の中でぐちゃぐちゃになる。
隣で、ユージがあからさまに息を呑む。
「な、なんでだよ!
メジャーデビューと俺たちが会うことって、関係ないだろ!」
「関係あるのよ」
けいとさんの声は冷たい。
今までと違う声。
「私たちはプロになる。
けんたろうちゃんは、まだ普通の高校生。
住む世界が、変わるの」
残酷だった。
大好きで大好きでたまらない人が、手の届かない場所へ行ってしまう。
光の当たる場所へ。
雨音だけが、気まずい沈黙を埋めていた。
店を出ると、傘をさす余裕もないほど、気力が抜けていた。
ずぶ濡れになりながら、僕たちは近くの公園のベンチに腰を下ろす。
「……終わった」
悔しい。
悲しい。
膝を抱える。
地面しか見えない。
「……終わってねえよ」
隣で、ユージが顔を上げた。
目に、まだ諦めの色はない。
「終わらせねえ。
あいつらが遠くに行くってんなら、俺たちも行けばいい。
追いかけて、追いついて、同じステージに立って、見返してやればいいんだ」
無茶苦茶だ。
でも、なにかしなきゃ。
なんでもいい。
距離が離れるなら、その距離をゼロにすればいい。
「……ユージ」
「ん?」
「僕たちも、バンドやろう」
僕の口から出た言葉に、自分でも驚いた。
でも、それ以外の答えはわからなかった。
「僕たちの音楽で、けいとさんたちのいる場所まで行っちゃえばよくない?」
一瞬の沈黙。
そして、ユージがニヤリと歯を見せて笑った。
「お前、本気か?
……ハッ、面白ぇ!
やってやろうぜ!」
雨の中。
僕たちは笑ってた。
年齢も性格も違う、凸凹兄弟コンビの逆襲が、この瞬間、始まった。
【現在・ライブハウス】
「行こうぜ!」
ユージの言葉で、僕は現在に引き戻される。
そうだ。
僕たちは、追いかけるためにここにいる。
ステージへと続く薄暗い通路を歩き出す。
ドアを開けると、そこには予想通り、まばらな観客の姿があった。
好奇の視線、冷やかしの視線。ネットの前評判も最悪だ。
【ネット民の反応】
「Synaptic Drive?聞いたことないな。どうせMidnight Verdictの二番煎じだろ」
「シルエットしか出てないって怪しすぎwすぐ消えるに1票」
嘲笑が、空気中によどむ。
本当に僕たちはやっていけるのだろうか?
ユージがギターを抱え、ステージに一歩踏み出す。
僕はステージ奥の仕切りの向こう、シルエットの中だ。
ユージがマイクを握り、挑発的に叫んだ。
「おい、そこの退屈そうな顔してん奴ら!
今日からお前らの人生を変えるサウンドを叩きつけてやるぜ!
俺たち、Synaptic Driveのデビュー曲だ!
聴いてブッ飛べ!『BABY I WANT U』!!」
カウントも合図もいらない。
曲名を聞いた瞬間、僕の指先は勝手に動き出す。
鍵盤から、嵐のようなユーロビートが溢れ出した。
『BABY I WANT U』
待ち合わせじゃなくても 君を見つけたい
言葉じゃなくても この声が届くなら
いじわるな距離感 じっとしてるだけじゃ
何も変えられないから 今、歌うよ
胸の奥で 何度も鳴る名前
誰よりも 君が 欲しいんだ
BABY, I WANT YOU!
走り出すこの感情
名前を呼ぶだけで
景色が変わるよ
BABY, I WANT YOU!
君の背中 逃がさない
振り返るその瞬間まで
オレは 君に追いつく
無視された声も 見透かされた嘘も
全部意味を持つ 君に近づくためなら
情けないオレも 本気のオレも
誰より君を見つめてる それだけは言える
追いつけない その瞳の速さ
でもまだ 諦める理由は無い
BABY, I WANT YOU!
この歌が届くなら
隠した涙さえ
抱きしめられるよ
BABY, I WANT YOU!
世界中が敵でも
この声 止めない
君が聴くまで
夜明けよりも早く
感情が君を探す
心むき出しで
走る 歌う 叫ぶだけ
BABY, I WANT YOU!
迷わず君を選ぶ
ふり向いた一秒で
運命が生まれる
BABY, I WANT YOU!
君が笑ったその時
Synaptic Driveのすべてが
あの日に繋がる
――そして、始まる。
ユージのハスキーで力強いボーカルが、僕たちの想いを乗せて会場を切り裂く。
それは歌じゃない。
叫びだ。
なりふり構わない、僕たちの求愛だ。
スマホを見ていた女子高生が顔を上げる。
腕組みしていた男が、目を見開く。
ビートが加速する。
会場の温度が一度ずつ上がっていく。
曲が終わった瞬間、沈黙と歓声が同時に襲ってきた。
「なんだこの曲!」
「マジでかっこいい!」
「後ろのシルエット、ただ者じゃないな!」
熱狂の渦。
誰もが、ステージ奥のシルエット――僕を見ようと背伸びをしている。
その熱気に、ユージがさらにヒートアップして叫ぶ。
「どうだ、見たかコノヤロー!
これが俺たち、Synaptic Driveのサウンドだ!」
観客たちの視線が、僕のいるシルエットに集まる。
ユージはニヤリと笑った。
「お前ら、ウチのキーボーディストを見たいんだろ? 」
「見せろー!」という野太い声が飛ぶ。
ユージは一蹴した。
「残念だったな!
まだお前らの時代が、俺たちに追い付いてねぇんだよ!」
指をさし、会場全体を煽る。
「お前ら次第だ!
俺たちをショボい箱から、音楽の頂点まで押し上げてみやがれ!!
そしたら、その時こそ――」
フロアのど真ん中で、誰かが拳を突き上げた。
それが合図みたいに、歓声が一斉に跳ね上がる。
「――後ろにいるスーパープロデューサー、『けんたろう』のベールを剥いでやるからな!」
「うおおおぉぉ!!」という絶叫が、ライブハウスを揺らした。
(けいとさん、聞こえてる――?)
僕はサングラスの奥で、ただ鍵盤を見つめる。
(けいとさんに追いつくためなら、僕はなんだってやる)
———なんでも
指先が、次の曲を探し始めていた。
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