絶対に、後悔する(1)
▽
原さんを探し始めて五部屋目ぐらいで、わたしはもう当たりを引いた。
控室や原さんの楽屋からはちょっと離れた廊下の先の部屋。
明かりもつけず薄暗い部屋の隅で、彼女は体育座りをして小さくなっていた。
「見つけた」
「……何よその目は。どっか行ってよ。というか天羽くんの友達ってだけの部外者がどうしてここにいるのよ。通報するわよ?」
言葉にこそ棘があるけれど、その声は弱々しい。
「一応、許可はもらってますから」
「あっそ。……それより、何であなたは見つけられたの? あたしを探してるっぽいスタッフやあたしのマネージャーが何人かこの部屋来たけど、皆軽く確認するだけして、あたしを見つける前に行っちゃったのに」
原さんが座り込んでいる場所は、部屋の隅である上に、周りに長机や椅子など色々と置いてあり、部屋の入り口から確認するだけでは人がいることに気づかないような場所だ。
だけどわたしは、この部屋に来るまでに入った部屋でも、こういう物影を中心に確認していた。
「……逃げることに関しては、多分わたしの方が経験豊富ですから」
「どういうこと?」
「嫌なことから逃げたいときって、こういう薄暗くて狭い場所に隠れたくなるじゃないですか」
原さんは怪訝そうな顔をする。共感を求められても困るという感じだ。
まあ確かに、隠れたくなる場所なんて人それぞれか。
だからわたしがあっさり原さんを見つけられたのは、ただの偶然なのだろう。
「……ねえあなた、あたしの代わりにヒロインやってよ」
体育座りのまま顔を伏せた原さんが、またしても弱々しい声で言った。
「この前のあなたの演技、ずっと頭にこびりついて離れないの」
「わたしは、舞台に立てません」
「あなたみたいな人間がそこらに転がってるのに、演技の才能なんてこれっぽっちもないあたしが主役を張る……なんて、おかしな話よね」
「そんなこと……」
「あたしはね、モデルの仕事が好き。服が好き。メイクが好き。デザインを考えるのも好き。あと、あたしの紹介したブランドや化粧品を試した子たちが嬉しそうに報告してくれるのを見るのも好き」
原さんはゆっくりと顔を上げる。
そして、そこで初めてわたしの目をまっすぐ見た。
「ただ好きなことを好きなようにしたかっただけ。好きって言ってくれる人にだけ好きになってもらえればいい。……ファン増やしたいとか、もっと有名になりたいとか思ってたわけじゃない」
「はい……」
「今回の仕事は、あたしを新しい世界に進出させたい事務所の方針。演技なんてできないのに。女優の仕事なんてしたいと思ったことなかったのに」
他の人たちに迷惑を掛けていい理由にはならないけど、彼女には彼女なりの悩みがあった。
原さんは、決して今回の仕事が気に入らないからぶち壊してやろうと思って隠れているわけではない。
怖いのだ。きっと、自分の実力が追いついていない仕事をさせられるのは初めてだったのだ。
その抗い難い恐怖心から、思わずここに隠れてしまった。ただそれだけのこと。
わたしはふと、原さんの近くにボロボロの冊子が落ちていることに気が付いた。
「台本。こんなにボロボロに」
「! か、返して」
「すごく練習、したんですね」
その台本は、たくさんの付箋が貼られており、赤ペンでびっしりと書き込みがあった。
「監督たちから言われたこと、反発してるみたいだったけど、ちゃんと全部メモしてたんですね」
「……いいから返して」
原さんは、わたしの手からひったくるように台本を奪う。
「『最後まで真剣に取り組め』って、あなたに言われなくたってそのつもりだったわ。ファンの子たちをガッカリさせたくないもの」
「ですよね。原さんはきっとそんな人だと思いました」
「……やけにわかった風じゃない」
「わたしも流行りもの好きな女子高生の一人ですから。原さんのSNSはよく見て、ファッションとかメイクとか参考にしてます。毎日の投稿からも、原さんがファンを大切にしてるのはわかりますよ」
わたしはそう言ってスマホを取り出し、フォローしている原麗華のアカウントを見せた。
最新の投稿には、自撮り写真と共に『今日は初舞台の初日! 楽しみます』という言葉があった。
「原さん。今すぐ戻りましょう。逃げたら絶対に、後悔します」
色々なことから逃げてきたわたしが言うのだから間違いない。
原さんはボロボロの台本をギュっと胸に抱きながら、睨むようにわたしを見る。
「最初からボイコットするつもりなんてなかったわ。言われなくても、もう戻るもの」
「そうですか……!」
「求められているレベルには到底達していないだろうけど、これまでの努力を水の泡にするなんて絶対に……ごめんよね」
彼女はスッと立ち上がり、部屋の出入り口に向かって真っすぐ歩く。
かすかにふらついているようにも見えたけど、意志の強さは取り戻していそうだ。
そして途中、何を思ったのかわたしの方を振り返った。
「そういえばあなた、名前は何だったかしら」
「武藤です。武藤瑞紀」
「そう。じゃあ、観客は観客らしく、客席から非日常の世界を味わってね……瑞紀さん」
そう言った彼女は、雑誌やテレビなどで見るような、天使だか妖精だかと見紛いそうな可愛らしい笑みを浮かべた。
そして今度こそ、部屋を出て駆けていった。
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