第9話 帝国式勝利作法

 「……ねぇ?副官さん、私たち……いつ本陣に戻ればいいかしら?」


 そう呟くのは、朝日が昇って間もなく、冥府の森の深部に潜む、森の妖精……ではなく、ソフィア夫人だった。


 「分かりません……でも、先ほど、この森の先に偵察隊を送ったところ…7万人規模の公国兵が帝国の本陣に進軍していると聞きました。」


 「まぁ!それは大変ね~」


 副官は小さく頷いた。

彼女の言葉にある種の“嘲笑”と“皮肉”を感じ取ったからだ。


「……公国の軍勢、構成は不自然です。

 近衛兵と地方騎士団が同列に行軍しており、指揮系統も錯綜しています。まるで」


「――“見せかけの軍”ってことかしら?」


ソフィア夫人は森の奥で静かに腰を下ろし、小さな硝子の壜から香草の香りを解き放つ。

まるで戦場を前にして“モーニングティー”でも楽しむような、優雅な所作だった。


「でも、副官さん。大事なのは“見せかけ”でも勝てるってことなのよ?」


副官は眉をひそめた。「……どういう意味で?」


ソフィア夫人は壜を振りながら、くるりと背を向けて言った。


「なんとなく察するといいわ。なんで公国が攻めたと思う?」


 副官の男は、暫くの間、瞑目し、昨日までの本陣からの伝達兵から聞いた内容を思い返していた。


 「……公女リヴェルは、実は既に亡くなっていたということですか?」


 これは当たったと言わんばかりの態度でいる副官とは異なり、ソフィアは「ふふ」と笑い艶やかな唇を動かした。


 「リヴェルちゃんは”幽霊”になったのよ……」


 「幽霊になった?」その言葉に副官の男の脳内は増々、困惑していった。


 副官は眉をひそめながらも、その言葉を繰り返す。


 「幽霊……になった、とは……?」


 ソフィアは椅子もない苔むした岩に腰掛けながら、指先で香草の葉をくるくると回す。

淡い香りが森に溶ける中、彼女はまるで舞台の女優のように、しなやかに語り始めた。


 「生きているけれど、死んだことにされた人。

 死んだと思われているけど、まだ息づいている願い。

 それが“幽霊”という存在なのよ、副官さん」


 副官の男は、少しだけ口を開きかけたが……言葉にならなかった。


 「昨夜、帝国はリヴェルを捕らえ損ねた。

 けれど、本陣は落ち、彼女は“姿を消した”。

 つまり世間から見れば、公国の姫は“死んだ”の。

 ……でも、確かにまだ”どこか”で息をしてるのよ」


 ソフィアの声には、確信と、どこか母性的な優しさが宿っていた。


 「人はね、副官さん。見えないものに怯える。

 姿を消した者に、希望を託す。

 ……だから“亡霊姫リヴェル”は、生きているよりも強くなったの」


 副官はその言葉に戦慄した。

「まさか、公国は――その噂を“戦略”に?」


 ソフィア夫人は壜の栓をしめ、軽く首を傾ける。


 「 “噂”こそ最強の武器よ。

 今頃、帝国の兵たちはこう考えてるわ。

 “あの少女は死んでいない。ならば次に現れるのは、どこだ?”ってね」


 「じゃあ……あの大軍は……?」


 「 “リヴェルの亡霊が導く反撃”という、幻想の行軍――。

 帝国の若き皇帝がどれほど賢くても、 “死者の意志”は読めないもの」


 風が森を撫でた。どこかから、鳥が一羽、枝を蹴って飛び立つ。


 ソフィア夫人はゆっくりと立ち上がり、最後に囁いた。


 「副官さん、私たちは本陣には戻らないわよ。

 ……だって、ここが“新しい舞台”になるんだもの」



 「……きっとクラウス殿下が”呼び込ん”でくれるわ」


 彼女は、その言葉を付け加えるかのように放った。




***



 「ねぇ、アリシア……この状況ってどうなの?」


 本陣の南側、斜め右前には冥府の森が広がる平野に衛燐隊は陣を展開していた。

帝国の本陣には現状、あまり多くの兵はいない。

哀惜のユリウスが率いる3万強の兵士が北方で遊牧民族を追い続け数を減らしているからだ。

その為、本陣には残り7万と少しの兵士しか残っていない。

公国が攻めてくる西側にはヴァルガスとクラウスが率いる4万の主力部隊そして残りの三方を囲うように、残り3万の兵で固めた。……しかし、東側には昨日のリュミエルが築いた氷の城壁……砦が溶けていて、守にも攻にも苦の泥沼が大規模に展開されていた。


「まぁ……私たちは、攻めてきた公国軍を皆殺しにするだけだからな……

  えっと、とりあえずは”余裕”があると思います。」


気の抜けたような声で、けれどどこか“本気”の匂いを漂わせて、アリシアは淡々と答えた。


 その横で、問いかけた女性――黒色の髪を持つ衛燐隊長ミレイナは、微かに笑みを浮かべる。


「……正直、クラウス殿下も”あれ”を使うのだろうし、本当に役目が無いかもしれないわね」


「そうですね。 ”あれ”を確実に使い、公国を畏怖させるにはもってこいの状況ですしね」

 

  アリシアの目が細くなった。


 彼女が“あれ”と口にした瞬間、周囲の空気が一段階、冷たくなった気がした。

草木が風もないのに微かに揺れ、遠くの森の方角で、ひゅう……と、ひとつ悲鳴のような風音が響いた。


 ミレイナはその空気を感じ取ると、ふと空を見上げる。


 「……それにしても、不思議だと思わない?

  公国、どうして“南部”を狙わなかったのかしら」


 「おかしいですよね。

  この平野地帯――本来なら、機動力の高い遊撃隊なら一瞬で突破できるのに」


 「ええ。地形的には、突破されてもおかしくなかった……でも、してこなかった。

  これは“意図的”よ。――つまり、 “こちらに任せられている”ってこと」


 ミレイナの言葉に、アリシアの口元がわずかに歪んだ。

その笑みは、まるで毒を含んだ花のようだった。


 「 “こちらに任せられている”、ね。

  じゃあ……せっかくだし、 “期待”には応えないとね?」


 その瞬間――

 遠く、冥府の森のさらに先、南方の地平線に、ひとすじの“白い煙”が立ち上った。


 それは、狼煙だった。

だがただの狼煙ではない。帝国の内でも皇族しか使ってはいけない「勝利の確約」を意味する、諸刃の印。


 ミレイナは、その煙に目を細め、低く呟く。


 「……始まったわ。 本物の恐怖が」


 アリシアは肩を回しながら、小さくつぶやいた。


 「じゃあ……こっちも、 “死者”と”白銀”のなか、”氷上”で踊ってもらいましょうか」


 すると、背後から、トットッと小柄で蒼い髪を持つ少女が現れた。

氷のように透き通る白い肌、まばたきのたびに煌めく水晶の瞳――その少女は、微笑みながら首を傾げる。


 「ボクのこと、呼んだ?」


リュミエルの場違いなマイペースと同時に帝国はまた”勝利”へとまた一歩進んでいった。




 

****



 

 「ヴァルガス……時は満ちただよ……じゃあ、ここは頼んだよ」


 そう言い残すと、クラウスは後方での見物の帳を後にした。

その背には帝国の黒銀のマント、腰には光を宿す双刃の剣。

兵と兵がぶつかりあい熱気にあふれている中、ただ彼だけが、冷ややかな気配を帯びていた。


 ヴァルガスは眉一つ動かさずに、それを見送った。

彼は知っていた。クラウスが“蹴散らす”と言うとき、それは“殺戮”と“示威”の両方を意味する。


 「――殿下、本気ですか……。あれを、ここで?」


 副官が問いかけると、ヴァルガスはわずかに笑った。


 「あぁ。あれを使う事は間違いない」



 西の戦場。

 その最前線に、漆黒の馬に跨がる銀髪の青年が現れた。


 彼は、たった50重装騎馬兵を”鋒矢状”に進め自身は、その中腹で一本の”禍々しい杖”を手にしていた。


 「……こちらには”戦禍の魔杖”がある。……心配せずに戦ってくれたまえ!」


 声を張り、走る馬の上に立ち上がったかと思えば彼は詠唱を始めた。


 ――『欲しければ願え、そして足掻け、屈辱は”血”をもって”血”で制されるだろう』――


 彼の詠唱と共に、彼の周りが杖を中心に禍々しく光初め、晴天だた空が次第に曇天へと移り変わっていった。



 …………戦場にいた兵士の皆……敵味方関係無く、立ち止まり、その”天の理不尽”を見つめていた。


戦場に流れている”血”が戦う彼らの頭上に球体を描くように集まっていく。


そして、その球体は、戦場の血を全て吸い尽くしたかと思うと、遥か上空に登り、停止した。



――――『かつての恨みは、我らの”理由”、朽ちて踏まれ消えていった亡者へ告ぐ』――――


――――『今こそ、形を成して、行きとし生ける我が子々孫々を脅かす悪奴に”制裁”を!』――――


 血液が凝縮されていた球体は、ブロードソード、大剣、ハルバード、バトルアックス、グレイブ、ランス、槌……など

様々な武器を空一面に展開し西側……公国軍に刃を向けた。


―――『さぁ!行くといい』――――


 クラウスのその声と共に、その刃は空を裁ち、まるで”天罰”かのように公国兵7万に降り注いだ。


ある公国兵は、天を見上げたまま、その場で言葉を失った。

目の前の敵ではなく、 “空から”迫る紅の刃に――彼の魂が先に降伏した。


 「……な、なんだ……これは……!」

 「剣が……空から、降って……くる!?」


 それは、もはや魔法ではなかった。

軍略でも、戦術でもなかった。


 神話だった。


 血で鍛えられた刀剣が、空から雨のように降り注ぐ。

 一振りごとに、地が割れ、兵の悲鳴が混じり、陣形が崩れ去る。


 刃に貫かれた者は、一瞬でその命を終え、

 逃げようとした者は、影のように地を這う刃に喉を裂かれた。


 「う、うわああああああああああ!!」


 阿鼻叫喚。

 狂気の音が、大地を満たす。


 しかしその中心にいるクラウスは、たった一言も発さず――

 ただ、無言で剣を抜き放った。


 「 “血をもって血に報いる”……まるで貴族の遊戯みたいだ」


 そう呟く彼の声音には、何の感情もなかった。


 ヴァルガスは、遠くからそれを見つめていた。

副官が唾を呑む。


 「……あれが、 “戦禍の魔杖”……!」


 ヴァルガスは一瞬だけ眼を閉じ、短く呟く。


 「否。あれはもう、 “戦禍”なんかじゃない。

  ――あれは、 “復讐”そのものだ」


 公国の陣は総崩れだった。

前衛は半壊、中衛の重装歩兵団は逃走を始め、後衛の指揮官たちは撤退を叫ぶばかり。


 「なぜだ……我々と、数は等しかったはずだ……!」

 「なぜ、一人の男に――!!」


 その答えは、誰にも与えられない。


 ただ、帝国の将兵たちは見ていた。

 空を割き、地を裂き、万の兵を黙らせた一人の男を。


 「終わりだよ。貴様たちの“正義”は、ここで潰える」


 そう告げたクラウスの声は、まるで神託のように広がり、

生き残った公国兵たちの心をへし折った。


 戦いは、終わった。

いや、 “復讐”は完了した。


 残されたのは、刃が突き刺さった大地と、

 血の雨が染み込んだ空と、

 そして――何も語らない男の背中だった。




―――――――――「全軍、突撃!」――――――――――――――


 その猛々しく獰猛な怒号と共に、帝国兵は一斉に咆哮を上げた。

 それはもはや命令というより、 “本能の叫び”に近かった。


 クラウスが空を裂いた直後、戦場に残っていたのは、ただ恐怖に凍り付いた敵兵と、

その“刈り取り時”を知った狼のような帝国軍だけだった。


 公国兵は、動けなかった。

逃げ出す脚が震え、剣を握る手は震え、声すら出せなかった。

天からの刃の雨により、仲間は無残に潰され、指揮系統は壊滅、士気は地の底だ。


 そんな彼らの耳に、地鳴りのような足音が迫る。

 それは、怒涛の騎馬軍、叫ぶ歩兵、殺意を帯びた鉄の嵐だった。


 「ひ、ひいっ……!来るな、来るなあああああっ!!」

 「もう……もう嫌だッ!!」


 だが、そんな悲鳴すら、帝国の刃が呑み込んでいった。


 ヴァルガス率いる重装騎士団は、そのまま敵の側面へ突入し、

魔導師の残党を一掃。続く衛燐隊は、素早く陣を分断し逃走経路を塞ぐ。


 戦場の支配権は、完全に帝国が握った。


 「貴様らに慈悲は無い――!我らはただ、帝国の意思を貫くだけだッ!!」

 「これが……我らの【勝利の美学】だ!」


 先頭で、卓上のような大剣を振りまわし”怒り狂った”その大男は”本能”のまま地を砕き火炎で地を焼く。


「まるで……これでは下手な魔獣より魔獣してますよ……ヴァルガス……」


 先の戦禍の代償で”精神力も生命力”もかなり消耗し、立つこともままならくなったクラウスは本陣の衛燐隊の救護班によって丁重に扱われ、救護ベッドの上に横たわり望遠鏡で活躍を見ていた。






 ***





 ――――あぁ、もどかしくてたまらない。なぜこの北の蛮族は正々堂々、戦わないのか?


  彼はクラウスから”哀惜”を預けられた”ユリウス・カストール”だ。ユリウスは、もう2日間も蛮族相手に鬼ごっこをしていた。蛮族は馬の扱いが上手く、正直”魔導”の力が無ければ、ここまで数を減らせなかった。


 「2日目にして残り2万ですか……」


 ユリウスは腰から”刺突剣”を抜いて前を駆けていく遊牧民族に刃の先を向ける。


 「あぁ、魔女よ。彼らに貴女からの”試練”を与えたまえ」


 その瞬間、前を駆ける軍団の勢いが落ちていき、馬が”何か”をよけている。そのおかげでグニャグニャと揺さぶられ、

多くの蛮族が落馬し、後続を走る味方に敵に踏まれ、目に見えて数が減った。


「これが、帝国か……」

「やつらは禁術にまで手を出したか」


叫びのような呟きが、蛮族の間に広がる。

 だが、それは怒りではなく――畏れだった。


 馬たちが怯え、草原がざわめく。

 視えない何かがそこにいる。気配も、風も、空気すらも変わってしまった。


 「……見えたのか。当然か」


 ユリウスの声は冷静だった。だが、その瞳の奥には、どこか憐れみが宿っていた。


 「 “魔女”とは呼んだが……あれはもはや、人の境を超えた者だ。

  禁術ではない。これは――“罪の継承”だ」


 彼の足元から、歪んだ魔法陣が浮かび上がる。

 それは過去に帝国が封じた、数多の魔災――その“残響”。

 その一端を借り受ける代償として、ユリウスは記憶を喰われていた。


 「貴様……何者だ」


 炎に巻かれながらも生き残った、蛮族の戦士が叫ぶ。

 肩で息をし、血に濡れた剣を構えながら、一歩も退かずにユリウスを睨んでいる。


 ユリウスは応じた。


 「帝国に仕えし者。……だが、もう一つ、名を持っている」


 風が止まり、魔法陣が完全に浮かび上がった。

 赤黒く燃えるそれは、 “契約”の証。


 「我が名は、ユリウス・カストール。

  古き帝国貴族の末裔にして、クラウス殿下の剣――そして、 “悼む者”だ」


 敵は静まり返った。もはや、戦ではなかった。

 儀式だった。

 逃げれば、焼かれ。抗えば、記憶を失う。

 それでもなお刃を取った者だけが、彼の前に立つ権利を得た。


 「……わかった。ならば俺は、 “名誉ある死”を選ぶ」


 蛮族の剣士が一歩、また一歩と歩み寄る。

 その足取りは、誇りに満ちていた。


 ユリウスは微かに微笑む。


 「君は、歴史に残すに値する人物だ。

  だから、記しておこう。名は?」


 「――ヴォルク。草原の民の末裔、最後の軍団長だ」


 「……ありがとう、ヴォルク」


 そして、二人は刃を交えた。

 それは静かで、まるで舞のように優雅で、そして……美しかった。


 そして、次の瞬間にはヴォルクの首は飛んでいた。


 「……まるで、何も起きていなかったかのように……だからこそ”哀しい”」


 ユリウスは長く伸びた灰の混じった金髪を蛮族の血で染め上げられ、紅に染まっていた。


 「……ヴォルク様が死んだ。」

 「帝国の畜生めが!恥を知れ」


 その参事を目の当たりにした草原の民たちは、怒りに燃えながらも、声を震わせるしかなかった。

彼らにとってヴォルクは、ただの軍団長ではない。

父であり、象徴であり、誇りそのものだった。


 「我らの“誇り”を返せェ!!!」

 「お前らに草原の魂が理解できるものかッ!!」


 罵声が空へと響いた。けれど、その叫びは風に溶けて消えていく。

 ――まるで、彼らの存在そのものが“忘れられる”運命であるかのように。


 ユリウスは微かに目を閉じた。

 胸の奥に沈む感情は、悼みか、あるいは――虚しさだった。


 彼は知っている。

 自分が斬った命の名前は、あと十年もすれば、帝国の歴史書に“略された三文字”になることを。

 ヴォルクは、きっと「蛮勇将」などと呼ばれ、功績も魂も“整理”される。


 それが“勝者”の都合であり、帝国のやり方だった。


 「だからこそ……私が、忘れない」


 ぽつりと呟くように言ったその言葉には、

 剣よりも強く、魔よりも深い決意が宿っていた。


 刃を収め、ユリウスは天を仰いだ。

 灰色の空。血に染まる風。焼かれた草原。

 それでもなお、そこに――死者たちの声が在った。


 「……クラウス殿下。

  “哀惜”とは、やはりこういう感情なのでしょうか」


 誰に届くでもない問い。けれどそれは確かに、

 哀しみを知る者だけが持ちうる、人間の祈りだった。



こうして北方の戦いは幕を閉じた。帝国兵は1500人ほどが栄華を残し無残に散り、蛮族は残り4000人程度となり、帝国の”圧勝”として終結し、ユリウスは残りの兵を連れて本陣へと戻っていった。





 

***


 ――――本陣の南側…約8000人の兵が、そこにはいて本陣を守護するはずだった。


 しかし、今、そこに誰一人として”いなかった”。守護を任されていたのは衛燐隊。

その隊長の名は”ミレイナ・アズベル”かつての伯爵家の長女だった。


 彼女は、隊を率いて西まで”敗残兵”を追っていた。


否。彼女は自身を含む3人の少女とともに、戦場を地獄へと変えていた。


 その三人とは、衛燐隊の中でも最も“異質”な存在たち。

 帝国の生まれでありながら、神を持たず、安寧を忘れ、命に値段をつけない者たち。


 ミレイナ・アズベル――〈死者の呪縛〉

 かつて伯爵家の長女として育てられた。

 長く艶のある黒髪を靡かせ。二振りの剣を数多の”手”を使う者。


 アリシア・バレンタイン――〈戦塵の金風〉

 金色の髪を編み込み、瞳は戦場の空のように曇っている。

 素早い斬撃が風のように通り過ぎていき、彼女の使う剣技と風の魔導との融合からは逃れられない。


 リュミエル・スノウ――〈帝国の氷魔〉

 空のように蒼い髪を持ち、剣技も素晴らしいが、彼女を引き立たせるのは、”氷”の魔導。

 わずか数日で根源を理解し公国の本陣の半分を凍らせ……氷魔に愛されし少女。


 ――この三人が、衛燐隊の核心だった。


 

「ミレイナったら、本物の”魔女”みたい」


 アリシアがぽつりとつぶやく。その言葉にリュミエルも反応した。


「私より”魔女”っぽい」


 その幼女の瞳には好奇心や尊敬の念が込められていた。

 


ぐにゅり、ぐにゅり


 また地面から、無数の“黒き手”が伸びる。土の下から生まれ出るそれらは、かつての兵士の骸、意思なき亡者。


 敵兵が恐怖に引き攣る声を上げる。だが、その声すら“指”で喉を掴まれ、空気へと掻き消えた。


 「逃げろ!逃げるんだ、魔女が来るぞ……!」


 その叫びが、もはや祈りにも似ていた。

 だが、神などここにはいない。この戦場にあるのは、ただ、魔導だけ。


 


 「……また”逃げ”ようとしてる」


 ミレイナ・アズベルが小さくつぶやいた。

 靡く黒髪、その瞳はまるで漆黒の月。


 「4年前に沢山殺しておきながら、命乞いだなんて――それこそ、傲慢よ」


 彼女の背後で、残りの二人が続く。

 アリシアが、軽やかな足取りで地を滑りながら、もう一度風を切った。

 すると、遠くの丘の上、数十の兵士が一斉にその場で膝をついた。


 「斬ってないのに倒れたね。風の刃、やっぱり見えないのがいいところ」


 くすりと笑う彼女に、リュミエルが静かに続いた。


 「じゃあ、次は私の番」


 蒼き髪がふわりと舞い、リュミエルが手をかざす。

 空気が凝結し、冷気が弾ける。空に浮かぶ薄い氷の紋章――それは“氷の言葉”が完成した合図だった。


 次の瞬間、丘の中腹が丸ごと“凍りついた”。

 兵も、馬も、叫びも、全てが――美しい氷像へと変わる。


 「……うつくしいね」


 リュミエルの声は、どこか感傷的だった。


 


 その静寂を、ミレイナの声が破った。


 「アリシア、リュミエル。帰るわよ」


 「え?でも、まだ……」アリシアが肩越しに視線を送る。


 「これ以上、追う理由はない。そろそろ“逆襲”が来る」


 その声には、冷静さとともに、 “別の焦り”が混じっていた。


 リュミエルが目を細める。


 「……本陣、何かあったの?」


 ミレイナは返事をしなかった。ただ、地に広がる手の群れを、音もなく解いた。


 ぐにゅり、と最後の一本が土に還るとき――空の向こう、帝国本陣の方角から、黒煙が上がるのが見えた。


 


 アリシアの表情が凍る。

 リュミエルの唇が、かすかに震える。


 「ミレイナ……」


 ミレイナは小さく頷いた。


 「……急ぐわよ。あそこには、私たちの“罪”がある」


 「あっ……わすれてた」


リュミエルの、ぽかんとした顔が、い可愛らしさらしさではなく、「やってしまった」かのような、焦燥がこめられているように見えた。


 

 

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