第19話 再起

「さあ、立ちなさい、二人共」

 うながさされて立ち上がるそのかたわらに、滑りこむようにしてクラウスがひざをついた。

「妖精王さま、寛大かんだいなおさばき、ありがとうございます……」

 妖精王の手を取って、涙ながらに感謝している。

「礼を言うなら、あのお転婆娘てんばむすめにだね。あの子が兄君を愛さなかったら、話は違っていただろう。それも、兄君の器量きりょうあってのことだが。

 そなたも長い苦痛をえた強さを持つ、良きおさになるだろう」

 鷹揚おうようはげましてクラウスを立ち上がらせ、妖精王は現長げんおさに顔を振り向けた。

「いとたかき冬の長よ、貴方あなたのご子息しそくもらい受けるよ」

「ありがたい限りでございます……。どうぞよろしくお願いいたします」

色濃いろこ疲労ひろうを顔に刻んだ長は、妻と共に、深々と頭を下げた。

「して、クラウスくん、君もご両親方々りょうしんかたがた、休養が必要だ。音瀧公主おとたきこうしゅ薬師やくしとして頼まれてくれないか?」

無論むろんだ。氷精であれば、水とえにしが深い。水蓮、水の宮を療養りょうようの場所にしてよかろうか?」

姉の言葉を受け、水蓮はためらいなくうなずいた。 

 本来ならば、水の宮は、水の司守つかさもりである水蓮が座すべき場所。

 しかし龍王であり、エフォリアをも庇護ひごする立場である水蓮は、龍族の領地、龍宮城を座所ざしょとしている。

 龍宮がつつがなく役目を果たせる気場きばであれば何の問題もなく、空いた水の宮は、隠居いんきょした父母の御所ごしょとなっている。

 水蓮と黒曜を身籠みごもり、強い神獣しんじゅうの気にあててられていちじるしく身を弱らせた母君は、先代の水の司守。

 水の宮は、水に属する存在には療養りょうようの地としてうってつけなのだった。

「それは妙案みょうあん。氷精であれば、水の力溢れる宮は良きいやしの場となろう。母上も気がかりとしていた者たちの顔を見れば、喜ばれるに違いない。今すぐ話を通すゆえ、く移動するといい」

 姉弟の手筈てぎわの良さに感嘆かんたんしたところで、ちらちらと四方から雪が舞い始めた。

 と、さらなる冷気が風の宮に雪崩なだれれ込んで、フロリンダは首をすくめる。

「クラウス!」

 切なげな呼び声で、ユリアを始めとする、氷精の一団が来訪したのだと知った。

 クラウスははじかれたように、ユリアの声がした方へと駆け出す。

「ユリア!」

 純白の粉雪が旋回せんかいしたと思うと、撫子色なでしこいろの髪をなびかせるなよやかな美女が現れ、クラウスへと白い腕を伸ばした。

 駆け出しながら、クラウスも大きく腕を広げる。

「クラウス……!やっと、やっと……!!」

 涙で言葉にならないユリアは、ぶつかりあうようにクラウスと互いをかき抱いた。

 しばし愛しい胸に顔を埋めた後、水晶のような涙の光る顔を、ユリアはフロリンダに向ける。

「ありがとうございます、フロリンダさま……風の宮で異変が起きたと聞き、よもやと思い、こちらに参った次第しだいです。

フロリンダさまが、我らの長一族のために尽力じんりょくしてくださっていたこと…私は存じております。お辛い思いをされたでしょうに……、ありがとうございます、ありがとうございます……!」

「風の君、僕からもお礼を言わせてください、兄のことも……本当にありがとうございます」

 それぞれに盛大に感謝され、フロリンダは面映おもはゆい思いで頬を染めた。

「あなた方がそれぞれ、あきらめずに互いを信じる心を保ったから今があるのよ。私も嬉しいわ」

 フロリンダのかたわらに、レイの両親と一族の女性もやってきて、礼を取った。

 丁寧な所作しょさに、彼らの人柄がにじみ出て、フロリンダは好もしく思う。

勇敢ゆうかんにして可憐かれんな風の君、そして妖精たちの次代じだいになう方。レイの父、ハルヴァルドと申します。

 我々の呪いを解くばかりでなく、レイの負った呪縛じゅばくも解いて下さったご恩は、永遠に忘れません」

 ハルヴァルドは厳しそうなひとではあるが、レイによく似た冷たいほどに整った面差おもざしで、フロリンダは親しみがわいた。

 クラウスは、しとやかな優しい面差しの母君に似ている。

「母のリーヴと申します。息子に生きる希望を与えてくださって、感謝の言葉もありません…。レイのこと、よろしくお願いします」

 深々とレイの両親に頭を下げられて、フロリンダはあわてて二人の手をそれぞれにぎった。

「よろしくお願いしますなのは、私の方です。皆さまがえてこられたから、レイも耐えられた……。本当にありがとうございます。どうぞ、しばらくゆっくり静養してください」

 後ろで控えめに頭を下げている女性にも、フロリンダは微笑みかけた。

 音瀧がそんな三人を、おだやかにうながす。

「さあ、方々かたがた。気持ちは察するが、今は何よりも休まねば。クラウス殿も、よろしければ許嫁殿いいなずけどのも共に。ようやっと再会できたのだ…離れがたくあろう?」

 クラウスに寄り添っていたユリアは、音瀧の気遣きづかいに顔を輝かせ、頭を下げた。 

「音瀧お姉さま!」

 フロリンダはきびきびと先導せんどうする音瀧に、声をかけた。

「ありがとう……本当にありがとう……」

「僕からも……一族の者たちを、よろしくお願いします」

 フロリンダとレイとを交互に見遣みやると、音瀧は目をなごませた。

「どうということもない。久方ぶりに体が温まった。また茶を飲みかわそう。レイとやら、そなたも共にな」

 言い残すと、長たちを守るように囲んだ氷精たちもろとも、白く細やかな霧に包んでその場から転移した。

 清々しく頼もしいその姿に、感嘆かんたんの息をつく。

 一瞬気の抜けたそんなフロリンダの頭に、背後から妖精王のてのひらが乗った。

「さて、フロリンダ」

 呼ばれてフロリンダは、レイと共に姿勢を正し、振り返る。

 妖精王はにっこり微笑むと、片手でフロリンダの頬をはさみ込んだ。

 フロリンダの頬が、大きな掌につぶされて、中央にムニッと寄る。

 レイの前で、なぜおかしな顔をさせるのかと抗議こうぎのために目に力を入れたが、妖精王の目が笑っておらず、フロリンダは固まる。

 妖精王は激昂げっこうする姿を見せないが、怒らないわけではない。

 この表情はかなり怒っている顔だと、フロリンダは経験上、知っていた。

 困惑するフロリンダの目の先で、妖精王の左目から涙が一滴ひとしずく流れ落ちる。

「そなたは戦いの最中、一度、生きることを手放したね?」

 言われてフロリンダは怒りの理由をさとった。

 —……お見通しってことね……。

 レイと胸をき合い、けれどその動きにはんし手を伸ばして指をからめ、武器を捨てて互いを抱きしめ合った時—―死んでもいいと思った。

 このまま時を止めて、愛するひとと二人、永遠の眠りの中にいたいと願った。

 悄然しょうぜんまゆを下げる情けないフロリンダの頬を、妖精王はパン生地をこねるように指を動かしてもてあそぶ。

「今のそなたの血に汚れた姿を見て——一度とはいえ、命を投げ出したことを知って、ティタニアがどんなに胸を痛めたか、わからないかい?」

 言いながらも、妖精王の左目からはとめどなく涙が溢れる。

「この涙は、ティタニアの目からあふれているのだよ。私の最愛のひとを泣かせたこと、許しがたいね」

 言われてフロリンダは、妖精王が左目をティタニアと共有していることに思い至り、息をめて目をみはった。 

 妖精王は、つかんだ手を離して、流れる涙に触れる。

「血で汚れてすら愛らしいそなただが、美しければ美しいほど、より痛々しい。私とて、そんなそなたを見るのは辛いが、さぬ仲とて、手塩にかけてそなたを育てた母の身であれば、なおがたいだろう。

 我が妃は親友から預かったそなたを愛おしむあまり、腹を痛めて我が子を持つことを望まない。私もすべての妖精たちの父であれば、血を残すことにこだわりはないゆえ、かまわぬがね。

 それほどに愛されていることを、軽んじてはいけないよ。母に心労をかけたこと、よくよくかえりみなさい。妖精たちの国母こくもとなる、そなたなのだから……」

「ごめんなさい……」

 フロリンダはうつむいて、消え入りそうな声でつぶやいた。

 その頭に、再び妖精王のあたたかな掌が乗る。

「反省したならば、良し。さあ、継承者のあかしを返すよ。そのソラス・アリギド銀糸の光も、君の騎士殿きしどのの武器も、庭の薔薇たちが大切に抱えて守っていた。君に愛され、また君を愛している、良い庭だね」

 顔を上げた時には、いつもの優美ゆうびな笑みが妖精王の顔にあった。

 ソラス・アリギド銀糸の光を受け取り、銀のきらめきと共にピンブローチに変える。

 そして、破れ、血に汚れたブラウスの合わせ目に止めた。

 —……これを手にしたことを、軽く考えてはいけない……。

 ピンブローチに変化させた継承けいしょうあかしに手を当てて、フロリンダは改めて自省じせいした。

 そこに、クク…というくぐもった声が聞こえて顔を向けると、アルスが顔をそむけてうでを顔に当て、肩をふるわせていた。

 ロゼッタが無垢むく眼差まなざしをうるませて、アルスに声をかける。

「アルスさま、感激しちゃいました?安心しましたよね!

 本当は、とってもフロリンダさまを心配していたんですね!?わかります!わかりますよ!」

 両掌りょうてのひらを合わせ、感極かんきわまった様子で何度もうなずくロゼッタの言葉に胸を打たれ、フロリンダはアルスに歩み寄った。

「あの……アルス、色々と、その、ありが……」

 みなまで言い終わる前に、アルスがブハッと息を吐いてこちらを振り返る。

 その顔は、盛大せいだいくずれていた。

「ちょっ、おまっ、妖精王に、つかまれた顔、クッソ笑えるんだけど!」

 そのままこちらを指差して、ゲラゲラとアルスは無遠慮ぶえんりょに笑い続ける。

つぶれた菓子パンみてぇだったぞ!ブサッ、不細工ぶさいくすぎて、もう、もう」

 誰もがポカンとする中、ひたすら腹を抱えて笑い転げるアルスに、フロリンダの顔が怒りでふつふつとけわしくなっていく。

「単細胞ッ…コノヤロー!!」

 うなった瞬間、腕をひるがえして思い切り大気のやいばを放った。

「ちょっとでも感謝した可愛い私に、謝れーーっ!!」

「可愛いとか自称じしょうしても、無駄むだだっつーの!」

 アルスはフロリンダの攻撃を受け止め、さらには吸収してカウンターで火球かきゅうを返す。

 さらにそれを旋風せんぷうで巻き上げ、火柱にしてアルスに返し、まさそれをアルスが吸収して倍加させる。

「はわわわわわわ、危ないデスのーっ!!」

 プリムラが悲鳴を上げた。

 ロゼッタとエフォリアがあわてふためいた表情で身を寄せ合い、黒曜がそれを背に庇い、結界を張る。

 視界の端で水蓮が動こうとしているのが見えたが、それより早く、フロリンダが大きく息を吸い込んだ。

「マズイ!皆さま!耳を守って!!」

 シャルロットが警戒けいかいを放ち、いよいよフロリンダが破壊的はかいてきな大声を出そうとしたその時。

 すさまじい冷気が、立ち上がる火柱を包んだ。

 同時に、フロリンダの口をひんやりしたてのひらが包む。

 すさまじい水蒸気すいじょうきが立ち込め、同時にフロリンダの肩にも冷たい掌が乗った。

 耳元に唇が寄せられ、ごく小さく、すずやかな低い声がささやく。

「どんな君も世界一、愛らしいよ」

 胸が大きく脈打みゃくうち、怒りはときめきに取って代わられた。

 水蒸気が落ち着くころには、レイのそばで頬を染めたフロリンダがどぎまぎと立ちすくむばかり。

 妖精王が、眉を上げて唇に笑みをき、軽やかに拍手をする。

「なかなかやるな。お転婆娘てんばむすめ手綱たずなの取り方、やはり私の目に狂いはなかった」

 その隣で、ロマがニャフフと笑い声を上げた。

 アルスは口をへの字に曲げて、面白くなさそうに髪をかきむしる。

「ったく、やってらんねぇな。あーぁ、腹減はらへったから帰るわ。じゃあな!」

 言った時には、冷気に対抗するように強い熱の気配を残し、アルスは消えた。

「あ…、もう、アルスさまったら早いなぁ……。きちんとご挨拶できなかったです……」

 ぼやくロゼッタの肩に手を置き、黒曜が苦笑くしょうする。

喧嘩友達けんかともだち一足先ひとあしさきに大人になってしまったようで、複雑な思いなのだろう。まだまだやんちゃ坊主なのだ、仕方ない」

 友と言われて再び渋面じゅうめんになりそうなフロリンダに、妖精王の声がかかる。

「フロリンダ。私も帰還きかんするよ。君の騎士も共にね。レイ、君も休息や支度したくが必要だ。参ろう」

 言われてレイは胸に手を当てて礼を取り、見上げるフロリンダに微笑を見せた。

「行ってくるよ」

「……また、ね」

 うなずいてフロリンダの両手を取り、感触かんしょくしむようにゆっくり後退して離れながら、レイはきびすを返して妖精王にしたがった。

 離れることは心細くもあるが、「またね」と言えることが、今は何より嬉しい。

「フロリンダ、またニャ~ン!」

「ありがとう、ロマ!」

 ロマが手を振ると、妖精王のマントがひるがえってその場からたちまち消えた。 

「我々もそろそろ帰還しよう、兄上」

「ああ」

 言い交わす水蓮と黒曜に気付いて、フロリンダは慌てて二人に駆け寄り、向き直る。

「水蓮、黒曜、二人ともありがとう……そして」

 言いながらフロリンダは、並ぶロゼッタとエフォリアとに、同時に抱きついた。

「ありがとう……ロゼッタ、エフォリア姫!」

 ロゼッタが慌てふためいた様子で、やわらかな手でフロリンダの背をでる。

「私は、あまりお役に立ててないです!エフォリアさまがとっても頑張がんばってくれました!」

「そんなことはないですわ。ロゼッタさんのお力添ちからぞえでやりげたこともありますもの」

 謙虚けんきょな二人がどちらもたまらなくこのもしく、フロリンダはそれぞれにほおずりをした。

「もぉ~!二人とも、大好き!!」

 その気持ちに嘘はない。

 今回、どれだけ友の存在が、自分を励ましてくれただろう。

「わたくしたちも、フロリンダさんが大好きなのですわ」

「そうです!フロリンダさまは私の憧れで、大好きなお友だちなのです!」

 嘘偽うそいつわりのないまっさらに言葉に、フロリンダは泣きそうになる。

「私……二人を守れるようにもっと強くなる……」

「これからは、レイさんもいらっしゃいます。フロリンダさまはもっともっと素晴らしく、素敵におなりになるでしょうね」

 そうならねばならないと、フロリンダは心新こころあらたにちかう。

 自分はまた、これからなのだ。

 フロリンダは、二人の頬にそれぞれキスをした。

 そこで、はたと気づいてフロリンダは壊れたブローチに手を当てる。

 台座だけになったそれは、指先にざらざらした感触かんしょくを伝えてきた。

「エフォリア姫……せっかくプレゼントしてくれたブローチなのに、壊れてしまったわ。ごめんなさいね」

 エフォリアは、天上の空を映したようなつぶらな空色の瞳を細めて、鷹揚おうようにかぶりを振った。

「それは、フロリンダさんとレイさんを繋ぎ、守るという大切な役目を負って生まれたものだったのでしょう。立派に役目を果たしてくれたのです。ですが……」

 ニッコリ笑って、げんぐ。

「お直しさせて頂いても、よろしいですか?」

「もちろんよ!嬉しいわ」

 言ってフロリンダが台座だけになったブローチを外すと、エフォリアはそれを両手で受け取った。

「楽しみが増えて、わたくしも嬉しいですわ」

 そう言って満面の笑みを浮かべるエフォリアは、心が洗われるほどに清楚せいそな美しさをたたえている。

 その肩を、隣に来た水蓮が抱き寄せた。

「本当にありがとう、水蓮、黒曜……」

「そなたらしくもない、水臭みずくさいことを」

 水蓮が晴れやかに笑って言った。

「我らは共に司守つかさもり。協力するのは当然であろう」

 黒曜も深くうなずく。

「水蓮の言葉通りだ。良く耐えたな、フロリンダ。愛するものと対峙たいじするのは、魂をかれるほどに辛いことであったろう」

 それぞれのあたたかい言葉に、フロリンダは胸が熱くなって言葉に詰まる。

事後処理じごしょりも何かと大変だと思うが、我々も一度、領地に戻って気の流れを整えねばならぬ。また必要な時には、声をかけてほしい」

「ありがとう。頼りにしているわ」

 黒曜の申し出に、フロリンダは神妙しんみょうな顔で頷く。

 一連いちれんの出来事は、風の領地に多大な気の乱れを生んだだけではとどまらない。

 魔獄界まごくかいの一部と、風の宮が重なってしまったという前代未聞ぜんだいみもん事態じたいは、元に戻せば終わりではないのだ。

 一か所が乱れれば、それは全体の乱れとなる。

 果たして、人界にも多大な影響が出るだろう。

 さらには、結界されていたとはいえ、瘴気しょうき邪気じゃき残留ざんりゅうもある。

 すぐにでもそれらの対応をしなければいけないのは、フロリンダも同じだった。

「今はここの乱れの影響えいきょうを、最小限にしないと……」

「わたくしが風の宮に残り、お手伝いを……」

「私も!」

 エフォリアとロゼッタの申し出に、フロリンダは前のめりな二人を留めるように両掌りょうてのひらを前に出し、首を振る。

「二人とも、あちら側の気を受けたし、特にエフォリア姫は自分で感じる以上に消耗しょうもうしているはずよ。重なった結界を引きがす大技おおわざを、見事に決めたんですもの。

 最終的な気の流れの調整はエフォリア姫がしないといけないし、どうか、少しでも休んで。ロゼッタは、みんなが元気が出るようにたくさんジャムを作って!」

 そう告げると二人は、それぞれに顔を引きめた。

 

 最後に水蓮、黒曜と握手を交わし、みなで笑顔で頷き合うと、それぞれが妻の肩を抱いてその場から転移していった。

「良き仲間を持ちましたね」

 背中から、シャルロットの声がかかる。

「部下も有能ゆうのうよ」

 振り返りながら、シャルロットとプリムラ、そして、遠巻とおまきにひかえていた亜仁玖アニクを始めとする宮仕みやづかえの風精たちに向かって、フロリンダは両手を広げた。

「風の宮から瘴気しょうきが流れぬよう、守ってくれたこと、わかってるわ。魔物たちの対処もしながら……皆、ありがとう!私は最高に幸せ者よ!」

 先程、ロゼッタとエフォリアにしたのと同様に、シャルロットとプリムラを抱きしめ、次いでフロリンダは小走りで亜仁玖アニクに近寄った。

「亜仁玖、あなたが仕込しこんだ攻撃が、バフォメットを弱らせて、美惟那姫ミイナひめ調しらべを呼び込み、仲間たちが駆けつけるきっかけになった。本当に助かったわ。ありがとう。

 強いだけではなく、あなたは優秀な策士さくしでもあるのね」

 言いながら、フロリンダは微かに動揺どうようした様子の亜仁玖の両手をにぎる。

美惟那姫ミイナひめの楽の音は、邪悪な結界を超え、こちら側からの道を作り、さらにはちた魂も解放したわ。あなたたち迦楼羅族かるらぞくの助けがあったから、私は無事に帰ってくることができたのよ。

 あなた達の武力や知力も素晴らしいけれど、美惟那姫の芸の才も、素晴らしい強さだと証明されたわ。私からの感謝を、どうか、あなたから直接、迦楼羅王かるらおうと美惟那姫に奏上そうじょうしてほしい。お願いできる?」

 亜仁玖アニクはフロリンダの手からそっと自らの手を抜き、一歩引いててのひらを合わせ、丁寧に礼を取った。

「身に余る言葉です。必ずや王にお伝えしましょう」

「頼んだわ」

 言って、フロリンダは改めて掌を差し出す。

 ためらいながらも亜仁玖はそれをつかみ、しっかり握手を交わした。

 金の翼を広げて亜仁玖が飛摩那城ヴィマーナじょうに飛び立ったのを見届け、フロリンダは大きくびをする。

「ほんっと……人たらしなんデスよ……」

 プリムラの小さな独りひとりごとを聞き流し、フロリンダは満面の笑みで振り返った。

「さて……後片付けをしますか!」

 両手を広げて宣言すると、「はい」と威勢いせいの良いたくさんの返事が返ってきた。

 暴れまわった庭先は、物理的にも乱れている。

「みんな手伝ってね!」

 フロリンダの言葉に、素早さはどの精霊にも負けない風精たちは、一斉いっせいに動き出す。

 それを目を細めて見届けながら、フロリンダは思う。

 情報の伝達者でんたつしゃである風精たちは、今日の出来事をあっという間に広めるだろう。

 またそれがどのような反応を生み出すのか、怖いようで、楽しみでもある。

「さて、私もやることは山積やまづみだわ!」

 言いながらフロリンダは役目のため、塔の内部に走った。

 気が付けば、雪を降らせていた雲の切れ間から、清々すがすがしい陽光ようこうが今この瞬間を祝福するように、地上に光を届けていた。

※※※

「私、本当にあまり役に立ちませんでした…」

 風の宮から地の宮の門前もんぜん転移てんいし、ロゼッタはしょんぼりと呟いた。

 温暖な地の領地は、風の宮の張りつめた空気とは打って変わった穏やかさで司守の夫婦を迎え入れる。

 それでもそこここが冬枯ふゆがれした景色は、大きく乱れた風の領地の影響を受け、晴天ながら、強くかわいた北風になぶられていた。

「そんなことはない。敵の名もあばき、契約に呪縛じゅばくされた魂も解放した。容易くできることではない」

 黒曜は穏やかに言って肩を抱いたロゼッタをより引き寄せ、やや声を低めて言葉を続けた。

「お前には、妖精たちの女王になる資質があるという。もちろん、後継はフロリンダに固く定まっている。だが、万が一ということもある。

 ……資質をかし、故郷を継ぐ者になりたい思いは、ないのか?」

 慎重しんちょうたずねる黒曜を振りあおぎ、ロゼッタは即答する。

「ありません!」

 黒曜はきょかれたように、唇を引き結んだ。

「私は黒曜さまの猫と、お嫁さんっていう重大な役目があるんです!それが生き甲斐がいなのです!私はあんまりかしこくないので、これ以上のお役目をになうことはできません!ただ……」

 ロゼッタは両手をこぶしにぎり、意気込いきごんで言った。

「資質は磨きたいと思います。私はフロリンダさまのような教養もなければ、全体を見る目もない。朝から朝・・・・まで、黒曜さまのことを考えちゃう。だけど、資質をみがけば、黒曜さまのお役にも立てますし、フロリンダさまとエフォリアさまのお役にも立てます!

 皆さんを支えることが、私の喜びです!それに……」

 ロゼッタは少し声をひそめて、悪戯いたずら眼差まなざしを黒曜に投げた。

「女王が選んだ相手が妖精王になるって、オベロンさまがおっしゃっていたじゃないですか。……私が女王さまになったら、黒曜さまが王さまですよ?」

 黒曜は目をらし、口元に腕を当てて、軽く咳ばらいをした。

「……難題なんだいだな……」

 龍族の公子として、生まれ育ちもこの上なく高貴な黒曜だが、文武両道ぶんぶりょうどう気風きふうの中で育った物堅ものがたい彼には、華やかで享楽的きょうらくてきなことを好む妖精たちをまとめるのは、いささか荷が重いだろう。

 ロゼッタは、肩をすくめてクスクス笑った。

「私はもっと、精神力を強化しないといけませんね。自分で放った魔力を返されて防げないようでは、ダメダメです」

「ダメダメというほどではないが、それはそうだな。魔力を放てば、逆凪さかなぎは来るものだが、それも対処できてこそだ。お前の魔力特性は、真っ先に精神力をきたえることが大事だ。

 ちょうど、良き師に心当たりがある。紹介しよう」

「どなたですか?」

 期待を込めて顔を輝かせたロゼッタに、黒曜は穏やかに微笑んで手で先を示した。

 そこには、地の宮の玄関ホールから歩み出てくる彩雅さいがの姿があった。

 寿命の長い地精ちせいの特性上、一見、利発りはつな幼女の姿をしているが、その実、黒曜やロゼッタよりも年長であり、知恵も経験も多い。

 今は、その全身から剣呑けんのんなオーラをしみなく放っている。

 彼女特有の武器である、身の丈をしの大鎌おおがまを片手に持った物々ものものしい姿は、無事に帰還した主を出迎でむかえる姿とは思えない。

 ロゼッタは、何が彩雅をそうさせているか思い至り、笑顔をひきつらせた。

「お帰りなさいませ、我が君」

 うやうやしく礼を取る彩雅に、黒曜はうなずく。

「事は済んだ。これから私は役目に戻る。そこで彩雅、話は変わるが」

 言って、黒曜はロゼッタの両肩に手を置き、ずい、と彩雅の前に出した。

 怒りの宿る眼差まなざしと正面向き合い、ロゼッタははわわ、と声にならぬ声を放つ。

「ロゼッタが自身の魔力特性を活かすために、精神をきたえたいと言っている。大地から生まれ、その特性であるかたさを精神にも持つ地精の中でも、お前はきんて強い。

 精神力をきたえる師として、適任てきにんだ。頼まれてくれるか?」

「我が君のおおせであれば、いなやはございません」

「そうか。では、よろしく頼む。ロゼッタ、心してはげめよ」

 穏やかな笑みを残し、早々に地の宮に入る黒曜を引き留めようにも、目の前に彩雅が立ちふさがってかなわない。

「我が君のお許しがあるならば、重畳ちょうじょう

 言って彩雅は口元だけで笑った。

「はわわ……彩雅さま、あの~、えっと、決して黒曜さまの邪魔をしたかった、とかでなくって、私もフロリンダさまを助けたくってですね……」

「そのようなことはわかっておる」

 言って彩雅は、にぎる大鎌のつかを一度浮かせ、大地に振り下ろした。

 ダン、という重たい音と共に、ロゼッタの足元がらぐ。

 ひいっ、とロゼッタはすくみ上がった。

己自身おのれじしん未熟みじゅくとわかっていながら、夫君ふくんにしがみつき、危険な場所に飛び込むとは骨頂こっちょう。夫君のとうときお役目の足手まといにもなろう。

 何よりお主は、一度自らが死の危機にひんしたこと、忘れたか!?」

 彩雅の言うことはいちいちもっともで、さらにはロゼッタの身を案じる深い情がひしひしと感じられる。

「ご、ごめんなさい…」

「ごめんでむか!このポンチョコリンがーッ!!」

 言うが早いか、彩雅は大鎌おおがま一閃いっせんさせた。

 ロゼッタは猫のような身のこなしで素早くけるが……、

「ギニャーッ!!」

早速さっそく修行しゅぎょうじゃ!我がかまの先を読んでけよ!!」

「ギニャニャニャニャーーーーーーーッ!!」


 地上から届く振動しんどう、空を切る音、そして愛妻の叫びを遠くに聞きながら、黒曜はひとりいささか悪趣味あくしゅみふくみ笑いをらした。

 地下に存在する地の宮は、外界がいかいさわがしさを優しく包んでくれる。

 フロリンダが女王の後継者であるという事実は、妖精たちをまとめる上層内部じょうそうないぶ心得こころえていても、正式に公表されてはいない。

 今回の騒ぎが共有されれば周知の事実となろうが、他族は知らぬ者が多いだろう。

 実際、自分も初耳はつみみだった。

 卑劣ひれつな悪魔が、ロゼッタにも女王の資質があると示した時、黒曜は人知ひとしれず動揺どうようした。

 自分の目から見ても、ロゼッタの才気は確かにまだまだしろがある。

 そんな逸材いつざいを、自分の妻としてだけで終わらせて良いものか、と胸がさわいだ。

 だが、かつて龍王の後継者として育てられていた身であれば、ロゼッタが女王として立つには、決定的に欠けている部分も見える。

 本人も気づいているようだが、魔力の特性こそ女王の資質はあっても、ロゼッタの精神にはそのうつわがない。

 一つ事ひとつごとしか見えず、公私を分ける感覚を持っていない。

 それは一途いちず健気けなげ美点びてんであるが、上に立つ者としては如何いかんせん、頼りない。

 その点、フロリンダは公私で意識を分けることができる。

 幼少時より、現女王が手ずから授けた教育の賜物たまものであろう。

 だが、それも彼女自身、生まれながらに持っていた精神力の強さがあってこそだ。

 役目とあれば自らのすべきことにてっし、愛する相手と対峙たいじすることさえできる。

 そうしたフロリンダの大局的たいきょくてきな視線、強靭きょうじんな精神—―ロゼッタには、それがない。

 だがそのいたらなさ—―弱さをも、黒曜は愛しいと思う。

 何を差し置いても自分のそばにいることを選ぶロゼッタに、深い安らぎを覚えるのだ。

 ただ、女王になるには至らぬロゼッタだが、世の役に立ちたいという意欲いよくは人一倍ある。

 せっかく生まれ持った資質であれば、みがけば補佐役ほさやくとして、あらゆる場面で力を発揮はっきできるだろう。

 修練しゅうれんは、おのれの身を守るためでもある。

「猫で妻であることに手一杯」と言いながら、気になったものには駆け寄らずにはいられず、まさに猫のようにまっしぐらに危険にさえ飛び込むロゼッタ。

 かつての悪夢をり返さぬよう、そなえは必要だ。

 そして何よりも、ロゼッタを守るために、自身もよりはげまねばならぬ。

 それを強く胸に刻み、黒曜は役目を果たすため、祈りの間に入った。

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