第17話 神風

「どうして……どうしてこんな……」

 ふるえる声で独り言ひとりごちるロゼッタの前で、妖精王がとららわれの氷精ひょうせいたちを守るよう、ロマに指示しじした。

 ロマはただちに花びらの結界に守られた彼らの前に移動し、隙なくみがま構える。

 いつしか隣に立っていた黒曜のあたたかな手が、ロゼッタのふるえるかたいた。

「愛し合っていても、ゆずれぬものがあるのだ。あの二人には……」

 黒曜のしたわしい低い声が耳にすべりこんで、少しだけ心がほぐれる。

 それでも、ロゼッタは納得がいかない。

 —……なぜ、愛し合っているのに戦わなければならないの……?

 先程さきほどは背中を合わせ、互いを守りながら、まるで二人で一つの生き物のように戦っていたのに、今では激しく剣戟けんげきと、魔力の応酬おうしゅうを繰り広げている。

 フロリンダの長剣は細く、銀の輝きを宿した半透明の半曲刀はんきょくとうだ。

 ふるうたびに銀色の糸のような軌跡きせきを辺りに放ち、それも攻撃となる。

 先の災厄で、ティタニアがふるっていた金の輝きを放つ剣と色違いの剣。

 女王の剣がソラス・オール金糸の光、そして、フロリンダの剣はソラス・アリギド銀糸の剣というのだと、本人から教わった。

 女王と対になるそれを自在じざいあつかうフロリンダは、確かに女王の後継者なのだとロゼッタは改めて思い知った。

 黒曜のもとに来るまでは、妖精王も女王も、ロゼッタにとって、遠くからうやましたうだけの存在だった。

 親しい同胞どうほうとて、皆、大差ないだろう。

 ゆえに、後継のことなどはまったく把握はあくしていなかったが、ここに来てフロリンダが女王の後継者こうけいしゃだと知らされても、とうに承知していたことのようにまるで自然に納得できる。

 それほどにフロリンダは女王に相応ふさわしく、ロゼッタに目にはまばゆかった。

「あっ……」

 傍近そばちかくにいるエフォリアが、小さく声を上げる。

 レイの一撃いちげきが、フロリンダの手から剣をはじき飛ばした。

 花びらのような鮮血が散って、フロリンダが苦痛に唇を歪める。

「あれは氷精の長が受け継ぐ武器、フロストハムル氷の姿か。初めて見るが、なるほど、相当のたくみ丹精込たんせいこめて仕上げたものだな。持つ者によって姿を変えるというが……、果たして、氷の騎士殿に武器に込めた術式まで使いこなす力があるかな?」

 妖精王が、いささか感心したように呟いた。

 レイの剣の刀身は氷のように透明だ。

 揮うたびに冷気と共に雪の結晶がきらめく。

 柄はアイスブルーと藍白あいじろで、細やかな意匠いしょうりこまれている。

 形状は基本的なロングソードであり、膂力りょりょくも加われば、フロリンダの方が押されてしまうのはさもあろう。

 フロリンダは瞬時に風の盾を構築こうちくし、続く攻撃を防いだ。

 同時に、手から落ちた銀色の剣が宙で旋回せんかいし、切っ先を向けて飛んでくる。

 気づいたレイは素早くそれを剣で打ち払ったが、そのすきを突いて、フロリンダが指をはじいて凝縮ぎょうしゅくした大気をち込んだ。

 それは回避かいひしたレイの左腕をかすめた瞬間にぜて、ジャケットの布をいて肌まで傷つけた。

 その時にはもう、フロリンダの血で染まった手に、ソラス・アリギド銀糸の光い戻ってにぎられている。

 そして再び、正面から打ち合った。

 顔をおおいたくなる両手を頬で止め、ロゼッタは見守り続ける。

 そんなロゼッタに、ななめ前に立つ妖精王が優しい眼差まなざしを振り向けた。

つらいなら、目を閉じていてもいいのだよ?」

「いいえ」

 ロゼッタはきっぱり、かぶりを振った。

「見届けます。なぜ、お二人が戦わねばならないのか…私には納得できませんけれど……」

 妖精王は、鷹揚おうよううなずいて見せる。

「そなたはどんどん素晴らしいレディになっていくね。地の君は果報者かほうものだ。

 なぜ、戦わねばならないか、か。もちろん、残忍ざんにんのろいをかけた、あの山羊の小童こわっぱが悪い。それはもう、救いようがないほどに」

 妖精王の声が聞こえたのか、離れた場所で捕縛ほばくされたバフォメットが、唇をいやらしく歪めた。

「だが、あの二人が正面からぶつかり合っているのは、愛し合っているからこそだ。心から相手を尊重し、信頼している。

 剣戟けんげき衝撃しょうげき、ぶつかり合う魔力、それらすべてが、全身全霊ぜんしんぜんれいで相手への愛を語ってるようではないか」

 詩のような妖精王の言葉に、ロゼッタだけでなく、黒曜もエフォリアもかすかに同意する気配があった。

 たまらなく悲しい戦いにも関わらず、その命のやりとりがはげしい愛の仕草にも見える矛盾を、見守る誰もが感じているに違いない。

 妖精王はまぶに、改めて戦う二人を見遣みやった。

「そなたがフロリンダの立場になったら、どうするね?ロゼッタ」

 ロゼッタは迷いながらも、ややうつむいて答えた。

「愛する人と戦うことはできません。命を差し出してしまいます」

 肩に置かれた黒曜の手に、力がこもる。

 その手のこうに、ロゼッタはそっとおのれの手を重ねた。

「それがそなたにとっての正解であれば、間違ってはいない。だが、愛する者を手にかけた相手は、その後、まともに生きながらえるのは難しい。魂にまで深い傷を負うことになるだろう。

 フロリンダは、避けられないそれを、最小限にとどめたいのだろうね」

 言いながら、王の左目から、涙があふれ出た。

 右目は優しい高貴な光をたたえたままなのに、左目からだけ、とめどなく涙が溢れ出る。

 驚くロゼッタに、妖精王は少しおどけた風に微笑んだ。

「今、私の左目は、ティタニアと共有しているのだ。私たちは、二人で一つだからね」

 ああ、とロゼッタも、その場にいた黒曜とエフォリアも納得した。

 フロリンダをいつくしんで育てた女王は、遠く離れたティル・ナ・ノグ常若の国、その城の中でひとり泣いているのだ。

 愛し子いとしごが心を殺して愛する人と戦う姿に、胸を痛めて涙を流しているのだ。

 ロゼッタはそのことがいたわしく、また、うらやましくもあった。

 母という存在なく生まれ育ったロゼッタには、知り得ない愛だった。

 妖精王は流れる涙をぬぐわずに、げんぐ。

「フロリンダは迷わず、彼と戦うことを決めたね。それは、女王を継ぐという決意が、生半可なまはんかなものではないからだ。そしてさらに、自分があっさり命を差し出すことは、己同様おのれどうよう、氷精の長を受け継ぐ使命のために、艱難辛苦かんなんしんくえてきた誇り高い氷の騎士殿への、侮辱ぶじょくにもなる。

 抵抗もしないレディの心臓をつらぬいても、それは恥にしかならない。地の君にはならば、わかるのではないか?」

 言葉を振られた黒曜は、深くうなずいた。

「その通りです。無抵抗の女人にょにん、しかもそれが愛する相手であれば、なおのことです」

「男としての矜持きょうじだね。そんな真似は、魂をげるほどの屈辱くつじょくになる。それが、 互いの命をかけてぶつかり合っての結果であれば、また違ってくる。

 愛するひとの誇りを守り、さらには自身の誇りを守るために、あえて全力で戦うことを、フロリンダは選んだのだよ」

 ただ、と妖精王はいささか不満げに眉を上げた。

「悪魔に隷属れいぞくして望まぬ罪を重ね、一族を解放した先の自分の未来を、清廉せいれんな氷の騎士殿は考えてはいまい」

 言って、ゆっくりと腕を組む。

 妖精王が語ったことは、ロゼッタの考えおよばないことばかりだった。

 フロリンダが、いかに広く深い視座しざで物事を見ているか—―相手を良く洞察どうさつし、考え、尊重しているかを知り、打ちのめされたような気持ちだった。

 —……フロリンダさまほど、女王に相応ふさわしい方はいないわ……。

 女王の資質があると言われたけれど、とてもではないが、自分はフロリンダには及ばない。

 資質はあっても、その器がない。

 やはり、フロリンダはあこがれの存在だ。

 女王の資質が自分にあるというのなら、ゆくゆくは女王となるフロリンダを支える存在になりたい。

 それは自分が、最愛の夫である黒曜の頼みにもなれるだろう未来だ。

 —……必ず—―必ず、夢に見た瞬間を回避かいひしてみせる……!

 そう心に決めて、ロゼッタは戦う二人を見守った。

※※※

 手加減てかげんをしたつもりはない。

 だが、フロリンダの手から銀に輝く剣を叩き落とした時、その気になれば手首ごと落とすことはできた。

 それができなかったおのれの弱さに、レイは人知れず奥歯をめる。

 できない、ではない。

 やらねばならないのだと、呪文のように自身に言い聞かせる。

 ねっ返りで負けん気の強いところもあるが、根本的にフロリンダはいつくしみ深く、争いを好まない。

 そんな彼女の本質に触れたから、かれたのだ。

 外側からは見えない、彼女の心の真奥にある、繊細で柔らかな花びらを広げる淡い色の薔薇のような心映こころばえに、自分は魅了みりょうされたのだ。

 そんな優しいフロリンダが真っ向から解呪かいじゅあらがって見せているのは、自分のためだ。

 自分の目的のために、愛するひとを犠牲ぎせいにしたという汚辱おじょくを、負わせないためだ。

 ほこりをたてに、愛を剣にして向かってくるフロリンダに、むくいなければならない。

 だが—――相反あいはんする思いが胸の中でせめぎ合う。


 —……フロリンダの手で、まわしい呪詛じゅそしばられた我が身が、終焉しゅうえんを迎えることができたなら—―。


 卑怯ひきょうだ、とレイはその思いを打ち払う。

 愛するひとの手を血でけがす望みを抱くのは、惰弱だじゃくだ。

 魔力のすべてを費やして役目を果たし、消滅しょうめつする。

 もしくは罪の裁きによって、現し世うつしよを去る。

 いずれにしろ、魂レベルでの贖罪しょくざいまぬがれぬ、それが己の最善の結末だ。

 花の香りを含んだ風、愛しいひとの風が鼻先をかすめ、後れ髪が切れて空に舞った。

 頬に一筋ひとすじの傷が生まれ、赤い飛沫ひまつちゅうに踊る。

 その容赦ようしゃないするどさが、かえってレイにかすかな安堵あんどをもたらした。

 —……それでいい。ためらわずに未来へ向かって飛ぶ、君でいい。

 叶うなら、フロリンダが描く銀の軌跡きせきも何もかも、あますことなく見ていたい。

 まぶしいきらめきを放ちながら風をまとって飛び回るフロリンダのかたわらで、あらゆることから守りたい。

 え間なく胸の底から吹き出してくる叶わぬ願いを、レイは静かにねじせる。

 後ほんの少し先の未来には手放すことになる武器、フロストハムル氷の姿の冷たいつかにぎり直し、レイは攻撃をいなしつつ、次の手に出た。

※※※

 すべての行動が感情起点かんじょうきてんのフロリンダと真逆のレイの攻撃は、感情の揺れが感知できない分、次の一手が読みにくい。

 スピードでは勝っているからしのげるが、一瞬たりとも気がけない。

 そんな張りつめた戦いの中、不意にどうしようもなく悲しみがこみ上げる自分を、フロリンダは気づかれぬよう叱責しっせきしておさえつけていた。

 —……レイの本懐ほんかいげさせてあげたい。

 屈辱くつじょく抑圧よくあつの中、耐えてきたのは一族の解放という悲願のためだ。

 自分がこの身を差し出せば終わる。

 ユリアとの約束も守れる。

 けれど、それをしてしまったら—―—レイのその後を、守れない。

 誇り高い彼が、愛した相手に心臓を差し出され、それを貫いた未来で自我じがを保っていられるとは思えない。

 屈辱と絶望に染めぬかれたまなこは、もう光を見ないだろう。

 自分亡き後の世界で、彼が絶望に落ちていくのは、死よりも耐えられない。

 罪はつぐなわねばならぬとて、誇りだけは捨てず自我を保てば、必ず許しの時は来る。

 レイにすべてをあきらめて欲しくはないのだ。

 けれど—――自分を育ててくれた、育ての母なるティタニアの期待も、裏切りたくない。

 何よりも、女王となるために歩んできた自分自身を、切り捨てたくない。

 二つの覚悟に挟まれながら、フロリンダはレイと対峙たいじした。

 —……バフォメットの思惑通おもわくどおりになど、させないわ。

 レイの一撃は重く、フロリンダの腕では受けるだけでわずかながらにダメージを受ける。

 なるべくかわして流しているが、それでも疲労ひろう蓄積ちくせきしていく。

 —……長引かせたくない……!

 戦いの中、レイの前髪が、冥色めいしょくをさらに濃くして黒くなってきていることに、フロリンダは気づいていた。

 瞳も、水面みなもすみが落ちたようにくらさを増している。

 責務を果たさねばならないという、理性。

 フロリンダを手にかけたくないという、本音。

 二つのせめぎあいに精神が引き裂かれ、彼が絶望と罪の意識にまれつつあることを、それは物語っている。

 バフォメットの巧妙こうみょうに張り巡らされたよこしま思惑おもわくを、フロリンダはえたぎるように憎んだ。

 バフォメットの罠には、思いやりやいつくしみの欠片かけらもない、身勝手でよこしまな底なしの妄執もうしゅうしかない。

 欲望をかてにするあの悪魔には、満たされるということがないのだろう。

 魂と引き換えにどんな欲望も叶えてやりながら、決して自らの願いは叶わない。

 何が願いなのかも、わかっていないのだから。

 そんな負のループの、あわれなとらわれびとがバフォメットの正体なのだと、フロリンダは思い至った。

 と、りかかったフロリンダの視界から、不意にレイの姿が消える。

 その意味するところに気づいて、フロリンダは剣を一回転させて術式を発動させた。

 フロリンダの胸に着けたブローチがひときわ冷たくなり、気が付いた時には真後ろにレイがいた。

「本質にかえるのは、これが最後だ」

 白い雪の結晶をまとい、低く淡々とした呟きと共に、フロリンダが槍状やりじょうに変化したレイの武器に背中から貫かれる。

 —……形状が……氷のように変わる武器、なのね……!

 多くの悲鳴が上がったが、刹那、フロリンダの身体は凄まじい旋風せんぷうとなり、レイの視界をさえぎった。

「私はこっちよ!」

 風と光で自身の幻影げんえいを作り、レイの目をくらませたのだ。

 フロリンダはレイの背後を取り、覚悟を決めて両手持ちした剣を、突きの態勢たいせいに構える。

 素早く身をひるがえしたレイも、氷の槍と化した武器を素早く突き出してきた。

 その姿が、不思議とゆっくり見えて、フロリンダはこれで終わるのだと気づいた。

 この一撃いちげきで、すべてが終るのだと。

 そう思った時、胸にあふれてきたのは途方とほうもないいとしさ。

 あらがいようもない、レイへの想いだった。


 —……傷つけたくなんか……ないのよ……。


 それは当たり前の思い。

 まっさらな気持ちでそう思った時には、フロリンダの剣筋けんすじは力を失った。

 それをさっしたレイの瞳が、微かに揺れる。

 自身の胸に冷ややかな重たい感触と共に食い込んだ、鋭い武器の先端せんたん半端はんぱに止まった。

 フロリンダの迷いが、レイの心に映ったかのように。

 身に着けていたブローチに、亀裂きれつが入ったかわいた音がする。

 自分の差し向けた刃の先から伝わる、肉に食い込み、骨の当たる感触も、半端はんぱ手応てごたえだ。

 愛しいひとの肉体を傷つけた生々しい実感じっかんが、フロリンダの手を止めさせたのだ。

 レイにやいばを突き立てた現実は、フロリンダに途方もない怖れと哀しみをもたらした。

 誰よりも大切にしたい存在を傷つける現実の方が、胸の傷よりも痛かった。

 なげきの声が、遠くあちこちから聞こえてくる。

 フロリンダは胸に受けた強い衝撃しょうげきから顔を上げ、レイに微笑みかけた。

「……届いて、ないよ?……心臓に……」

 レイの双眸そうぼうが揺れ、一筋ひとすじの涙がこぼれ落ちる。

 それはんだ透明ではなく、血の色が混ざった薄紅色うすべにいろだった。

 薔薇の小さな花びらのように。

「……君の剣も、ね……」

 レイの武器が突き立ったところからすさまじい冷気が流れ込み、骨をきしませ、喉がてついて張り付く。

 フロリンダは息苦しさにあえぎながら、気が付けば片手をレイに伸ばしていた。

 同じように、レイの血の気を失った手が伸びる。

 武器が邪魔で、指先がわずかに届かない。

 そのくるおしさが、剣を握っていた手をゆるめさせた。

 冷たいいのひらを合わせ、指をからめて握りしめるのと同時に、それぞれの武器が二人の手から離れ、地上に落ちていった。 

 せんを失った傷口から、鮮血が吹き出してそれぞれのあごを、頬を汚す。

 それは互いの胸に、愛をあかして咲いた深紅の薔薇のようだった。

 またたく間に凍てついていく血液は、花びらのように宙に散っていく。

「……わたしたち……ばか、ね……」

 ひたいを合わせ、泣き笑いの顔で言ったフロリンダを、武器を捨てたレイの腕が抱き寄せる。

「あなたに……最初に、言われたとおりに、なった……愛に、足をすくわれたわ……」

「出した言葉は、自分に…返ってくる……僕も、同じだ……」

 苦し気にしぼり出されたレイの声は、涙に震えていた。

 この人も泣くのだと、フロリンダはこんな時にさえ、始めて見るレイの一面に触れることができて嬉しかった。

 —……もっと、たくさん知りたい。レイに触れたい。色んな顔を見たい。

 ずっとずっと、彼のかたわらにいたい。

 ただ、それだけなのに—―――……

「……フロリンダ……君を、守りたい。守りたいんだ……」

 レイがうわ言のように呟いた瞬間、フロリンダの胸のブローチが割れて、封じ込められていた冷気があふれだした。

 どんどん力の抜けていく腕を、なんとかレイの背に回す。

 息ももう、ほとんどできない。

 息苦しさと寒さに、気が遠くなる。

 その果てに、あらがいがたい眠気がおそいかかってきた。 

 死に至る眠りなのはわかるが、どうにも抗えない。

「バカ野郎!結界を解け!綿菓子頭!!」

 聞き馴染なじんだ怒鳴り声が、火矢のように飛んでくる。

 その声に、かすかに反駁はんばくしたい気持ちがチラりと意識に浮かんだが、それもほんの一瞬。

 すぐに、どうでも良くなった。

 どんな力も、もう残っていない。

 どうにもできない。

 このまま愛するひとの腕の中で眠れるならば—――それは最上さいじょうの幸せ。

 そう思った瞬間、フロリンダは、意識を—―生きることを、放棄ほうきした。

 手をとり、互いをかきいだいて、愛するレイと冷たく静かな永遠の眠りへと落ちていく。


 その瞬間だった。


 フロリンダのつむいだ風をえ、あたたかな、けれどすさまじい突風とっぷうがその場に舞い降りた。

 それは強いばかりでなく、華やぎを感じる春を招く風。

 光を紡いだような、圧倒的な存在感を持つ、神々しい風。

 それは風の宮を包み、さらにフロリンダが戦いのために構築こうちくした風の結界を押し包み—―飲み込んだ。 


 ——――生きよ—―――………


 風の声を、その場にいた誰もが聞いた。


 脳裏に直接届くその声は、フロリンダにも確かに届いた。

 知らない、けれどどこか懐かしいその声を耳にしたのを最後に、フロリンダの意識は完全に黒く閉ざされた。


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