第43話 可愛い系の後輩男子
午後の講義を終えると僕は速攻バスに乗って帰宅した。
バス停にてバスを待機している間は、猫俣さんや木原さんたちにつかまらないかヒヤヒヤしたが、特に何事もこらず町まで帰ってくることができた。
今日の大学は波乱万丈だった。明日から僕の大学生活はいったいどうなってしまうのか、そんな心配に悩みつつ、しかし僕は今晩のメニューについても考えていた。
日和さんから、帰りが遅くなりそうだと連絡があった。日和さんが僕の家に泊まっている間は、夜ご飯は彼女が作るという話になっていた。だが彼女の帰りが遅いということであれば、今日の晩御飯は僕が作ろうではないか。
と言っても僕は料理を得意としないし、そもそも全然やらない。それでも一品だけ、好きだからたまに作る料理がある。もちろん、インスタントや冷凍食品なんてオチではない。せっかくなので、今日はその料理を彼女に振るってみようではないか。
バスを降りると僕は大型デパートに向かった。そして食材コーナーでバスケットを手に取ると、主婦に交じって野菜を物色する。
今晩作る料理に必要なものは、まずはズッキーニ。それからナスと、ピーマンと、パプリカ。玉ねぎ……は家に余っているな。それから……
「トマト、必要ですよね」
と、野球ボールほどの大きさのトマトが二つ、バスケットに入れられる。
「そうそう、トマトと……」
……は?
僕の探していた野菜を、誰かが入れた。
「先輩、お疲れ様っす」
ああ、このどこか中性的で、それでも男特有の低さを感じる声には聞き覚えがある。
「……おい百地、何を作るかも話してないのに食材を持ってくるな、こえーよ」
「いや、先輩のカゴの中身を見たら、すぐに何を作ろうとしてるのかぐらいわかるっすよ。というか先輩が料理するなんて言ったら、大体ラタトゥイユしかないじゃないっすか」
と、そいつはつぶらな瞳でこちらを見上げながら、まるで僕のことならなんでも理解しているのだと言いたげに胸を張った。
「いや決めつけるな。合ってるけれど」
いつの間にか僕の隣に立っていたそいつは百地波人。今朝僕にメッセ―ジを送ってきた高校時代の後輩だ。
懐かしい高校のブレザーを着て、僕より小柄で身長も少し低め。それに合わせ声が中世的で、そして可愛い系の狸顔と、ふわふわした雰囲気から、時折女子っぽく見えてしまうことがある。だが、こいつは普通に男だ。
「でも、カレーやシチューを作ろうとしてる可能性だってあっただろ? 材料的に」
「それでも先輩は、ラタトゥイユしか作らないでしょ」
なんて笑いながら僕の腕にしがみついて、バスケットの中をよく確認してくる。
「あと必要なのは、ニンニクと玉ねぎっすか?」
ソープのような清潔感のある良い匂いがする。
しかし、男なのにベタベタしすぎだ。
「くっつきすぎだっての」
と僕は百地を引っぺがす。あ~……なんて、百地は気の抜けた息を漏らした。
「ニンニクも玉ねぎも家にある」
「そうだ、キノコを入れても多分美味しいっすよね」
「あー、それもそうだな」
と、僕は百地の意見を採用し、近場に売られていたしめじを手に取った。
「ていうか、お前はここで何をしているんだ?」
「ジュースを買いに来たら、たまたま先輩の姿が見えたので」
しめじをバスケットに入れようとしたとき、ペットボトルのオレンジジュースが野菜に混ざって入っていたことに気がついた。
「おい」
「えへへ、先輩もう大学二年生じゃないっすか。ジュース一本くらいおごってくださいよー、ぼくよりお金持ってるんでしょ?」
「まあそれくらいいいけれどさ」
「あざっすー。お礼に今度ぼくの家でいいことしてあげますねー」
「いいことってなんだよ」
「えへへ、秘密です。ついでに、誕生日プレゼントも渡したいので、マジで遊びましょうね」
「別に気にしなくてもいいのに」
僕の誕生日からはもう一か月以上は経っているし、何よりお前は後輩なんだ、プレゼントなんて気にしなくてもよいというのに。
「いやいや、親愛なる木野先輩ですから」
えへへと笑う。まったく、ずうずうしく、けれど可愛らしい後輩だ。高校のころから甘えてきては、しかし献身的な部分もあって、つい可愛がってしまう。気がつけば自然と頭を撫でていることだってあるくらいだ。
「それに、朝メッセージでも送ったんすけど、新しく買ったゲームがあって、それを先輩とやりたいんすよ」
「ああ、それってなんなんだ?」
「それも秘密っす」
百地はあざとく、人差し指を自分の顔の前に持ってきた。
それから世間話をしながら、食品コーナーをたむろした。
「すごい運命っすね。まさかあの栗村先輩と付き合えるなんて」
僕は日和さんと居酒屋で運命的な出会いをして、そして速攻つき合った話をした。
「ほんとだよ。運命を通り越して、もう奇跡かな」
「そっかー。先輩にも春が来たんすね」
なんて話しながら、お菓子のコーナーを並んで歩いた。
「でも、栗村先輩をずっと好きだったなんて、木野先輩も変人っすね」
「えーそうか?」
「そうっすよ。だって、あの日の出来事って、ただのNTRじゃないっすか。普通は脳が破壊されて、もう好意なんて消え去るものだと思うんすけれど」
まあ確かに、忌まわしいあの出来事はNTRだった。想い人から放課後の空き教室に呼び出されたかと思ったら。その想い人である日和さんがほかの男とキスをしていたのだ。別に、僕と日和さんは付き合っていたわけではない。けれどあのときのショックは大きかった。
「いや、付き合ってはいなから、BSSってやつっすかね。というか、べろちゅーをしてたってことは、栗村先輩ってもうそれ以上も経験……」
「おい!」
嫌な話を広げてくるものだから、僕は百地の頭頂部にチョップをかます。
「やめろ。もう過去のことはいいんだ。今つき合えてるんだから、ラブラブなんだから、それでいいんだ」
「先輩、ラブラブだなんて歯の浮くようなゾワゾワすること言うんすね。絶賛付き合い立てのフィーバー状態ってとこっすか?」
「別に、ラブラブなんて誰でも言うだろ? 小学生カップルでもよく使う言葉じゃないか」
意外に辛辣なことを言ってくるのが百地である。
そんな感じで、二人でチョコレートを物色しながらしゃべっていると。
「あれ、木野くんと、百地くん?」
そこに知っている声が入ってきた。
「この声は、弥先生っすか?」
「はい、弥先生ですよ」
二人で声のする方へ振り向くと、そこにはついこの間会ったばかりの人がいた。
「こ、こんにちは先生」
「こんにちは。木野くんは久しぶり、ではないよね」
学校の帰りだろう弥先生は、この間会った時と同じく、ブラウスにロングスカートと女教師スタイルだ。髪を後ろに、グレーの装飾がついた髪飾りで結んでいる。
「先日会ったばかりですもんね」
「えーそうなんすか」
先生のバスケットを覗くと、日本酒のパックとウィスキーの瓶が入っていた。
「先生、結構お酒飲まれるんですね」
「ああこれ? 飲まないとやってられなくて」
先生の顔は相変わらず疲れていた。目の下にメイクで隠し切れていないクマと、蒼白の肌、そして力のこもらない立ち姿。クタクタなのが見て取れる。
「だ、大丈夫ですか?」
「うーん、ちょっと厳しいかな?」
この間は大丈夫だなんて僕の前で言っていたが、今回は軽く弱音を吐いた。
「弥先生、今年から学校が変わったんすよ」
ああ、その転任先がちょっと辛い感じだったのか。生徒に難があるのか、他の先生とうまくいっていないのか。
「まあ、まだ新しい学校に慣れていないだけだから。もう少ししたら自然と慣れてくると思うよ」
僕の担任だった頃には一度も見たことがない、ひどく疲れた顔。見るからに分かる空元気は、生気をとても感じない。まだ慣れていない、どころではないような気がして心配になる。
「あの、僕でよければ、愚痴のはけ口くらいにはなりますよ。僕ももうお酒を飲める年齢ですし」
僕が心配したところでおせっかいになるかもしれない。それに僕なんかが学校の問題に口出しすることはできない。けれどお酒の席であれば、愚痴を聞くくらいであれば、僕はこの人の手助けになれないだろうか。
「こら、彼女がいる男の子がそういうことを言うんじゃないの。先生、君にそういう誘いをされてるんじゃないかって勘違いしちゃうよ」
「そ、そういう誘い?」
なんて笑いながら、先生は僕の肩をポンとたたいた。近づく先生からはどこか刺激的でスパイスのような、でもすっきりとしている良い匂いがした。
「でも、僕は先生が心配なんですよ」
「ありがとう。木野くんはほんと優しいね。その気持ちだけで十分だよ」
先生はほころんだ表情をしたが、それでも辛そうにしていて見るに堪えなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます