第3話 嫌な感じ

「はーい……。みなさん、おはようございまーす……」


 ガラガラッと扉を横に流して、人が入ってくる。


 猫背が発展しすぎて、腰がほぼ九十度に曲がってるし、長くてウネウネな髪のせいで、首から上が見えない。


 うつむいてるし、髪の毛カーテンがさえぎってるしで、元々小さい声の彼女に、みんな息すら止めて、耳を向けてる。


 陰の気をめいっぱいまとった彼女は、この五年一組の担任の先生。


 狭霧さぎりれん先生だ。


「朝の連絡をします……。今日は特に変更はありません……。が……」


 教卓に、一限目の用意を置くと、狭霧先生はババッと周囲を見回し、口(と思われるところ)に、手をそえた。


「誰か、荒鬼くんがどこに行ったか、知りませんか……? もう、あと五分で授業始まるんですけど……!」


 気が弱くて、生徒に注意してるとこなんかも、見たことないけど、実はけっこう生徒思いなんだって、私は思ってる。


 今も、なんとか聞き取れる程度だけど、危ないところに行ってないかとか、授業出ないと卒業がとか、つぶやいてるし。


 すると、一人の生徒が手を挙げた。


「アイツなら、便所とかじゃないっすか?」

「トイレ? あぁなんだ、お花つみですか……」

「先生ぇ。違うっすよ。喉かわいたんですって」


 喉がかわいた……?


 私の席の対角線上、教室の一番左前にいる、二、三人の生徒が、粘っこいような嫌な笑みを浮かべてる。


 なんで喉かわいたからって、トイレ行くんだろう?


 水を飲んでるとこを、人に見られたくないとかかな。


 でも、飲み物なんて、持ってなかったと思うけどな。


 バンッ!


 机を思いっきりたたく音がして、私はビクッと肩をハネ上げる。


 音のほうを見ると、荒鬼くんの隣の席の子が、彼らに厳しい視線を向けていた。


「まだそんな、くだらないことしてたの? 荒鬼くん、嫌がってるじゃん。いいかげんやめなよ」

「はあ? なんもやってないけど?」

「そーそー。俺らはただ、荒鬼くんと仲良くしてあげてるだけじゃん」

「仲良くって、何それ。嫌がってることも察せないの?」


 右の子の発言に、教室中でそーだそーだと、同意のブーイングが巻き起こる。


 え、何? どういうこと?


 希有なスペクトルと契約してる荒鬼くんに、嫌がらせ?


 いや、スペクトルなんていなくても、あの威圧感なのに……。


 それになんか、嫌な感じだ。


 まるで荒鬼くんを玩具おもちゃとして見てるみたいな……。


もも、やめなよ。単細胞に話なんか通じない」

「でも……」

「知ってる? アイツら、駿加がシュラつれるようになってから、手を出さなくなったんだよ」


 一人の言葉に、彼らの顔から笑みが消えた。


 図星だったみたいだ。


 責め立てる声が、一気に膨れ上がる。


 パンパンッ!


 空気が爆ぜるような音がして、教室内がしん、と静まり返る。


 狭霧先生が手をたたいたんだ。


 声が小さいのは自覚してるらしく、うるさい中で自分の声が通らないことは、分かってるから、拍手の特訓をしたんだって。


 笛とか使えばいいのにって思うけど、そういうのは、緊急時にまぎらわしいから、ダメらしい。


「もっ、もう、授業が始まりますので……。君たちは二限目の放課、職員室までくるように……」


 指名された三人の生徒は、なんで俺らが……としぶってたけど、教頭先生が立ち会うと聞いて、大人しくなった。


 怖いって有名だもんねー……。


 行かなかったら、何があるか、分かったもんじゃないからね。


 キーンコーンカーンコーン……。


「起立!気をつけ、お願いします。着席」


 さっき一番に声を上げていた、千里せんりももさんの号令。


 全員が、それに従って動く。


「……では、祓い屋基礎学を始めます。教科書の十二ページを開いてください」


 先生の声が、急に聞き取りやすくなる。


 大きくもなく小さくもなく、お腹から出してるみたいに、凛と通る声。


 何もかもリセットして、完全に場を支配している。


 先生いわく、スイッチが入ると、この状態になるんだそうだ。


「えー。まずはとりあえず、基本中の基本からおさらいしましょう」


 先生は、黒板に『祓い屋』、その横に『スペクトル』、二つの下に『マガイモノ』と書いた。


「みなさんの大半は、もう小さいころから、日常的にあったものかもしれませんが、祓い屋というのは、我々のような人間のことです。この神札みふだと呼ばれる札を使い、人にあだなす、マガイモノを祓います」


 持ってきたカゴの中から、手のひらサイズの、細長い紙を取り出す。


 そして、『祓い屋』の文字の近くに、マグネットではりつけた。


「しかし、マガイモノは世の理をこえた存在ですから、人間だけで立ち向かおうにも、上位のマガイモノには敵いません。神札は使用者によっても、効果に差があるので、一概にそうとは言い切れませんが、そのほとんどが下位止まりです」


 とてもよくできる人でも中位、千年に一度現れるかどうかの規格外で上位ですね、と神札の横に書き加える。


「はい、先生」

乙夜おとやくん。どうぞ」


 言い争いの中の三人組を黙らせた、乙夜おとやこんくんが立ち上がる。


「神札の効果の違いは、何が基準なのでしょうか?」

「ほとんどがその人の素質であると言われています。主に血筋ですね。例としては、天照あまてらす家、月詠つくよみ家、素戔嗚すさのお家に、個として優秀な祓い屋が生まれることが多いです」


 乙夜くんは、意味ありげに後ろを向くと、私を見た。


「なるほど……。ありがとうございます」


 彼につられて、数人が私を振り向く。


 そのすべてが、冷たい、軽蔑の目だ。


「翠さん、あんなもの……」

「いいよ、凪忌。本当のことだし」


 私は、代々優秀な祓い屋を排出してきた、月詠家の娘。


 御三家の子どもは、他の祓い屋一族よりも、神札を扱えるようになる時期が早い。


 葵も紅も、普通は九才のところを、七才で扱えるようになった。


 早くても八才からなのに、二年もなんて、さすがは月詠家!って、周囲からもてはやされて。


 もう十才にもなるのに、神札に触れるのがやっとの私は、家の格を下げてるばっかだから、家族みんなが冷たいんだよね。


 超優秀な祓い屋見習いの間に、不適合者アウトローがはさまってるなんてねぇ。


 そう思う気持ちも分かるし。


 しょうがない待遇だって、割り切ってるから、いいけどさ。


「紺」

「分かってるよ」


 千里さんが声を低くして呼ぶと、乙夜くんはあっさり前を向いて、椅子に座った。


 けど、彼が作ったこの空気は、まだ顔周りにまとわりついてくるようで、いい気はしない。


「授業に関係のない行動はひかえるように。あくまで確率的に高い、という話です。それに、早く適合した人が、必ずしも良いとはかぎりません。個人差があるということを、忘れないでください」

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