鍵守り

華や式人

第1話 敗北

 十五年前。ハージンは「二つ刃」の名を冠して最強の名を欲しいままにした。

 右手に持つは「明滅の槍」。振るえば遠くの相手すら屠る、闇の刃を持つ魔槍。

 左手に握るは「光の剣」。その昔、北方国の諸王に下賜された闇を穿つ聖剣。

 ハージンの振るう刃によって多くの魔族が屠られ、北方国に勝利をもたらした。

 だがそれも十五年前。──三十路近くだったハージンもすでに四十を超え、老齢が見えてきた。

 ハージンはいまかつての名を捨て、中方国で暮らしている。北方国でおきた様々なことを胸に秘めて、老衰のまま時の流れを作物と暮らしている。彼は自ら思っていた。「我ながら平和に暮らしているものだ」、と。そして、「末永く命を育んで暮らしたいものだ」、とも……。

 彼女が押しかけるまで、その願いは永遠だった。

 だが今、喧騒と共にハージンの平穏が終わりを告げる。

 「お邪魔しますよ~」 

 ドアを腐食させて一軒家に押し入ってきた女性を見た瞬間、ハージンは察した。己がまた殺し合いの喧騒の中に放り込まれることを。

 それは神がもたらす天啓のようなもの。覆せはしない。だがまだ、ハージンには抗うことができる。

 ならば抗おう。己が負けを認めるまで。

 「……驚きだな。まだこの世界に魔女がいるなんて」

 「あら、ドアを腐食させたことには言及ナシ?ド派手な登場だと我ながら自負しているのだけれど」

 年若き魔女にそう言われても。埃をかぶって壁に掛かったままだった明滅の槍を久方ぶりに構えつつ、ハージンは相手の動きを待つ。

 魔女相手に先手は厳禁。相手の手の内を理解するまで逃げに徹するべし。魔族と共に多くの魔女を屠って培った、ハージンの鉄則。

 年若き魔女は微笑みながら杖をくるりと手の内で回した。かしでできた直棒に近いその杖を、魔女はハージンに向ける。──ただし、それだけだ。特にハージンに変化はない。

 「どう?手の内がわからないと手出しできないでしょ?」

 ──どうしてそれを。そこまで考えてたハージンは、しかし警戒を解かずに頬を緩めた。魔女が心を読むことなど造作もないのに、終ぞ今まで忘れていた。

 (老いたものだな、敵のことを忘れるなど若い頃はなかったのに)

 なんにせよ相手の掌で踊るのは本意ではない。そして相手が手の内を明かさないならば、己の鉄則も意味がない。そこまで思い至り──ハージンは青臭い鉄則を破る。

 「ふっ」

 小さく息を吐く。瞬間的に体に力を籠める。──脱力。

 瞬間、手に持っていた明滅の槍をぐるりと手の内で回転させた。片方についた斧のような刃が上を向き、静かにハージンが槍を中段に構える。

 こと室内では槍は戦いづらいと謂われている。それは槍という武器が「長」に長けた武具であることからも明白。

 が、この男の振るう槍はその欠点を補っていた。

 ハージンが一息掃きだす。脚に力を籠め、一踏みで瞬時に加速。まるで飛んだかのように部屋の中を駆け抜けて腰に手を当てた魔女に裂ぱくの突きをお見舞いした。

 だが魔女は、若き女は己の誇る魔術で神速の突きを受け止めなかった。炎も出さず、ハージンを石に変えさせたりもしない。

 代わりに右手に持つ樫の杖でハージンの槍を弾き飛ばす。理外の衝撃にハージンは体勢を崩された、だがなお槍の間合い。

 弾き飛ばされた槍を一度中段に引き戻し、そのまま勢いを殺さずに突きを続ける。まるで蛇が噛みつき続けるかのように自在に突きの速度をかえ、そのたびに刃を弾き返されて。魔女の周りの家財道具が弾かれた刃によって吹き飛んでいく。

 突き払い、突き飛ばし、突き上げて、突き下げる。

 連続の、呼吸すら挟まないその刺突を魔女は微笑んだまま次々に払っていく。まるで武を誇った老兵に若輩が禊を迫るかの如く、叩き伏せる。

 これは膠着か。

 あるいは──その膠着はすでに崩れていた。

 突如としてハージンが刺突の動作を止めた。そして肩で大きく息を吐き、額の汗を掌で拭う。彼の行動を魔女は満足げに見つめる。

 いつの間にか滝のような汗をかいていた。己の老いを、衰えを見せつけられたハージンは。


 「負けだ」


 人生で初めて、己が勝負で負けたことを認めた。


 ──B──


 「私の旅に付き合ってほしいの」

 負けた方が飲む。机で互いに向かい合った魔女が明言した次の言葉がそれだった。

 「はぁ……んなものでいいのか?」

 ハージンは白黒交じりの剃り上げたひげを撫でながら目の前の魔女を見る。黒に沈んだ赤のような長い髪を後ろ手に縛りあげ、大きく実った胸は見る者を圧倒する。身長こそ高くないが、その丈は平均的な身長であるハージンと頭一つぐらいしか変わらない。

 彼女は己の名前を「エルァ」と名乗った。どことなく東方国の名残がある名前だが、魔女は洗礼を受けると好きな名前を名乗れると聞く。

 「エルァ。なんで俺なんだ?」 

 茶を出したハージンより先に呑みほしたエルァにハージンが問いただす。彼女は老兵の問いに静かに微笑みを返すだけ。空になったカップにお代わりを注ぎつつ、己はすすりながら席に着く。

 そのまま数舜、彼女の返事を待った。待ち焦がれるほど長い一瞬の後、彼女の返答は得も言われぬほど単純な言葉で纏められた。


 「簡単だよ。君が最強だったから、さ」


 エルァの返事に、ハージンは苦笑しながら己の掌を見た。老兵の掌には握り多胡だった厚い皮膚の名残がそこかしこに残るのみ。

 「賜った剣を折り捨てるバカ者だぞ?」

 自嘲を返すハージンにエルァはたわわな胸を張って言い張る。

 「それでも、さっきの槍技は素晴らしかった」

 そういいつつエルァが部屋中を見渡す。そこにはハージンが壊した家財道具と、大家が見たら卒倒しそうな刃疵。そこにハージンの二つ名である「二つ刃」の名残はない。

 

 ハージンは先の魔族大戦の折に左手に持っていた「光の剣」を折り捨てている。最終決戦の時だ。

 それゆえハージンは故郷を捨てた。理由は他にもあるが、大まかな理由はこれ。

 

 「最強の男が剣を、王より下賜された宝剣を折り捨てた。そういうことが許される土地じゃない、北方国ノーザンは」

 「それでも、君は最強の名をほしいままにしてきた。──さて、私の旅の願いを言っておこうか」

 エルァがお変わりの茶に手を伸ばし、一息に飲み干す。静かにカップを置いて、やおらハージンの顔を覗き込んだ。息が掛かるほど近くに、魔女の美貌が寄ってくる。


 「君には、もう一度最強になってもらう」


 エルァの言葉にハージンの心臓が、大きく高鳴った。この高鳴りをハージンはもしかしたら求めていたのかもしれない。

 (……そうか。最強、か。俺にはもう遠い名だと思っていたが)

 目の前の魔女を見つめて、ハージンは小さく息を吐き天井を見上げた。見えるはずのない北方の乾いた青が目の奥に広がる。

 (俺の最強を、この女は求めている。ならば応えよう。次は槍が折れるまで、な)

 ハージンの決意と共に。

 最強への旅路が、再び始まる。

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