第40話 総料理長の矜持

「失礼する。お約束させて頂いたボルギン・ペングウィンカ、只今参った」


 入り口をガラリと開けて現れたボルギン氏は、その後ろの秘書兼使用人だろうか、ラミアのメイドを一人引き連れて入店した。


「お待ちしてました、ボルギンさん。改めて、『祝いの翼亭』の店主、タリガ・カラスカです。そして、こちらは妻のルリカです。よろしくお願いします」


 タリガたちは揃ってぺこりと頭を下げると、ボルギン氏もそれに習って頭を下げた。


「ご丁寧にどうも。店主殿には名刺をお渡しさせていただいたが、改めて……。『ガストロノミー ラ・メール・フンボルト』で総料理長を務めさせていただいている、ボルギン・ペングウィンカと申す者だ。それとこちら、付き人として秘書を同席させていただくことをお許しいただきたい」


 ボルギン氏が身を引き、メイドがするりと前に出てスカートをつまみ上げ、カーテシーの構えで一礼した。


「ボルギン様の秘書を務めさせていただいております、ノメドリ・ウミスズメカと申します。よろしくお願いします」


 タリガたちが挨拶を返すと、ノメドリは前に出た時と同じくすっと身を引き、ボルギン氏の半歩後ろにて待機した。




「それで……高級料理店の総料理長ともあろう方が、どうしてこんな小さな大衆食堂に?」


 タリガは早速本題とばかりにボルギン氏に問いを投げかけた。


 丁度そのタイミングでルリカが人数分のお茶を用意したため、ボルギン氏は「ありがとう」と礼を言いながら、口を湿らせる程度にお茶を飲んだ。


「うむ、その事でしたな。実はここ最近、この店はずっとウチの店の若い衆の間で噂になっておりましてな。曰く、『新しくできた大衆食堂が、高級料理店ウチ顔負けの丁寧なサービスと、非常に美味なる料理を、手頃な価格で提供している』、と」


 ボルギン氏は一旦視線をタリガから外し、店内を見回し――再びタリガを真っ直ぐに見据える。


「そう、こちらのお店の事です。なので、ずっと興味を持っておりましてな。だが、私も中々忙しく、来店すること叶わぬまま月日が流れていったところ……つい先日、『件の店がカイギュウ肉を扱い始めた』との話を聞きましてな」


 ボルギン氏はテーブルに添えられたカイギュウパスタのポップをちらりと見やった。


「カイギュウ肉……いくら『ラ・メール』を冠するレストランとはいえ、流石にホークアイでは入手困難な代物は、滅多に扱うことがない。しかし、期間限定とはいえ実際に取り扱っているとなれば……料理人として、興味をそそられるのも無理からぬところでしょう」


「それで、実際にウチの店にやってきた、と」


 タリガの問いにボルギン氏は「ええ」と頷き、再び少量のお茶で口内を湿らせた。


「正直に申し上げよう、シェフ・タリガ。私はあなたに嫉妬した。私も随分昔ではあるが、一応カイギュウ肉を調理したことはある。だがその時は、精々シンプルにソテーにして仕上げた程度……海鮮と合わせたパスタのように、ここまでカイギュウのポテンシャルを引き出すことはできなかった。私のプライドは傷つき……しかし、同時に燃え上がった。当時の私はありきたりな手段に逃げたが、今の私なら……もう一度、カイギュウ肉にチャレンジしても、より美味しいものを作り上げることができるはずだ、とね」


 ボルギン氏は身を乗り出し……そのまま深く頭を下げた。


「突然で大変不躾な申し出ではあることは重々承知している。しかし、私にもこの国でも最高峰の料理人であるという誇りがある。シェフ・タリガ、私にも挑ませてほしいのだ、あなたの料理に、カイギュウ料理に!」


 総料理長という立場でありながら、あっさりと嫉妬を認めて、その上で頭を下げてカイギュウ料理に挑もうとするその姿勢……この男の料理への姿勢、どこまでも正直で、真っ直ぐである。


 ボルギン氏に熱いものを感じ取ったタリガは、「顔を上げてください」と声をかけると同時に――目の端で店の入り口に現れた気配に、内心ガッツポーズを取った。


 実にグッドタイミングだ。


「大将さーん、邪魔しまっせー。……おや」


 ガラガラ、と現れたのは、例によってサブランとハマユのエルフ兄妹であった。




「あー、なんやお取込み中やったみたいでんな。出直しますわ」


「いや、むしろ好都合だ。こっち来て座ってくれ」


 すごすごと引き下がろうとするサブランにタリガが手招きをし、彼らにボルギン氏を引き合わせる。


「唐突で申し訳ない。サブラン、こちらボルギン・ペングウィンカさんだ。『ガストロノミー ラ・メール・フンボルト』っていう、ホークアイでも指折りの高級レストランで総料理長を務める偉い人だ。ボルギンさん、こちら『ユリカ商会』のサブラン・ユリカ。ゴートホーンの出身で、ウチの店にカイギュウ肉を卸してもらってる商売人です」


 流れるようにして互いの紹介を行うと、サブランとボルギン氏は慌てて互いに名刺を交換して、ぺこりと頭を下げて挨拶した。


「正直、ここから先はウチよりもお二人さんの間で話をした方がいいんじゃないかと思いましてね。サブラン、ボルギンさんが『ウチでもカイギュウ料理を取り扱いたい』とのことだから、任せてしまってもいいか?」


 サブランはぱぁっと顔を明るくし……そしてすぐに商売人としての営業スマイルを構えた。


(成程、そういうことでおましたか。高級な店にもカイギュウの肉の味が知れ渡ったんは、ちぃーっと早い気もするが『機が熟した』と見るべきやな。ホークアイの庶民の皆さんにはカイギュウ食の文化がきっちり浸透して、今度は上流階級のお偉いさんたちにまで伝播しつつある段階に来たんや。冒険者向けのカイギュウ保存食はまだ開発段階やが、ホークアイ全土にカイギュウ食を根付かせるためにも、これは絶対逃したらアカン……!)


 僅か瞬き一回する時間の間に、サブランの脳内で思考が即座に走り、結論に至る。


 相変わらず、この商人の頭の回転の速さは恐ろしいものがある。


「よろしい! ちゅうことは商談でんな! ボルギンさん言いましたな、よろしゅう頼んます!」


「こちらこそ……! サブラン殿、是非ともよろしくお願い申し上げる……!」


 大商人と最高峰の料理人は、互いにがっちりと握手を交わした。

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