三、練習艦“吹雪”

 もともと東舞高女から道を隔てて向かいにあった、海軍の赤煉瓦倉庫。それを改装した寮舎と食堂。海軍女学校は全寮制で、わたしのように元々舞鶴にいた生徒でも、原則全員寮での共同生活になった。給食は、おもに主計科の先生と生徒たちが作っている。

「正直、わたくしもまだ校風に馴染めていませんね……」

と、一緒に朝ごはんを食べながら苦笑しつつ仰る、国語担当兼予科一年生担任の馬場崎先生。そう、東舞鶴高女からのおなじみだ。先生も採用試験に合格されたのだ。わたしにとっては新天地への旅の道連れ、最高の安心材料だ。良かったあ……。

「うちも慣れへんわよ~……“自律”って難しいのね、今までずっと“他律”で育ってきとぉもの」

 吹雪ちゃんと並んでもう一人の仲良し友達、神戸の松蔭高女出身の小倉おぐら琴子さんと、三人並んで朝ごはんを食べる。

「琴子ちゃんも巻き込んで遅刻させちゃってごめんね……」

「大丈夫やって。三人で一心同体って云うとぉやん」

 山手北野のお嬢様だけど、お高くとまったところがなくて気さくな子だ。

「あ~うちらも早う白い詰襟着たいわ」

「ほんまやなあ」

 琴子ちゃんと話すと、ついつられて関西弁になってしまう。

 高等科・専攻科の先輩は凛々しくてかっこいい。下はわたしたち予科・尋常科と同じ濃紺色のスカートだけど、上はまぶしいまでに真っ白な詰襟の下士官・士官軍服。予科・尋常科の生徒は軍属扱いだけど、高等科・専攻科は軍人扱いで、洋剣風の外装の短刀を腰に帯びている。原則満十八歳以上だけど、ごく一握りの超優等生である特進生は一~二年前倒し、つまり最低でわたしたちよりたった二学年上の満十六歳、尋常科一年生の歳で高等科に入学した先輩もいる。

 わたしたち予科と尋常科は紺地のセーラー服だけど、普通の学生服と違って白い襟なのがとっても目立って特徴的。機動性を重視してスカートも膝丈の短さで、わたしみたいな芋っ娘には気恥ずかしいくらいに、なんだかとってもモダンな感じ。京都や神戸のモガみたいだ――実際、そんな生徒が多いのだけど。夏服はさらに、身頃も襟も真っ白で、セーラー襟の紺色の線と紺のスカートがとっても映える。衣替えが楽しみだ。


 そして、何よりの楽しみと誇りは、航海実習と、練習艦吹雪だ!

 元、特Ⅰ型駆逐艦一番艦・吹雪。それまで小間使い程度に扱われていた小型艦である駆逐艦にしては、前代未聞の大型・重火力で、軽巡洋艦にも匹敵する主戦力。その登場は世界を驚かせ、駆逐艦の歴史を塗り替えた名艦だ。南洋方面の海戦で九死に一生を得て、修復されたのちに練習艦としてわが舞鶴海軍女学校にやってきたらしい。

 そういえば、吹雪ちゃんと同じ名前だなあ。「特Ⅰ型」と苗字の「徳一」をかけて付けられたお名前かな……お父さんが軍艦好きだったのかしら。

 舞鶴湾内を二時間ほどだけど、予科生初めての航海実習はとっても晴れがましい。ゆうべはドキドキして眠れなくて、朝また寝坊して吹雪ちゃんに叩き起こされちゃったけど……艦を目にした瞬間に、感動で眠気は一気に吹き飛んだ。

「喇叭手、出港用意信号」

「出港用意、よーそろー! 練習艦吹雪、抜錨!」

 わたしは張りきって敬礼して、高らかに喇叭を吹いた。

 赤煉瓦の並ぶ埠頭で上級生が見送る中、わたしたち予科一・二年生の計八十名は甲板に並んで総員敬礼しつつ出航した。

「洋上は思ったよりも風が強いんだな~……」

 スカートの下には非常水着を兼ねた短パンをはいてきたので大丈夫といえば大丈夫だけど、スカートがひるがえって恥ずかしいし、セーラー帽も紐が取れて吹き飛ばないか心配だ。

 あれ、吹雪ちゃんは?

「吹雪ちゃんなら、艦橋にいとぉわよ」

 きょろきょろしていると、琴子ちゃんが教えてくれた。

「行ってみても大丈夫かなあ?」

「たぶん大丈夫よ」

 わたしは恐る恐る、艦橋への階段を登っていった。

「吹雪ちゃん! あっ……」

 吹雪ちゃんは、艦橋の隅っこにたたずんで、涙を一筋流していた。

「吹雪ちゃん、大丈夫!? 衛生委員呼ぶ?」

「あっ、かなちゃん! ごめんね!」

 わたしに気づくと、吹雪ちゃんはとっさに目をぬぐって微笑んだ。

 甲板で転んで衛生委員のお世話になったのはわたしのほうだ。吹雪ちゃん、どうしたのかなあ……。

「こうして平和に海を行くことができて、とっても嬉しいな……って」

 吹雪ちゃんはそう言って、また艦首の白波と、その向こうに広がる海原を遠い目で眺めた。

 そういえば、吹雪ちゃんは出自や家族の話を少しもしない。もしかして、海難孤児なのかしら……。

 わたしはどうしたらいいか分からなかったけれど、ただ無言のまま隣に並んで、吹雪ちゃんの手をぎゅっと握った。

「吹雪さんをよろしくお願いしますね」

 不意に声をかけられた。士官服の若い女性、えーと、どこかで見覚えが……。

「衛生科講師の稲取です」

 物腰柔らかに、先生は会釈した。わたしもすかさず敬礼する。

「予科一年の前田かなでです!」

「入試ぶりですね、ご機嫌よう」

 あっ、面接試験の時の……!

「失敬いたしました!」

 慌てて再び敬礼する。

「この子は身寄がありませんから……ぜひ、良いお友達になってあげてくださいね」

 やっぱりそうなのだ。わたしは再び左手で吹雪ちゃんの手を握って、力強く敬礼した。

「はい、もちろんです!」


 その夜、夢を見た。遠巻きに活動写真を見るような、妙に印象的、かつ俯瞰的な夢だ。

 激しい夜戦……探照灯や砲火の光が飛び交う中で、巡洋艦や駆逐艦、大小様々な艦が激しく乱れて撃ち合っている。

 一隻の駆逐艦が、艦体中央に直撃弾を受けて炎上した。その後も次々と集中砲火を食らってゆく。

 艦橋に、わたしと同い歳くらいのセーラー服の女の子が一人しゃがみこんでいる。泣いている。

 ついに艦は沈み始め、大勢の軍人さんが海に投げ出されてゆく。

 沈んじゃう……逃げて……!


 吹雪ちゃん!――となぜか叫んで、はっと目が覚めた。

 下の寝台で、すすり泣く声が聞こえる。吹雪ちゃんだ。

 琴子ちゃんを起こさないように梯子を静かに降りて、吹雪ちゃんの寝台に寄り添い、そっと声をかけた。

「吹雪ちゃん……」

 吹雪ちゃんはこちらへ寝返りを打つと、黙って、涙でぬれた手のひらを差し出した。

「大丈夫だよ。もう、大丈夫だから」

 その手のひらを握って、わたしは何度もそうささやいた。

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