第10話


「ふ……。もはやオレンジジュースでさえ、私の心の中に吹きすさぶ木枯らしを癒してはくれないのさ……」

「何言ってんだこいつ」


 小テストまであと一日。

 昼食を食べ終わったカズネは、食堂でそのままぐでーっとテーブルの上に突っ伏して一人黄昏たそがれていた。

 友人達からすればぐでんぐでんに駄目人間の様な姿になっていたが、他の者達からはアンニュイな表情に見えているらしい。きゃーっと遠巻きに騒ぐ女性陣時々男性陣を、ナツキが鬱陶しそうに視線で追い払っていた。


「てめえ、いつでもどこでもイケメンオーラ振りまくのやめろ」

「それは仕方がないよ。だって私だからね」

「そういう口答えをする元気はあるんだな、てめえは、っよ!」

「いいいいいいいいいいたいっ! いたたたたいいたいいたいっ! 君! そんなに頭のてっぺんをぐりぐりしないでくれるかいっ⁉ 私の頭がへこんだらどうするんだいっ!」

「へこまねえよ。石頭」

「へ、へこむへこむへこむ! いいいいいいいいいいいっ! たあああああっ!」


 なおもぐりぐりぐりぐりしてくるナツキに、カズネは「ギブッ、ギブッ!」とばんばん叩きながら叫んだ。のおおおおおおおおっ、と叫びまくるカズネに、横から「そろそろやめてあげてください」とリンネが一応口を出してくる。


「ナツキ。そんな、疲れて心配していたのに予想外に元気だからって、ねては駄目ですよ」

「拗ねてねえ!」

「だいたい、本当は力を貸してあげたいのに、テストだから出来ないって嘆いていたのはどこの誰でしょうか」

「お前だろ!」

「ええ。私も歯がゆいですよ」

「……っああああああっ! ……ったく。せっかくカズネが、ようやく力を発揮出来る様になってきたかもしれねえってのに……。カエデ以外アドバイスも駄目とか鬼畜か、鬼畜。あの教師はマジで鬼だ」


 頬杖を突いて、ぷいっと窓の方向を見やるナツキに、カズネはきょとんと瞬いてしまう。

 ナツキは大体変なことで叱ってくることが多いのに、まさか心配してくれていたとは。リンネは同室だし、分かりやすく甘えさせてくれていたが、ナツキもとは思わなかった。


「……ありがとう、ナツキ。少し元気が出たよ」

「少しだけかよ」

「うん」

「……友達甲斐がいがねえ。弱音くらい吐けよ」

「吐いてるじゃないか。心に木枯らし」

「そうじゃねえだろ」


 ナツキが呆れた様に溜息を吐くのには、カズネも苦笑するしかない。さらっと、窓から差し込む日差しの様に優しい音だと、目を閉じた。

 ナツキの溜息の音は、頭を撫でる様な感触がする。カエデもそうだが、ナツキもリンネも声の柔らかさで頭を撫でる様にカズネを慰めてくる。昔から。

 少しだけ浮上したが、しかしすぐに花の調子を見に出かけているカエデを思い出し、ずどんと土にめり込む様にへこむ。

 こんなことで、情けないとも思う。

 せっかく花を咲かせることが出来る様になってきたのに、まさかここで欲が出るとは思わなかったのだ。



「……。……だって。弱音を吐いたら、カッコ悪いだろう?」

「え? 今更じゃね?」

「――っ、えっ⁉」



 がばあっと頭を振り上げて、カズネは雷が直接頭上に落ちた様な衝撃を受けた。あまりに勢い良く頭を上げ過ぎて、一瞬くらりと眩暈めまいを起こす。――その眩暈を起こした時の天井を向いて右手を振り上げたポーズが、また女生徒達の目に留まってしまったらしく、遠くで黄色い声が上がっていた。罪な女だと、ナツキが白い目になっていたが、それにカズネが気付くことは無い。

 だが、今はそれよりも。


「今更って何だい⁉ 私はいつだってカッコ良く在りたいと思っているはずさ!」

「思ってんのはてめえだけだな。あと、盲目思い込み激しい野次馬どもくらいか」

「えええっ⁉」

「まあ、ナツキの意見に賛同するのは業腹ですが……おおむねその通りですね」

「リンネまで⁉」

「だって、友人ですから」

「てめえはいつだって無駄に元気だが、それだけだと思ってるはずねえだろうが」


 馬鹿か、と鼻で笑われ、カズネはぐうの音も出ない。

 確かにこの友人達の前では、元気に駆け回り過ぎて底なし沼に沈みかけた姿を見せたり、一番高い木のてっぺんまで登ってそのまま飛び降りられなくなった姿を見せたり、挙句の果てには鬼ごっこをしている時に華麗にジャンプしながら逃げている最中でつまずき、顔から地面に突っ込んだ姿を見せたりと、色々やらかし具合は半端なかった。――思い返しても屈辱である。

 だが、そうだ。今更だ。

 ならば、彼らに吐いてしまおう。全て。

 そう。

 カズネは、今まで枯れた花を咲かせるだけで満足していた。そう思っていた。

 けれど。



「……一度、枯れ色以外の色を持った花を咲かせたら、欲が出ちゃったんだよね」



 今度は、もっと大きな花を。

 その次は、もう少し色を鮮やかに。

 更に、花びらの枚数を増やしたらどうだろうか。

 次は、イメージした通りの花を咲かせてみたい。

 次は、次は、次は。

 次は――。


 カズネは、今の今まで全く意図していない花しか咲かせられていない。花の咲くスピードもまちまちだ。

 実際に地上で花を咲かせる場合、ゆっくり、本当にゆっくりと少しずつ咲かせていかなければならないものもあれば、「一日でこんなに伸びたの?」と驚かれる草もある。イメージ通りの花を咲かせることはもちろん、速度に関しても自由自在にならなければならないのだ。

 だが、カズネはまだまだそこに至る段階にはいない。


 とにかく、一番最初に会得しなければならないのは、花を枯らさずに咲かせられる様になること。


 それから、初めて次のステップへ行ける。訓練とはそういうものだ。

 ましてや、テストまであと一日。現在進行形で、カエデにも負担をかけっぱなしである。


「……カエデに申し訳ないよ」

「……はあ?」

「私のフォローばっかりさせて、自分の力を自由に使えていないからさ。……彼一人なら、……いや、もっと言えば他の人と組んでいれば、彼はもっとのびのびと好きな花を好きなだけ咲かせていたんじゃないかと思ってね」


 カエデは実際、秋咲人の中でもかなりの力の持ち主だ。

 誰よりも大きな草花を咲かせたかと思えば、風に吹かれればすぐに飛んでしまいそうなほど繊細で、けれど目が離せないほどに清楚な一凛の花を咲かせることも出来る。見上げるほどの大木は生き生きと踊り、枝葉に茂る葉っぱは目にも鮮やかな色を連ねて見る者全てを楽しませる。


 自分の指先にも花を咲かせることが出来るし、空に楽し気に舞い踊らせることも可能だ。


 彼は穏やかな物腰であるのに、力の使い方は大胆だ。

 今のカズネでは、どうしても足を引っ張ってしまう。

 彼は何一つ不満も漏らさないし、嫌そうな顔もしない。

 だが、それがかえって歯がゆくてたまらなかった。


「私はカエデの咲かせる花が好きだよ。正直に言うなら、彼の花を間近で見られる特権を誰にも渡さなくて良かったと思うくらいにはね」

「おー、熱烈だなー」

「ナツキやリンネの花も好きだけどね! 二人の花畑も楽しみにしているよ!」

「あら。ありがとうございます」

「うん。……うん。……だから、かな。好きだからこそ、……もっとのびのびと咲かせてくれるカエデの力を見たかった、というのもあるのかも」


 昔から、楽しそうに花を咲かせる友人達。

 人を楽しませたり、喜ばせたり、何より幸せになれと願いながら自らの花を咲かせる彼ら。それを見ていると、カズネまで幸せな気持ちになれたものだ。

 ついでに、カズネのことを悪く言う者達は、大人だろうが子供だろうが、彼らは花の洪水で押し流して撃退していた。裏を返せば、三人はそれだけの力の持ち主だという証明なのだが、それをカズネ一人のために使ってくれることも嬉しかった。

 だからこそ、カズネも彼らに何か返したかった。

 それは、管理官になるという夢を叶えて実行するつもりだったが。



「……私も。カエデや、君達が笑顔になる様な花を咲かせてみたい。そう、思ってしまったよ」



 のびのびと力を使って花を咲かせるカエデの――友人達のそばで、カズネもいつかりきまずに気負わずに優雅に元気に花を咲かせてみたい。

 今はそれが叶わないからこそ、もどかしい。

 その葛藤を今回のテストでは飲み込まなければならないのも悔しかった。

 だが。



「……。……てめえは、馬鹿だな」



 すこーん、と呆れた様に馬鹿にされた。

 ナツキのとんでもない罵倒に、カズネは「はいっ⁉」と立ち上がってしまう。同時に、椅子が思い切り蹴り倒されて床に転がってしまったので、それをいそいそと直してからナツキに向かい合った。


「何故馬鹿になるんだい⁉ ……は! もしかして、ナツキが馬鹿ってことなのかな?」

「ちげえだろうが。……いつ、オレ達が笑顔じゃなかったって言うんだよ」

「はい?」

「笑ってただろうが」

「? 何が」


 言っている意味が分からなくて、カズネは首を傾げる。

 本気で不可解だと全身でアピールすれば、ナツキはますます馬鹿にする様に鼻で笑った。



「てめえが花を咲かせた時、オレ達の誰が笑ってなかったって言うんだ?」

「――」

「好きだぜ、オレも。てめえの花はよ」



 真っ直ぐに、それこそ率直に「好きだ」とナツキはぶつけてきた。

 いつもは説教ばかりの言葉を放つが、簡素で、けれど何よりも強い単語おもいを投げ付けてくる。

 その眩いほどの強さが、波打つ様にカズネの胸を打ち付けた。


「枯れた色とかそんなの関係ねえ。……枯れていようが、色が付いていようが、てめえの花はてめえらしい。生き生きと楽しそうに、空に向かって走り抜ける様な花だ」

「……っ」

「いかにもてめえの性格が出ているじゃねえか。なあ?」

「はい。……私達はいつだって、貴方の花に元気づけられてきました。どんなことがあっても、どんな状態でも、私達はみんな上に向かって歩いて行ける。そう教えてくれていた様で、私は嬉しかったんですよ」

「……」



 生き生きと楽しそうに。

 元気づけられてきた。



 そんな言葉を聞いたのは初めてだ。

 確かに、彼らはカズネの花を好きだとは言ってくれていた。枯れた色でもふっくら育って美味しそうだな、とか。可愛いね、とか。そんな風にいつも笑ってくれた。



 そうだ。笑っていた。



 そこに愛想笑いは無かった。

 ただ、楽しそうに。

 笑って。



〝うわあ。カズネの木が、空に向かって伸びていってるよ〟

〝まだ伸びんのか。てめえ、まさか太陽まで登ろうとか言うんじゃねえだろうな〟

〝うふふ。でも、カズネが育てた大木なら、いつか星にまで届きそうな気がしますよね〟

〝よし。この隣に、俺の木を寄り添わせる〟

〝夫婦大木かよ〟

〝あら。負けませんよ。私の切ない冬景色。ご覧に入れましょう〟



 晴れた日のまっさらな青い空の下。

 いつだって、彼らは何だかんだと言いながら楽しそうに笑い合っていた。

 笑いながら、互いに互いの花を咲かせて、春夏秋冬を表現しながら日が暮れるまで遊んでいた。


 どうして忘れていたのだろう。


 いつの間に、カズネは自分といたら彼らが力を発揮出来ないなどと思う様になったのだろう。

 彼らはいつだって、何者にもはばまれることなく常に自由に力を振るっていたというのに。


「……そうか」


 委縮し過ぎていたのはカズネの方。

 足を引っ張ると嘆いて、カエデの足を引っ張っていたのはカズネ自身の心。

 カズネの力は、確かにまだまだ未熟過ぎて足手まといではあるだろう。

 だが、花を咲かせるのに一番大事なのは――。



「……ありがとう、二人共」



 すっと背筋を伸ばし、カズネはふんっと拳を握って気合を入れる。

 分かったのならば、行動あるのみだ。


「おーおー。やーっと。いつものカズネが戻ってきたなあ?」

「まあ。ナツキの心配も晴れて良かったですね」

「はあっ? オレ様は、ただ」

「カズネ。カエデとの合作、楽しみにしていますよ」

「うむ! 任せたまえ! 明日までには、君達もびっくりの花を咲かせてみせ――」

「――カズネっ」


 どんっと胸を叩いて請け負おうとしたカズネのところへ、少しだけ焦ったカエデの声が届いてくる。

 彼が焦るなんて珍しい。ナツキやリンネも、ふっと目を細めて走ってくるカエデの姿を見やった。


「やあ! どうしたんだい? 私も今からそっちに行こうと」

「――花、全滅した」

「――ん?」


 カエデの言葉が、上手くカズネの中に溶け込んでこなかった。

 だから、というわけではないだろうが、もう一度カエデは無情な現実を叩きつけてくる。



「……この二日で何とか用意してきた花。全部、駄目になった」

「――はい?」



 少しだけ陰りを乗せて歯噛みしてきたカエデに、カズネも、ナツキやリンネも、どういう顔をして良いか分からなかった。


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