日常をぶち壊す転校生(1)


 席について十秒も経たないうちにチャイムが鳴った。

 武藤瑞紀による遅刻寸前チキンレース。本日は無事に勝利いたしました。

 うちのクラスの担任はいつもチャイムが鳴る前から教室で待機していて、遅刻常習者のわたしをいつも見張っている。一秒でも遅れようものなら容赦なく遅刻認定してくるのだ。

 だけど先生、今日はまだ来ていない。これなら走る必要なかったじゃんと少々後悔。

 そして、遅れている理由はすぐに思い当った。


「そっか、転校生が来るんだ」


 ずっと何もなかったわたしの席の隣に、昨日真緒が運び入れた机がある。

 先生は漫画とかでよく見る、『さあ皆、席につけ。今から転校生を紹介するぞ。さ、入って』ってやつをやるために遅れてるんだな。間違いない。

 そんなことを考えながら、わたしは手鏡片手にぼさぼさになった髪を直す。と、ようやく先生がやってきた。


「さあ皆、席につけ。今から転校生を紹介するぞ」


 本当に言った。ちょっと笑ってしまう。

 だけど先生は、それに予想していなかった一言を付け足した。それも一番後ろの席のわたしを見ながら。


「……武藤、頼むから叫ぶなよ」

「へ?」

「さ、入って」


 先生に合図されて入ってきた人を見た瞬間、心臓が止まる思いをした。

 まず目を奪われたのは、地毛にしては明るい茶髪と、横顔だからこそ際立つ高い鼻。

 他の男子たちと同じうちの高校の制服を着ているはずなのに、姿勢の良いすらりとした長身も手伝ってどこぞのハイブランドの服に見える。

 教卓横まで来て前を向けば、整いまくって明らかに次元を一つ間違えているお顔の全体像がお披露目された。

 初対面の人間約四十人を前にしても、一ミリも緊張する素振りは見せず、白い歯を少しのぞかせて笑う。

 そして、一般人にはない、特有のよく通る声で言った。


「はじめまして、天羽恭です。今日からクラスメイトとして、ぜひ仲良くしてください」


 名乗った。確かに天羽恭と名乗った。

 そっくりさんとかじゃない。もちろん、こんな国宝級イケメンのそっくりさんなんていても困るのだけど。


「き……! ききききききききき」


 わたしの口から、小型の猿もしくは南国の鳥が発するような奇声が漏れた。

 教卓の方から先生の視線を感じて、慌てて口を押さえる。


 ──待って、落ち着こう。そんなわけがない。そんなわけがなかろう。


 静かに目を閉じて、深呼吸。

 頬をつねって痛いのを確認してから、そっと目を開ける。

 すると、国宝級イケメンだったはずの転校生は、ごく普通の冴えない感じの男子生徒になっていた……

 …………………………なんてことはもちろんなく。国宝は国宝のまま。


「う……そ……」


 貧血を起こしたときのように目の前がちかちかして、ぐらっとなる。

 わたしがいるのと、間違いなく同じ空間に。

 全力ダッシュすれば三秒ぐらいで手が届いてしまう場所に。


 あの天羽恭が。

 推しが。

 ……いる。


「あー……武藤のせいで知っている者も多いかもしれないが、天羽は芸能活動をしていてな。全ての授業に参加できるわけじゃないから、色々と助けてやるように」


 先生はクラスの皆にそう言った後、またジトっとした目をわたしに向けた。


「ちなみにおれは、武藤がいつも騒ぎ立てている芸能人が天羽だということに、昨日他の先生に言われて初めて気が付いた。席替えをしておかなかったこと、今全力で後悔している。……天羽、非常に居心地が悪いと思うが、窓際から二列目の一番後ろ、武藤の隣に座ってくれ」


 皆からどっと笑いが起きた。

 まったく、何て言われようだ。わたしそんなに信用なかったのか。

 ……というかそれより、恭くんの前でわたしの名前を連呼しないでほしい。

 そんなに名前を呼んで、恭くんがわたしの名前を覚えちゃったら、認知しちゃったらどうしてくれるんだ。

 そして、「わかりました」と言った恭くんがわたしの隣に来たとき、その懸念は現実のものとなった。


「よろしくね、武藤さん」

「っ……!」


 恭くんが、甘さと落ち着きを兼ね備えた聞き取りやすい声で、わたしの名前を確かに呼んだ。

 待ってでもそんなことより顔が良い。やばい。ねえやばい。

 テレビや雑誌、それから舞台でオペラグラス越しに、リアルに親の顔より見てきた御尊顔。今まで見た中で一番画質良いよ。

 当たり前か。だって目の前にいるんだもんな。至近距離だもんな。

 ……と、頭で色々と感情が溢れ出していたけれど、現実のわたしはその間フリーズしてしまっていて。

 恭くんが困ったように少し眉を寄せて、もう一度名前を呼ぶ。


「あの、武藤さん?」

「あっ……ヨロシク……」


 辛うじて絞り出した声はずいぶんと上ずっていた。

 そんなわたしの返事に、恭くんは嬉しそうな笑みを浮かべた。

 もう一度言う。笑みを浮かべた。

 ………………なっ、何今の!?

 ビシャぁっと、雷に打たれたような衝撃が走る。


 は? え? 待って?

 今、わたしに向かって微笑みかけた?

 なに、え……

 あなたの笑顔にいくらの価値があると思ってるんですか?


 その顔は全世界に向けて発信するものであって、転校初日にたまたま隣になったクラスメイト限定のものにしたらダメでしょ!?


「壁に……壁にならなきゃ……」


 認知されてしまったのだとしたら、せめて「あ、言われてみればそんな奴いたな」程度になれるよう、気配を消そう。それしかない。

 静かに……極力静かに……。

 ていうか、くっ……どうしてわたしの目はカメラじゃないんだ。さっきの笑顔、記録して現像したかった!!

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