プロが見学に来たら素人集団はパニックになる(2)



 ……わたしが無責任にキャーキャー言っていた裏で、恭くんがどんな思いで演技をしていたのか。全く考えたことがなかいわけではない。


「あの頃からは変わったように見えたんだけどな……」


 無意識に出た呟きは、色塗りに集中し始めた恭くんに届かなかった。




 ▽



 完全下校のチャイムが鳴る10分ほど前になって、ようやく作業がひと段落した。


「ふー……やっと終わった」


 肩を回すと関節がポキポキ鳴る。

 単純な作業に飽きたのか、途中で恭くんはどこかへ行ってしまっていた。

 きょろきょろ見回してみると、部屋の隅で部長と何やら話し込んでいたのを見つける。


「恭くん」

「あ、終わった?」


 わたしの声に振り返った恭くんは、何やら機嫌良さそうにニコニコしている。

 そしてなぜか、その話相手になっていた部長は恭くん以上にご機嫌……というよりちょっと感動したように目を潤ませていた。


「……何話してたの?」


 こんな幸せそうな顔の部長初めて見た。そのうち鼻歌とか歌いそうだな。

 そう思って小声で恭くんに聞いてみれば、にこりと笑って首をかしげ、「秘密」と言われた。

 何かわからないけどその仕草が可愛いので癒された。疲れとんだ。

 恭くんはその笑顔をもう一度部長にも向けて言う。


「部長さん、今日はありがとうございました」

「こちらこそ、またいつでも見学に来てくれ! 歓迎する!」


 何やらとても仲良しになったらしい。いったいどのあたりで気が合ったのだろう。

 そしてわたしは、ご機嫌なままの恭くんと流れで一緒に帰ることになった。

 ……と言っても駅までだ。当然だけど、恭くんも普通の高校生みたいに電車通学してるんだなあと実感する。


「瑞紀ちゃん、今日は部活見られて楽しかったよ」


 もうすぐ駅に着くというときに、恭くんが改めて言った。


「突然見学なんて無理言ったのに受け入れてくれて、皆さん優しい人たちだった」

「でしょ? 良い人たちばっかなの」

「瑞紀ちゃんにとってあの部は、すごく居心地のいい場所なんだね」

「……うん」


 活動は週に数回程度、しかも幽霊部員多数の緩い部活だけど、この演劇部はわたしの大事な居場所の一つだと断言できる。

 可愛がってくれる先輩たちや、わいわいしゃべりながら一緒に道具作りをする同級生たちがいて。

 そして何より、演劇というものに関われる場所。


「わたしはこの演劇部が大好き。……なんて、改めて言うと照れるな」


 口にしてみてから恥ずかしくなって、えへへと笑って誤魔化す。

 すると、恭くんはなぜか足を止めた。


「ん、どうしたの?」


 そう言って恭くんの顔をのぞきこんだ、その瞬間だった。

 レモンの香り──恭くんの付ける香水の香りが、ふわっと強くなった。

 ……本気で意味がわからないのだけど、今のわたしの状況を一言で簡単に説明してみるとこうなる。

 恭くんに、抱きしめられている。


「ななななな、何事!?」

「……え、あ、ごめん」


 パニックになって裏返った声をあげると、恭くんはあっさりとその手を緩めた。

 というか、なぜか恭くんも自分自身の行動に戸惑っている様子だ。


「あれ、本当にごめん。今なんかこう、無性に抱きしめたい気分になって……でも本当にするつもりじゃ……」

「だ、大丈夫でございますよ!? むしろわたしこそご馳走様と言いますか……」


 やばい何言ってるんだ自分。

 収拾がつかなくなる気配がしたので、わたしはさっと後ずさって敬礼。


「じゃじゃ、じゃあ、わたしはこれで!」


 颯爽とまではいかないけど、振り返らず走る。


 やばい……顔あっつ……。


 心臓もたないんだってば本当に。


 まだレモンの香りが少し残っているような気がして叫びたくなる。

 くっ……やることがいちいちあざと可愛いズルいんだよ~!! でもそういうところも大好きだあ!!!

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