訳あり令嬢と訳ありの里

第1話 見る影もない終着点

「こ、ここが、アルタリアの首都ディペル?」

 馬車を降りたロゼットの第一声はそれだった。

 そして、寝ぼけ眼からすっかり覚醒した藍の瞳で周囲を見渡す。

 大国アルタリア。

 出身が小国パリュムであることを抜きにしても、領地も技術も大陸随一と名高い国に対して、ロゼットはここに来るまでの間、色んな想像を巡らせていた。

 故郷では影を見かけただけでも大騒ぎの竜を馬のように乗りこなす騎士団がいるだの、魔法に似た効果を簡単に得られる道具があるだの、聞き及んだアルタリアの逸話は数知れず。それを元に膨らませた想像は、決して明るいモノではなかったが、目の前の光景とかけ離れていたのは確かだ。

 自国の都でもまず見ない、草原ばかりが広がる光景とは――。

 知らず、旅装の外套から抜け出た茶色の髪を後ろへ払い、目に付いた看板の内容に喉の奥で呻く。

「ディペル……本当に……?」

 正直、自国の村でもこんな貧相な木製看板は見たことがない。いや、そもそも大国の首都にこんな看板が必要とも思えなかった。

 それでも看板に書かれているのは、間違えようもない「ディペル」の名。

(……いいえ、これはきっと何かの間違いよ。そう、きっと御者が間違えたんだわ。そうでなければ――)

 現実を諦めきれずにそんなことを考えていれば、後ろから御者の「はっ」という掛け声と鞭の音、馬の嘶きが届く。

「しまった! やっぱり騙されたんだ! 姉さま!」

 振り返れば駆け出す馬車。慌てて手を伸ばしたところで届くモノは何もない。

 姉との女二人旅、ここまでも危険な場面はいくつかあったが、ここに来ての失態にロゼットから血の気が引いていく。

 荷物は持って行かれてもいい。しかし、姉だけは。

 そう強く願ったところで、恐らく口喧しいという理由だけで放り出されたロゼットには、遠ざかる馬車を止める手立てがなかった。

「そんな……姉さまがいなくなったら私……私は、何のためにここまで――いいえ! そんなことよりも、私のせいで姉さまが……!」

 爽やかな風が吹く草原の中、見合わない絶望に打ちひしがれた身体が崩れ落ちる、直前。

「大丈夫よ、ロゼちゃん。ワタクシならばここにおりますから」

 穏やかな声と共にそっと肩へ触れる手。

「ね、姉さま!?」

 驚きに飛び上がったロゼットが身体ごと振り返れば、連れ去られたとばかり思っていた黒衣の姉がそこにいた。足元には荷物まで携えて。

「え? あれ? いつの間に?」

 姉と馬車、交互に見つめるロゼットは、最終的に姉を向いて胸を撫で下ろした。

「良かった。姉さまが無事で」

「ふふふ。不安にさせて、ごめんなさい。企てはさておき、ここまで運んできてくれたあの方に、少しだけお礼を残そうと思って」

「お礼?」

 姉の言う「あの方」とは、御者のことだろう。「企て」と言うからには、やはり姉を攫おうとしたのは間違いないが、そんな相手をして「お礼」とはどんなものを差すのか。

 だが、いくらロゼットが怪訝な顔をしても、姉は「お礼」については何も語らず、例の看板を見てはくすりと笑う。

「そうそう、ロゼちゃん。確かにあの方は最初からワタクシたちを騙すつもりだったかもしれないけれど、目的地まで騙ってはいないわ」

「……え? それってつまり……」

「ええ。ここはディペル。ロゼちゃんが目的地として目指していた、悪逆の王が棲みつく忌み地よ。まあ、そう聞き及んでいた割には……のどかだけれど」

 姉にしては珍しく言葉を選ぶような沈黙が入った。

 助長するように近くの木では小鳥がさえずり、二匹の蝶がひらひら舞う。

「…………」

 心地良い草原の風を感じつつ、しばし静寂が流れた。

「と、とにかく!」

 先に声を上げ、拳を握りしめたのはロゼットだ。

 ただ握りしめただけでもない拳には、くしゃくしゃになった紙があり、これを開いては再度内容を確認する。

 そこに書いてある言葉は、侮蔑であり、脅しそのものだった。

 小国ではあっても属国ではないパリュムへ、一方的に送りつけられた書簡。短い文章はどこまでもパリュムを貶める内容であったが、今のロゼットにとっては渡りに船の一筆であった。

 ロゼットの指が恐る恐る皺だらけの一文をなぞる。

 すると、なぞられた文字は圧を加えられた分だけ光って消えた。

 指し示すのは、この文が未だ有効である、ということ。

(ディペルがこうでも、反応がまだあるなら終わってない……はず)

 魔力を帯びた文に確信を得、ロゼットは「ディペル」と書かれた看板の先を指差した。

「ここがディペルなら、この先に誰かいるかもしれない。いなかったとしても、何か分かることはあるはず。行ってみましょう、姉さま!」

 ほぼほぼ願望に近いロゼットの言葉に対し、姉は旅の始まり同様、「そうね」と穏やかな声で頷いた。

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