第12話 春樹の部屋で
スナック茜から帰って来た玲香は、玄関ホールで壁にもたれて座っている春樹を、そのままにして部屋の明かりをつけた。
6畳間には万年床が敷いてある。部屋はハッキリ言って豚小屋だ。
玲香は、これじゃ春樹に女性など、いるはずもないと思った。
大きなごみ袋(名古屋市指定)が部屋の隅で大きな口を開けている。ちり紙が、万年布団の足元に落ちている。
エロ雑誌、エロビデオ、脱ぎっ放しのシャツ、服、靴下、こたつ台にリモコン、コーヒー缶、UFOと書いてある食べ終えたカップ麺、割りばし、畳の上は素足で歩くと、ゴミが足裏に刺さる感じだ。
キッチンは、ゴミの山、玲香はこの部屋を見たら、酔いがいっぺんに吹っ飛んだ。
春樹に目をやると高いびきで玄関ホールで横たわっている。
とりあえず、春樹に毛布を掛けると、片づけ物から始めないと掃除もできない。
その気になればすぐに片付くと自分に言い聞かせると、玲香は部屋に散らばっている殆んどの物をすべて分別しながらゴミ袋に入れた。
ビデオは守山区の小幡にあるゲオレンタルビデオ店から借りているようだ。返却日が明日に迫っていた。
要らんものとは、汚いシャツ、パンツ、服、全部要らない、私が後で買ってやればいいだけだ。何も問題ない。
そして、5袋に詰めたゴミ袋を外の玄関横に置いた。掃除をするにも、掃除機が見当たらない。ほうきも無い。
玲香は玄関ホールで寝ている春樹を起こさないようにして、そおっと、通りにあるファミリーマートへ走った。
雑巾、マイペット、タワシ、サンドイッチ、牛乳などを買うと春樹の部屋に戻り、ほうきでゴミを掃き出して、畳をマイペットで雑巾がけをした。
万年布団をベランダで叩く。夜中にどうかと思ったが、知った事ではない。それよりも畳の至る所に少しアオカビが生えている。
汚い!こうなると春樹が起きても構わないと思いながらゴシゴシ拭いた。
小さな冷蔵庫に入っていた期限切れの牛乳やお茶も取り替えた。
23時に帰って来て、もう午前2時だ。掃除に3時間も掛かった事になる。春樹を布団の上に寝かせようと、起こすがなかなか起きない。
「ハルキ!起きて、ねぇ、起きてよ!」春樹を揺り起こしていると、着ているTシャツのシミが目についた。
多分、スナック茜で嗚咽した時に付着したシミだと思った玲香は、部屋に唯一あるタンスから春樹の着替えを探した。
一番上の段には書類や靴下類が入っている。2段目には会社の制服が入っていた。
3段目は上着、4段目にズボンが入っている。
下着はと云うと、5段目に入っていた。
コインランドリーで洗ったのだろうが、丸まったまま無造作に引き出しの中に放り込まれていた。
よれよれのTシャツを出してくると、春樹の着ている汚れたTシャツを脱がして、きれいそうなよれよれのTシャツに着替えさせた。
ズボンを脱がし、万年床に春樹を寝かすと、少し気が付いたようだったがすぐにまた寝てしまった。
玲香は『パンツも・・・・・』と、思ったがそれは思いとどまった。
「頭が痛い、はぁ、なんだか目が回る」
春樹がぼやいている。半分は寝言のようにも聞こえる。
タンスに入っている会社の制服はともかくとして、よれよれの安物の衣類もついでに捨てる事にした。
玲香はこたつ台の上に〔牛乳は冷蔵庫に入っています。食べてください〕と書いたメモをサンドイッチの下に置いて、ひとまず、家に帰る事にした。
GOOでタクシーを呼ぶと、玲香は春樹の部屋の鍵をかけて、本山のマンションに帰った。
玲香がマンションでシャワーを浴びて床についたのは、もう、4時近くだった。
玲香は、明日の事を考える。春樹のスケジュール表は明日は連休になっていた。
問題は自分だ。明日、会社に電話して〔頭が痛い〕と言って休む事にしようと思った。そうなのだ、明日の事を考えれば、確かに頭が痛い。
今から寝て、朝、10時には起きて、タクシーで、錦のジャンボパーキングに行き、春樹の青いカローラを取りにいかなければならない。
そして、戻って来た時、春樹が起きていればいいが起きていなければ、先にイオンに行って春樹の下着や服を買ってくるか、あるいは春樹が起きるのを待って二人で買い物に行くかだ。なにしろ、春樹の着るものが何もない、全部捨ててしまった。そんなことを考えながら玲香は眠りについた。
翌朝、9時には目が覚めた。ママからメールが入っている。
『昨日はありがとう、あれから、春樹、どうでしたか?』
玲香はあかねに電話をした。
あかねが寝ていたら、あとで、かけなおせばいいと思った。
呼び出し音、5回目であかねは出た。
「朝早くごめんなさい、起きていましたか?」
「昨日はありがとうね、春樹 どうだった!」
「大丈夫です、高いびきで寝ていました。昨日は本当に大変でした」
「一緒にいるの」あかねが言う。
「私は朝方、家に戻って今まで寝ていました」
「あ・・ぁ、そう、一緒じゃなかったんだ」
「もう、なにしろ、春樹の部屋は豚小屋以下で、とても座る所もなくて、
万年床に春樹を寝かすとすぐに高いびきで寝てしまいました。私はそのまま帰る気にもなれなくて、掃除でもして帰ろうと思い、春樹の汚い下着から服から全部ゴミ袋に入れて捨てました。そして、キッチンの回りもきれいに片づけて、畳も拭いて、あれから3時間近く掃除をして、それから家に戻って今まで寝ていました」
「そう、豚小屋だったの、そうね、男の一人者ってそうかもしれないわね。大変だったわね、もう、りっぱな世話焼き女房じゃないの春樹も幸せだわ、だけど、本人、わかっているのか、どうか、言い聞かせないとわからないかもよ」
「私が世話焼き女房なら、ママは世話焼きお母さんですね」
「ちょっと、私、そんな年じゃないから」
二人で大笑いだ。
「じゃ、私、今からジャンボパーキングに車を取りに行きますので・・・・・」
「あ、春樹の車があったわね、私、今、実家にいるから会えないけど、また、来てよね。なんだか、れいちゃんも身内のような気がするの、会ったばかりなのに、私と同じ匂いがするの」
「ママ、私も全く一緒、前世で、親子か姉妹か、縁者だったんですよ、きっと!」
「そうね!きっと、そうだわ、じゃ、そういう事で長い付き合いをしましようね!今日から、姉妹でいいかしら」
「はい、お姉さま」
本当になにか通じるものがあると玲香は思った。
猫洞通りから本山駅まで歩いても5分もかからない所に玲香は住んでいた。
春樹の部屋の鍵と車の鍵を黙って持ってきている。
極力、春樹が寝ているうちにカローラを取って来たいと思った。
丁度、平和公園から下りてきたタクシーを捕まえると錦に向かった。
ジャンボパーキングから車を出して桜通りから、環状線、そして、千代田橋を渡ると苗代まで20分もかからない。会社のすぐ近くだ。
会社の事をすっかり忘れていた玲香はスマホを取り出すと、車の中から会社に電話をした。課長が出る。
「すみません、上野です。腹が痛くて・・・・・生理痛みたいなんです。お医者さんへ行ってきますが、今日は休ませてもらえますか」
「そう、無理しないでね、そうだね、病院行ってきた方がいいね、もし、明日になっても辛いようだったら、無理しないで電話してくれればいいからね、お大事に」
「はい、よろしくお願いします」
腹が痛いような声を出して話をしていると、本当に腹が痛いような気がした。
春樹のアパートに着くとトントンとドアをたたいて様子を伺った。
出てこないと思って、ドアにカギをさそうとしたその時、中から足音が聞こえてきた。ドアが開く。春樹は眠たそうに目をさすっている。
「今、起きたの?」
玲香は平然と部屋に入って行った。断りもなくスタスタと入って行く玲香を目で追いながら、春樹は、部屋の中がいつもと違うのに気が付いた。
「あれ、ここ、上野さんの家?」
「何が上野さんの家よ レイカでしょう、昨日、玲香って呼ぶって言ってたでしょう。結婚してくれるとも言ったじゃない、まさか、あれ、嘘じゃないよね」
玲香は春樹の顔を凝視しながら迫った。
「ええっ!」
春樹は大きな声を張り上げた。一気に目が覚めたようだ。
しばらく――沈黙が続く――玲香は優しい声でなだめるように言った。
「覚えてないの!ママの前で『俺たち結婚します』って春樹、言ったでしょう!私のオッパイにしゃぶりついていたじゃない・・・・・」
春樹はオッパイと聞いて、
そういえば、オッパイをさわっていた記憶がある。
あ、そうか、上野さんとウナギを食べに行って、その後、スナック茜に行ったんだ。
ブツブツ言いながら思い出そうとしている。
玲香は、あんまり正確に思い出されても都合が悪いと思い話をずらした。
「ねぇ、春樹」
昨日までの泉さんが春樹に呼び方が変わった。
「春樹、おなかすいていない、サンドイッチを買ってきたけど、食べる!
牛乳も新しいのを買ってきたのよ、冷蔵庫に入っていた物、全部、賞味期間が過ぎていたから捨てたからね」
こたつの上に置いてたサンドイッチの袋を破ると、春樹に手渡した。
そして、牛乳を取り出してコップに移した。「ハイ」っと言って手渡す。
サンドイッチを食べながら春樹はまだ、状況が呑み込めていないようだ。
「ここ、俺んちだよな、す~ごくきれい!どうなった、上野さん、掃除してくれたの」
「だから、上野じゃないって言ったでしょう! れいか、レ・イ・カよ!
ちゃんと言ってみて、私の顔を見て『れいか』って呼び捨てにして」
玲香は春樹の顔をじっと見つめる。
6帖の部屋で立ったままのやり取りだ。外に聞こえていてもおかしくないと玲香は思った。
「早くっ!」と言ってせがむ。
「れ い か 」 春樹は言葉をつづるように言ってみた。
「もう一度、ううん もう、10回 呼んでみて」
「えぇー」
照れくさそうに、玲香、玲香って指折りしながら春樹は言った。
「昨日、ごめんね! ママがレモンサワーに焼酎を混入させていたみたい。
あとから誤っていたけど、だから、タクシーで帰って来たの、覚えてる?
大変だったんだから、私一人で春樹を担いで、その汚いせんべい布団に寝かせたんだからね、わかる?」
玲香はここで、しっかり、恩を売って、嘘も事実に塗り替えたいと思った。
「どう、頭痛くない、二日酔いしてる?大丈夫?」
「そういえば、確かに玲香さんと帰って来たような気がする」
春樹がつぶやいた。
「じゃ、玲香さんは・・・・・」
話しかけてる春樹に玲香が怒鳴った。
「だから、『玲香さん』じゃないでしょう!本当にわからないんだからもう一度、言い直して」
「じゃ、玲香は昨日、ここに泊ったんだ」
「そう、その汚いせんべい布団で一緒に寝ていたでしょう」
「そうなんだ」
春樹はそう言われれば、そんな気がすると思った。
「ねぇ、今から買い物に行って、うちに来ない」
玲香がとろけそうな笑顔で春樹を誘った。
すると、春樹が思い出したように
「あ、そうだった!車、取りに行かないと、お金、高いだろうな、3,000円位かな」
「4,500円」 玲香がつぶやく
「4,500円って、なんでわかるの!」
「今朝、春樹が高いびきで寝ている間に取って来たわよ、ほら、あそこに見えるでしょう、ついでにガソリンも入れて来たわ」
「本当に・・・・・ありがとう、ガソリン代いくらだった」春樹が聞くと・・・・・。
「いいわよ、だって、結婚してくれるんでしょう!私を抱いといて、今更、いやだなんて言わないでよ」
「本当に、本当に俺でいいの」
「仕方ないじゃない、夕べ、強姦されたんだから・・・・・」
「してない、してない、してない」
春樹は首を何度も横に振り続ける。
玲香が今とばかりに言った。
「ねぇ、結婚式、いつがいい」
甘えた声で春樹にせがんだ、春樹は展開の速さについていけないようだ。
「まだ、ちょっと早いから・・・・・」
「じゃ、いつ 今年の秋、冬、正月?いつ!」
「だって、お金を貯めないと・・・・・」
「あ、そういう事ね」
玲香は肩の荷が下りたような気がした。
「お金の心配はしなくていいから・・・・・私、お金持ちだから」
「玲香はお金持ちかもしれないけど、俺はそんなに持っていないから、
結婚式代くらい、俺の甲斐でするから・・・・・」
「じゃ、いつ!」
「そのうち」
「そのうちっていつ」
ちょっと、待ってと思いながら、
「来年!」
それを聞いた玲香はしてやったりと思った。うれしくて、嬉しくて、うれしくて 春樹に抱きつくと、あつ~いキスをした。長~いキスだった。
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