朽ちた都の水やり係
かなぶん
過日の焔
扉を蹴り上げた彼は、目の前の光景に息を呑んだ。
国王が謁見に用いるその部屋は、辺り一面が燃えていた。夜の闇を許さず、昼以上に煌々と照らす炎は、光量に反してゆっくりと部屋全体を侵食する。
彩る惨劇は床に無数の人の形を成す。
豪奢な飾りも無残に落ちた髪、投げ出された生気のない手足、床に染み出た朱を吸い上げる瀟洒なドレス。
無機質に成り果てた、悲痛を象る顔の一つには見覚えがあった。国王のお手付きとなった、彼の――彼らの家庭教師だ。清廉潔白を絵に描いたような人物が、欲を知り、欲に溺れ、傲慢に堕ちていく様は醜悪だったが、こうして全てを剥ぎ取られた抜け殻には、あの頃の面影が確かにある。
(ということは、ここに倒れている女たちは全て王の……)
いつからだろう。自分の父を父と呼ばず、「王」と表わすようになったのは。
女たちに混じって倒れている従者もいたが、それすら王の所有物と感じたなら、知らず口を覆って吐き気を堪える。
「うっ……」
低くくぐもった声。
しかしそれは彼の声ではなかった。
瞬時に吐き気を飛ばし、顔を上げた彼は、声の主を見て大きく目を見開いた。
背中から白刃を生やした男が先ほどと同じ声で呻き、形にならない口を戦慄かせている。絶命寸前の手が伸ばされた相手は、男の腹を足蹴にすると、刺し貫いた剣を引き抜いた。
勢いよく倒れる男に遅れ、落ちようとする金の王冠はその掌中に。
「兄上!」
常であれば躊躇うところを、転がる屍を踏みつけることも厭わず駆け寄る。
視界だけを固定していれば、億劫そうに玉座へ座った兄はこちらに気づくなり、久しぶりだが見たことのない笑みで唇を歪めた。
「おお……こうして、顔を見るのも、久しい、な……」
何かを堪える絞り出すような声音。
反し、おどけた調子で手にした王冠を頭の上に載せた兄に対し、その姿をはっきり視認できる距離まで来た彼は喉を鳴らした。
「兄上……その傷は……?」
もたれかかるようにして玉座に座る兄の胸。遠目では装飾にも見えたソレは、明らかな刺し傷であり、傷口は絶え間なく赤い液体を流し続けている。いや、ただ流れている訳ではない。兄の血は胸の傷を中心にして、複雑な模様を描いていた。
(禍々しい。こんなもの誰が――いや、考えるまでもない)
兄に掛けられた術の意図は分からないが、術を施した誰かは彼の視線の先で横たわっている。先ほど兄が刺し殺した国王、その人だ。
(この男は、最期まで……!)
伏せているため絶命した表情は窺い知れないが、出来ることなら力一杯踏みつけてやりたかった。そのくらい国王は、この男は、彼や兄、引いてはこの国、この大陸にとっての災厄であった。こんな刺し傷であっさり死んでいい存在ではない。謁見の間を包む炎に焼き尽くされることすら生ぬるい。
だが今は、そんなことよりも。
「兄上、気を強く持ってください。近くに救護隊も控えておりますゆえ、今からでも間に合います、間に合わせますから――っ!?」
兄の命を救うこと。第一目標をそう定めた彼へ、息を吐くついでに笑ってみせた兄は、伸ばされた手を払うことはしなかった。しなかったが、代わりに王を刺した剣を彼の手に押しつけてきた。そして、今にも命が尽きようとしている者とは思えない力で、剣ごと握りしめて言う。
「間に合わん。それよりも……役目を果たせ。王を……殺す、だろう?」
「何を言って……王はそこに、奴はもう!」
「いいや。王は、ここにいる。ここに座って、いる……」
「ここに……? まさか!」
彼の瞳が大きく見開かれれば、その中で兄が静かに頷いた。
「殺せ。出来るのは、そなただけだ」
――悪王を弑する。
そのためだけに戻ってきた彼にとって、兄が示した言葉は重かった。
髪と瞳の色以外同じ姿をした、髪と瞳の色ゆえに引き離された兄の言葉に、彼は一度だけ逡巡し――決断する。
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