君ならやれたりしない?(3)
「そりゃ中止だろ。原さんのネームバリューで人呼んでるんだ。他の役なら代役立てられても、ヒロインだけは無理だ。……まあ、さすがにここまで直前だとどんな役でも代役は無理だろうが」
「だよね」
今回の舞台の劇場は、ものすごく大きな場所というわけではない。
それでも、中止なんて事態になったら、いったいどれだけの人に迷惑が掛かるだろう。どれだけの人をガッカリさせるだろう。
原さんが、それをわかっていないはずはない。
「ねえ武藤ちゃん。君ならヒロインの代役やれたりしない?」
突然、そんな声がかかった。
真剣な声の主は、つい数分前までへらへらしていたはずのイトウさんだ。
「え」
「……恭も全く教えてくれる気配ないけど、君どう考えても経験者でしょ? 原麗華なんかが十年レッスンを受け続けても到底追いつけないぐらいの才能が君にはある。残酷なことにね」
声が出なかった。
一瞬、原さんの代わりに舞台に立つ自分を本気で想像してしまったのだ。
自然と目線が下がり、手がガクガクと震えて出す。
だけどイトウさんは、そんなわたしの様子には気が付かないようで。
「この台本、原麗華を目立たせるようになってる一方で、初心者の彼女でも覚えやすいようにかなりセリフが簡素化されてる。武藤ちゃん、前見学に来たとき渡した台本を熱心に読み込んでたし、これから覚えられなくもないんじゃないか?」
「あ……いや……」
「確かに原麗華目当ての観客が多い以上、彼女が出演しないとなれば苦情が殺到するのは免れない。だけど、この直前になっていきなり中止になるよりは、代役を立ててでもやった方がマシだろ」
震えが最高潮に達する。
だめだ。絶対に絶対にだめなのだ。
──わたしが芸能界を退いたのは、
だけど直接的な決め手となったのは……台本を覚えられなくなってしまったからだ。
心因的な理由で引き起こされたと考えられるその症状は、今も治っていない。
部活で、誰もいない時間に台本を読みながら一人芝居をしてみることが度々ある。
それをするのは、楽しいからという理由の他に、症状が改善していないかチェックする目的もあった。
だけど、舞台上でも何でもないただ一人の空間であっても、台本を閉じた瞬間頭が真っ白になるのだ。
「瑞紀ちゃん。落ち着いて。ゆっくり深呼吸して」
「っ……」
血の気の引く思いをしていたわたしの肩を、恭くんが優しく抱き寄せた。
その声も、ゆったりとわたしの心を落ち着かせてくれるもので。
言われたように深呼吸をしてみるうち、震えはだんだん治まっていった。
でも、気持ちが落ち着いたのも束の間。
恭くんには、台本を覚えられないという症状のことを話していない。もし恭くんまでも、わたしに原さんの代役をやって欲しいなんて言って来たらどうしよう……と不安が広がっていく。
だけど、恭くんはそんなことは言わずに、代わりに厳しい声でイトウさんを
「イトウくん。ものすごく無茶なこと言ってるのは自分でわかってる?」
「……」
「瑞紀ちゃんは一般人だ。それに例えプロだとしても、そんな芸当はさすがに無理だよ」
「……わかってるさもちろん。僕も原さんがいなくなったことに少し気が動転したってだけで、本気じゃない。武藤ちゃんも困らせてごめん」
わたしは静かに首を振った。
冷静に考えてみれば当然だ。本気でそんなこと提案するわけがない。冗談として流せばいいだけの言葉だったのだ。
恭くんのおかげですっかり落ち着きを取り戻したわたしは、彼に小さく「ありがとう」と呟く。
それから、ゆっくり顔を上げた。
「恭くんの言う通り、原さんの代役をやるなんていうのは絶対に無理だけど。せめて、原さんを探すの手伝ってきます」
今のわたしにできることなんてそれぐらいしかない。
「
「瑞紀ちゃん……」
心配そうな目でわたしを見る恭くんに、わたしは力強くうなずいてみせた。
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