第2話 噂、次なる封印へ
廃都の祠。
雨上がりの湿った夜気が、石段に染み込んだ血の匂いを漂わせていた。
祠の奥、蓮木カイは石の階段に背を預け、
腹の裂傷を指で押さえながら荒い息を吐いていた。
白面ノ狐帝の九つの尾が彼の背後に揺れ、
八岐剣鬼ヤマトの蛇影が、闇に蠢いている。
冷えた空気の中で、狐帝が楽しそうに囁く。
「どうだ器よ――
お前は確かに噂を喰った。
だが、その程度で女神教団を喰い破れると思うか?」
カイは唇を噛んだ。
剣鬼ヤマトの低く嗄れた声が重なる。
『噂は生き物……。
人の口を離れぬ限り、死なぬ。
小さな祠で狐火と剣鬼を解き放った程度……
教団の根を断つには程遠い……』
街の片隅で、誰かがスマホで呟く。
《廃都の祠で復讐の狐火を見たらしい》
《剣鬼の亡霊が街を彷徨ってる……》
SNSの小さな投稿が一夜で拡散され、
狐帝の尻尾の先が艶めかしく光った。
「囁きは膨らむ。
だが囁きをより深く――“源”を喰わねば噂は根を絶たぬ。」
「……源?」
カイの声は擦れ、胸の奥に熱い血が滲む。
狐帝はにやりと面の奥で笑った。
「封印されし神魔の恐れ……
教団がこの街に遺した“祟り”……
それを解き放てば、噂の器としての力は増す。」
剣鬼の八つ首が地を這い、祠の中に散らばった破片を啜るように嗤う。
『良いか器よ……
恐怖を喰え……
恐怖こそ噂の糧……!』
雨粒が屋根の隙間を伝い、カイの頬に落ちた。
狐帝の尾が地図の切れ端を引き寄せる。
黄ばんだ古地図には、この街の裏側――
誰も足を踏み入れない祟り村が滲んだ墨で示されていた。
狐帝が指先で地図をなぞる。
「次に向かうのは“祟り村”。
古い村の底に眠る“夜啼き鵺姫”と“声無き案山子”。
人々の悪夢と祟りの恐怖を喰い尽くせ。」
「鵺姫……案山子……?」
カイの脳裏に、子供の頃に聞いた怪談が蘇る。
――夜に鳴く声がすると、夢に鵺が棲みついて人を狂わせる。
――案山子は声を持たぬが、村人の祟りを吸い込んで、
その呪いが成長する。
ヤマトが血に濡れた刀を舐めるように嗤った。
『良い噂だ……。
夢と祟り……恐れの匂いが強いほど、
噂は器に深く宿る。』
狐帝の尾がカイの首筋を優しく撫でる。
「お前が“鵺姫”を喰えば、
囁きを夢に送り込む力が得られる。
案山子を解き放てば、祟りの噂を自在に操れる。」
――復讐の刃が、さらに研がれていく。
カイはゆっくりと石段から立ち上がった。
腹の傷はまだ熱を帯びているが、
狐火の光が皮膚の奥に流れ込み、血を固めていく。
「……わかった。
行くよ、祟り村に。」
カイが祠を出る頃、
街の遠くで子供たちが噂を話していた。
「おい、聞いた?
あの狐火の祠の先に“鵺”が出るんだって!」
「案山子の首が動いたって!」
「マジかよ……祟り村って本当にヤバいんじゃね?」
誰かの囁きはすぐに別の誰かに伝わり、
スマホに打ち込まれ、夜の街に広がっていく。
狐帝の尾が再び囁いた。
「恐れを抱かせろ……信じさせろ……
人は噂を現実にする生き物だ。」
剣鬼の八つ首がカイの背に絡み、声を轟かせる。
『噂はお前の血肉……
噂はお前の刃……
ならば喰え、器よ!』
街外れの朽ちた踏切を越え、
夜霧の向こうに祟り村の黒い影が浮かぶ。
人を寄せつけない荒れ地の中に、
倒れかけた鳥居と黒い案山子が立っていた。
誰かが信じている。
誰かが恐れている。
だから、噂はここで生き続けている。
狐帝が面の奥で笑った。
「さあ、噂を喰らえ……器よ。
囁きはまだ尽きぬ。
お前の血で現にしろ……」
カイは夜の奥を睨む。
「鵺姫……声無き案山子……
――俺が喰ってやる。
全部だ。」
街の灯りは遠く滲み、
囁きは夜を這い、
復讐の器を祟り村へと誘っていく。
噂は現実になる――
恐れを喰らい尽くすまで。
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