第3話 思慕

 明滅めいめつする暴力的な色彩の中で、カタカタと人形たちが無表情で飛び跳ねている。

「上出来じゃない」

 上機嫌じょうきげんな主の言葉に、レイは静かにこうべをれた。

「風のお嬢さん、カッコいいなぁ。怒った顔も美しい。さらに可愛い。ああ、早く遊びたいな」

 たいそうはしゃいだ様子の主の前で、しかしレイは顔色一つ動かさない。

「ん~?いつもながらノリが悪いね?あ、そっか。ご褒美ほうび待ちか。すっかり忘れていたよ!」

 言って主は、パチリと指を鳴らした。

 刹那せつな、室内の一か所で、空気が動く。

 レイは思わずそちらを振り返った。

 雑然ざつぜんとした室内で、唯一、清らかな美しさを見せていた一角。

 そこで、人形の一つが動いた。

 青銀の髪とアイスブルーの瞳を持つ人形たちの中で、唯一、色の違う少女の人形。

 紫苑しおんの髪に桔梗色ききょういろの瞳のそれが、不意に人形らしい硬さを失ってぐにゃりと倒れ込んだ。

「カタリーナ!」

 レイは急ぎけ寄り、ひざをついて抱き上げる。

 見開いたままだった双眸そうぼうは閉じられて、かすかな呼気こきがあった。

 顔色は依然いぜんとして蒼白そうはくだが、生きているもの特有の柔らかさと温もりが感じられて、レイの中にいっとき、こらえ切れない喜びがこみ上げる。

「約束は守ったよ。僕は正直者だからね!」

 レイのすぐ後ろから、おおいかぶさるようにあるじの声が降ってきた。

「まったく君ときたら、僕にはいつも無表情の鉄面皮てつめんぴのくせに、自分の一族のことになると違った顔を見せるね」

 しまった、と思った時には遅かった。

 レイの左腕で、内側から激しい破裂音がとどろいたかと思うと、激痛が全身を駆け巡る。

 悪寒と脂汗あぶらあせが吹き出す中、それでもレイは右腕でなお少女を抱えていた。

「安心して!約束したから、その子を取り上げたりしないよ!

 君の顔や身体は、僕のお気に入りだから外側からわかるように傷つけたりしない。ちょっと左腕の骨を粉砕ふんさいしただけさ!」

 優しいだろう?と肩に手を置き耳元でささやかれる残忍な愉悦ゆえつはらんだ問いに、レイは頷くしかできない。

「……御心のままに」

「素直でいいね!んでさ、その子、人形じゃなくなったからここに置いとくわけにいかないし、どっか捨ててきてよ」

 身体を離し、主は野犬を追い払うようにシッシと手を動かした。

「置いといたら僕の可愛いオモチャたちに遊ばれて、部屋が汚れるしさ。

 あ、風のお嬢さんに預けたらいいんじゃない?死に損ないの人間の子をわざわざ拾って手当てするくらいの物好きだし、必ず引き取ってくれるよ!」

 自分の思いつきに酔ったように、主は一人くるくると両腕を広げて回転する。

 その動きに沿って、玩具がんぐたちと部屋の色彩は逆回転を始めた。

 レイは眩暈めまいを覚え、飛びそうな意識を奥歯を噛みしめて何とか繋ぎとめる。

「ま、あのお嬢さんも近いうちに僕のコレクションになるけど、その前のちょっとしたプレゼントってことで!さ、早く行きなよ」

 急かされて、苦痛に奥歯を噛み締めながらレイはその場を後にした。

 その耳に、純然じゅんぜんたる悪意に満ちているがゆえに黒く無垢な笑い声が、いつまでもこだましていた。

※※※

「昨日は情報量の多い一日だったわ……」

 不眠不休の状態で、フロリンダは身支度を整えながら独り言ちた。

 濃い萌葱色もえぎいろ基調きちょうに、スカート部分にはライムイエローと白緑のオーガンジーのチュールを重ね、肩紐かたひもや胸元に同色のリボンをあしらった妖精らしいワンピースに着替え、くすんだ白のショールを羽織る。

 透けるほどの薄手のショールのふちには小さな鈴が飾られていて、動くたびに可愛らしい音を立てた。

「初雪も降ったのに、涼しげなお姿ですねぇ」

 朝食を運んできたプリムラに、フロリンダは疲れも見せず微笑んだ。

「今日は飛摩那城ヴィマーナじょうに行くから、美惟那姫ミイナひめに踊りをおねだりされるかなって思って、ね」

「なるほど」

 紅茶を一口呑んで、フロリンダは小さく吐息をつく。

「子どもの様子はどう?」

 昨夜、帰還したフロリンダが連れ帰った人間の子どもは少年で、かなりの重症だった。

 腹の肉が裂けて内部にまで傷が及んでおり、人界であれば助からなかっただろう。

 フロリンダの癒しの術によって、子どもは一命をとりとめた。

 フロリンダは脆弱ぜいじゃくな人間の肉体に対し、強い魔力がさわりにならぬよう、調整しながらほぼ一晩、治癒を施したのだ。

「まだ意識は戻っていないデスの。熱も続いていて…フロリンダさまが調合したハーブを使ってマス」

「そう……、熱が長引くようなら、音瀧おとたきお姉さまにも相談してみるわ。私も一通り学んだけれど、音瀧お姉さまはプロフェッショナルだから」

 軽く朝食を済ませ、宮の西塔で朝の祈りも終え、フロリンダはそのまま東塔には戻らず、階下へ続く螺旋らせん階段に踏み出した。

 西塔の一階は、外部にも開かれた、言わば公用の居室群だ。

 客間やキッチン、宮仕えの者たちが生活する部屋も用意されている。

 そこの客室の一つに、少年は寝かされていた。

 癒しを施した後は、誰かしらがついて、変化があれば知らせてくれる体制を整えた。

 フロリンダが顔を出すと、少年が休む寝台の傍らの椅子に座っていた風精の侍女が腰を浮かせる。

 それを手で制して、フロリンダは静かに枕辺を覗き込んだ。

「顔色はだいぶ良くなったわね…」

 昨夜は唇まで真っ青だったが、今は赤く色づいており、頬の血色も戻っている。

 血で汚れていた黒髪も、綺麗に清めてあった。

 フロリンダが熱っぽい小さな額をそっと撫でると、微かに瞼が動いた。

 うっすら開かれた目の奥に、桔梗色の瞳が覗く。

「……マ、マ……」

 最初にその唇からこぼれ落ちた言葉に、フロリンダは胸が締め付けられた。

 自分たちと違い、人間の子供は、一定の年齢まで単独では生きていけない。

 ゆえに、親に強い愛着を持つ。

 魔獣に捕食ほしょくされる恐怖の果てに、保護者のいない世界に独り放り出された。

 少年がその現実を知れば、どれほど心細いことだろう。

「心配しないで。まだお熱があるから、ゆっくり眠っていなさいね」

「……はい……ママ……」

 優しくゆっくり語りかけると、少年は安心したように素直に目を閉じて、眠りに引き込まれた。

 その髪をでながら、フロリンダは何としても少年を親元に帰してやらねばと唇に力を込める。

「出かけてくるけれど、この子に変化があったら、すぐに連絡をちょうだい」

「かしこまりました、我が君」

 フロリンダは少年の額を離れがたい気持ちで撫でると、部屋を出てそのまま、西塔から外に出た。

 南門に続く庭は、薔薇を基調に、木々も植えられた美しい庭園だ。

 標高ひょうこうの高いアルヴァレーゼ山の頂きに座する風の宮は、通常であれば限られた高山植物しか育たない。

 その環境の中、フロリンダが風の司守に着いた際、真っ先に整えたのがこの庭園だった。

 妖精は、緑の在る場所でより活性化する。

 何よりもフロリンダは花を愛していた。

 草花を育てるための結界を構築し、水を招き、植物を育てる魔力に長けたプリムラの協力もあって、今や風の宮は、南側に主に薔薇、北側はハーブの育つ美しい庭園が整えられている。

 冬であれ、常に花が絶えない。

 フロリンダは深夜に降った初雪で、所々白く化粧した薔薇たちの間を縫うように歩く。

 打って変わった晴天の光を弾く雪の白さが、目に眩しかった。

 寒さの中でもフロリンダの魔力に守られて咲く薔薇たちの中から、優しいこうじ色と、若菜色のものを選び、魔法で手早くブーケに整える。

「皆、雪の中でも咲いてくれて嬉しいわ」

 フロリンダの言葉に、薔薇たちは一斉に身を揺らして応えた。

 あちこちから香りが立ち上り、フロリンダを取り巻く。

 フロリンダが花を愛しているように、花もフロリンダのことを愛しているのだ。

「じゃあ今日も、最高の一日と行きますか!」

 言ってフロリンダは疲労を打ち払うように、大切に花束を抱え、力強く地を蹴って飛び立った。


 向かう先は、迦楼羅族かるらぞくの領地、天空の飛摩那城ヴィマーナじょう

 世界の東北に位置する龍宮城と対極の、風の領地にほど近い火の領地内、西南の上空に存在する。

 峻烈しゅんれつな高山の上に座する風の宮も天空の城と呼ばれることがあるが、迦楼羅族の住まいは、比喩ひゆではなく空にある。

 鳥状の翼をもち、火を主に、風も巧みに操る文武に長けた優秀な一族は、長きにわたって龍族と競い合う神獣しんじゅうの一族である。

 龍族も司守つかさもりを多く輩出はいしゅつしているが、迦楼羅族も風か火、いずれかの司守を多々輩出しており、先代の風の司守は前・迦楼羅王であった。

 司守交代と同時に現王に譲位じょういしたが、現王も、火もさることながら風を操る力に長けており、次代の風の司守も王座と共に継ぐのではと、王太子の頃より期待されていたらしい。

 だが選出されたのは、候補の話題にも上がったことのない妖精フロリンダだった。

 空に暮らす特性を生かし、長く風の宮の警護職についていた迦楼羅族もいたが、見も知らぬ妖精が宮の主になるとあっては、続々と暇乞いとまごいを始めた。

 龍族からは水と地、二人も司守への選出があったのだから、納得がいかない気持ちもことさら強かったのだろう。

 フロリンダとしては別に困らないが、暇乞いの挨拶と称していちいち皮肉を置き土産にされるのはかなり不愉快である。

 彼らの不遜ふそんな態度は、妖精へのあなどりも感じられた。

 文句があれば、王は神格を持つのだから、天界に出向いて抗議すればいい。

 それもできずにいたいけな乙女に不満をぶつけるとは、誇り高い一族が聞いて呆れる。

 そう思い直接、飛摩那城ヴィマーナじょうを訪ね、迦楼羅王かるらおう謁見えっけんを申し込んだ。

 門前払い覚悟、強行突破の構えで独り出向いたが、若き迦楼羅王・璃守リシュは丁重にフロリンダを招き入れた。

 そして璃守は、一目でフロリンダの力量を見抜き、一族の者たちの非礼ひれいびたのだ。

 璃守さまは優しすぎると言う者がいたので、手合わせを申し出て、許可を得た上で王の御前においてコテンパンにしてやった。

 爽快な気分で城を後にしようとした時、王の妹姫に引き留められたのだ。

 隠し部屋から一部始終を見ていた王の妹・美惟那ミイナは、その時からすっかりフロリンダに心酔しんすいしている。

 それが兄妹そろってになってしまったのが、困りものであるが—――。


 雲を突き抜けて、ひたすら上昇していく。

 それだけでも並々ならぬことだが、フロリンダはあくまで軽やかに空を行く。

 やがて雲に囲まれ、天に浮いた城が見えてきた。

 象牙色ぞうげいろの壁に、赤と金の丸い尖塔せんとうを持つ城は、カラフルでメルヘンチックにも見えるが、強固な結界に守られて気楽な来訪はできない。

 しかしフロリンダは、前もって訪れを告げる必要もなく、いわゆる出入り自由であった。

 結界が放つ強い大気の渦をむしろ心地良く感じながら、黄金の鳥が羽根を広げた意匠いしょうの、虚空に据えられた門をくぐった。

 羽一つ動かさずに宙に留まる門番はてのひらを合わせ、頭を下げてフロリンダに礼を取る。

 最初に来た時は侵入者扱いだったが、今では賓客ひんきゃくのそれである。

 空の上に在るがゆえに、外堀や庭園はない。

 門を抜ければすぐに巨大な金色の正面扉が待ち構え、音もなく開いてフロリンダを出迎えた。

 乳白色を基調に、ターコイズブルーの差し色が鮮やかな柱に囲まれた円形ホールは、吹き抜けになっている。

 床は中央から放射状の模様が白のグラデーションで描かれて、中央には羽根を広げた金色の鳥の像が置かれていた。

 その前で、ひときわ眩い黄金の羽を背に持つ長身の美丈夫がフロリンダを出迎えた。

 蜜色みついろの肌に、深く刻み込んだような目元は影が濃く、精悍せいかんな色香がある。

 ポンペイアンレッドの髪は緩い癖があり、山吹色やまぶきいろの瞳は、光を受けると金色に輝く。

 引き結んだ唇には意志の強さを感じるが、フロリンダを見るといつも優しい笑みを描いた。

「迦楼羅王…直々にお出迎え、光栄ですわ」

 フロリンダが優雅に礼をとる前で、迦楼羅王・璃守リシュも礼を取った。

 緩やかな袖と丈の長いえりの立った上着は、黒地に縁取りの曙色あけぼのいろが鮮やかだ。

 下に合わせた、上着と同じく緩やかなパンツを白にしているのも品が良い。

 上着の縁取りには小さな宝石と刺繍ししゅうが縫い込まれ、動くごとに鮮やかな光を放っていた。

「忙しい身の貴女を、私の身内が呼びたてたのだから当然のことですよ」

 言って差し出される手に、フロリンダは手を乗せた。

 大きく温かな手は、心地良い。

 親和性のある属性特有の安らぎをその手に感じながら、同時に昨日触れた、氷のように冷たい手を思い出した。

血を流しながら、癒しを拒んだ細く長い指を持つ手―――フロリンダは、何故か浮かんだその記憶を小さくかぶりを振って打ち払う。

「私も美惟那姫には会いたいと思っていたから、ちょうど良いタイミングでした」

 璃守にエスコートされて、王族の女性たちが住まう左宮に向かう。

 四方空しか見えない回廊かいろうは、独特の曲線を描くアーチ型だ。

 行き過ぎる風が透き通るようで心地良く、休みなく動く身体に力が戻っていく。

「失礼を承知で穿うがったことをたずねますが……、休まれていないのでは?風の君」

 言い当てられてフロリンダは、苦笑いで小首を傾げた。

「気づかれてしまいましたか。魔獣が暴れたことにより、怪我人を引き取りまして。それがちょっと特殊なケースだったのです。人間の子ども…だったので」

 迦楼羅王は軽く瞠目どうもくした。

「それは…難しい問題ですね」

「ええ。でも、乗り掛かった舟ですもの。子どもを人界の親元へ帰すまで、面倒を見るつもりです」

「それはご奇特きとくな。人界とこの世界は、時間の流れもいささか違う。帰すならば一日でも早い方がいいでしょうね。私でお力になれることがあれば、何なりと頼ってください」

「ありがたいことですわ。境の聖地がけがされましたし、武勇の誉れ高い迦楼羅族に警護を強化していただけたら、祭司たちもどれほど心強いでしょう」

「必ずご期待に応えましょう。僭越せんえつながら、風の宮周辺の警備の強化も」

「ご負担にならないのでしたら、そうしていただけると助かります」

 フロリンダの答えに、璃守は嬉しそうに目を細めた。

「フロリンダ姉さま!」

 和やかに言葉を交わしつつ回廊の終わりに辿り着いた二人に、上から声が降ってきた。

 いくつかの悲鳴を背に、吹き抜けの小ホールの上から、少女が落ちてくる。

 松葉色まつばいろの落ち着いた色味のムスリンという生地のドレスをはためかせ、背中の小さな金色の羽をパタパタ動かしているが、落下の勢いに追いついていない。

 フロリンダは虹色のきらめきを放ちながら自身の羽を広げ、急ぎ飛び上がった。

美惟那姫ミイナひめ、びっくりなお出迎えね?」

 璃守と同じ髪の色と瞳を持つ少女を抱きとめて、フロリンダは笑顔で言った。

「待ちきれなくて…」

 迦楼羅王の妹姫は、はにかんで頬をゆるめた。

「危ないではないか美惟那。それに、無作法ぶさほうだぞ」

 フロリンダが着地すると、璃守は渋面じゅうめんで妹を見た。

「だって、姉さまがいらしたら、すぐにわたくしの部屋にご案内してってお願いしてあったのに、なかなか来ないのですもの」

 待ちくたびれてしまったわ、と美惟那はツンとした可愛い唇をさらに尖らせた。

 そのまま、フロリンダの耳に囁く。

「お兄さまったら、フロリンダ姉さまと二人きりでいたいから、わざと時間を稼いでいたのですわ」

 丸聞こえの内緒話に、璃守が咳払いをする。

 フロリンダは笑って花束を美惟那に差し出した。

「わたくしの好きなお色!」

 顔を輝かせ、美惟那は薔薇に顔をうずめて目いっぱい息を吸い込んだ。

「良い香り!さあ、早くわたくしのお部屋に行きましょう。新しい曲を作ったの。フロリンダ姉さまに最初に聴いていただきたいのよ」

「楽しみだわ」

 腕の中ではしゃぐ姫君が可愛くて、フロリンダは満面の笑みのまま璃守に顔を振り向けた。

「このまま、螺旋らせん階段を使わずにお部屋まで飛んでいく無作法を、見逃してくださいまして?」

 眩し気に目を細め、璃守は頷いた。

「見なかったことにしましょう」

 すぐにフロリンダは再び飛び上がり、最上階の居室群に向かう。

「フロリンダ姉さまの次に、お兄さまに聴かせてさしあげてよ!」

 璃守ははずんだ妹姫の声に、手を上げて応えた。

「フロリンダ姉さまは、本当に風のようだわ。私も早く羽が大きくなるといいのに」

 美惟那は迦楼羅族の姫だが、いささか成長が遅い。

 さらに、勉学は呑み込みが良いのだが、武道はなかなか身につかないようで、本人は王の血を引く者として、それをうれいていた。

 けれど音楽への興味が強く、たくみにあらゆる楽器を弾きこなす。

 音曲の芸事げいごとに才があるのだ。

 両親はそれを物足りなく思っているようだが、幸い兄王が理解を示し、支援してくれている。

 美惟那の居室群の廊下に降り立つと、成り行きを見守っていた侍女たちが、姿勢を正し礼を取った。

「焦らなくても大丈夫。きっと良いようになるわ。『希望の妖精』も、美惟那姫と同じように、小さい羽だったのよ」 

 美惟那を抱いたまま部屋に向かいながら、フロリンダは目を合わせて言った。

「まあ!希望の妖精・ロゼッタさまも?」

 美惟那の目が輝く。

「ええ。魔力の伸びが遅くて、長く小さな蝶の羽のままだったの。初めて出会った頃は、飛ぶこともできなかったわ。

 それが地の君への愛を知って、みるみる成長したの。今では素敵なレディになって、地の君に愛されて、幸せいっぱいよ」

 ほう、と美惟那はうっとりとため息を吐いた。

 ロマンスに憧れて胸ときめかせる、少女の顔だ。

「そのお話も詳しく教えてくださる?」

「もちろんよ。その前に、新しい曲を聴かせてね」

 美惟那はフロリンダの腕から降りると、小さな手を繋いで、控えていた侍女に、自室の扉を両開きにさせた。

「フロリンダ姉さまが、早くほんとうのお姉さまになってくださるといいのに」

 小さなつつぶやきは、聞こえないふりをした。

※※※

「ふえぇ~っくしょんッ!!」

 盛大せいだいなくしゃみで、ロゼッタが抱えていた箱から小さな黄色い実がいくつか転がった。

 ロゼッタのくしゃみに、隣で林檎りんごの入った木箱を抱えていた黒曜の側近・彩雅さいがが顔をしかめる。

「無作法ですぞ、御方おかたさま」

「手がふさがってるから、おさえられなかったんですよぉ」

 地の君の妃—―いわゆる黒曜の妻になっても、ロゼッタと彩雅の関係は変わりがない。

 幼女の姿をしていても、寿命の長い地精の彩雅はロゼッタにとっては人生の大先輩であり、愛する黒曜の頼もしい片腕なのだ。

 ロゼッタは箱をいったん下ろし、転がり出た実を大事に拾い集めた。

「せっかくの頂き物なのに、ごめんね、金柑きんかんさん。おいしいジャムにしますからね~!」

 語りかけながら、エプロンドレスのエプロンで、愛おしむように拭ききよめる。

『希望の妖精』と二つ名で称されるようになってから、地の宮にはひっきりなしに各地から果実が届けられるようになった。

 砂糖や蜂蜜といった、ジャム作りに必要な甘味も同様だ。

 英雄譚えいゆうたんと共に、ジャム作りが好きであり、ロゼッタが作ったそれには特別な祝福が込められているという話も広まったためだ。

「きっと、誰かが私の噂をしていたのですね」

 座り込んだまま顔を上げ、ロゼッタはニンマリ笑った。

「今や知らぬ者のない『希望の妖精』だからのぅ」

 チッチッチ、とロゼッタは人差し指を立てて降りながら、舌を鳴らした。

「そーゆう、なんか、盛り盛りの話ではありません!きっと、黒曜さまが「うちの猫は可愛い」とか自慢してるんですぅ~」

 自分で言って「キャー!」と照れて顔を手でおおうロゼッタを無表情にしばし眺めた後、彩雅は静かに自分の持つ箱を下ろした。

「そこは「うちの妻」だろうが!!いつまで猫でいる気じゃあぁぁぁ!」

 言いながら手刀しゅとうをロゼッタの頭部に振り下ろす。

 頭頂部とうちょうぶの髪の一部を二つくくって、猫耳のように仕上げているロゼッタの結髪が、勢いで揺れる。

「ギニャーッ!!」

「お主はもう地の君の嫁御寮よめごりょうじゃ!!猫だ猫だ言っておったら、おかしな夫婦関係だと誤解を生むであろう!」

「だって黒曜さまは、猫で、お嫁さんでいいって言いました!」

「それは内々の睦言むつごとにしておけ!このポンチョコリン!」

「睦言って何ですか?」

「黒曜さまにうかがえ~ッ!!」

 二人のやり取りは、宮仕えの誰も止めない。

 それは地の宮の日常風景だからだ。

「彩雅さまは難しい言葉をたくさん知ってて、スゴいです。私ももっと、勉強しなくっちゃなあ」

「そうじゃな。地の君の妃として、まずは各氏族別かくしぞくべつに存在する、挨拶の作法を一通り身につけなければならぬな」

「うぅ~、エフォリアさまやフロリンダさまは、どうやってお作法を覚えたのでしょう?」

 ロゼッタは再び彩雅と並んで果物を運びながら、眉をへの字に下げた。

 以前はくりやを借りてジャムを作っていたが、大量に心尽こころづくしが届くようになってから、黒曜が夫婦の居室群に専用の厨房と保管室を作ってくれた。

 出来上がったジャムを持って、真っ先に厨人くりやびとたちや宮仕えの者たちに味見を頼むのは変わらない。

 心尽くしの返礼も欠かさない。

 ロゼッタにとっては黒曜の猫であった時も、妻になった今も、一直線に繋がって何ら違いはないのだ。

「そんな情けない顔をするでない。愛する殿御とのごのためと思えば、何でもできるであろうよ、お主は」

「はいっ!!仰るとーりです!!黒曜さまの顔をつぶさないように頑張ります!!」

 ケロリと晴れやかな笑顔になって、彩雅を苦笑させる。

「ふふ、金柑のジャムも、林檎のジャムも、出来上がったらたくさんフロリンダさまにお届けしなきゃ」

 おや、と彩雅は眉を上げた。

「先日、風の君はいくつか多めにジャムを所望しょもうされて、持っていかれたが」

「何だか……もっとたくさん必要になる気がするんです」

 呟くように言ったロゼッタの脳裏に、夢で見た光景が浮かぶ。

 ……――フロリンダの胸から、大輪の深紅の薔薇が咲くように散っていた鮮血――……

 それが、誰かの手にする槍状やりじょうの武器によってなされたことなのは、わかった。

 しかし、尊敬し心から慕うフロリンダが傷つく光景に耐えられなかった自分の心が、未来をる目をふさいだ。

『嫌だ』と思った瞬間、夢の映像は砂嵐すなあらしのようにき乱され、何も視えなくなってしまった。

 心を強く持って、しっかりるべきだったと、その後何度も後悔した。

 自分の魔力特性を知りながらも、受け入れられないのであれば『力』ではない。

 同じ能力を持つ妖精の女王ならば、きっと気丈きじょうに未来の景色の前後まで確認したはずだ。

 半端な能力の発現はつげんを、黒曜も、そしてエフォリアたちも責めることはない。

 だからなおのことロゼッタは、自身の心の弱さを、今更いまさらながら強く悔やんでいた。

「いかがした?急に黙り込みおって……」

 彩雅の怪訝けげんそうな……心配そうな声に、ロゼッタはハッとして顔を上げる。 

 得意げな笑顔を作って、胸を反らして見せた。

「ジャムをいくつ作ろうかなーって頭で数えていました!

 うーん、フロリンダさまには…六瓶ろくびんは必要かな?女のカンってヤツですね!」

「最後の言い回しは意味が違うような気がするが、お主がそう感じるなら、そうした方が良いのであろう」

 彩雅は、世界の南東に位置する地の領地から遠く離れた、最北の地より届いた酸味の強い小ぶりの林檎を見遣り、真面目な顔で深くうなずいた。

 夢視ゆめみが中途半端なままでは、フロリンダに詳しく危険を伝えることもできない。

 ただただ、くれぐれも気を付けてくださいとしか言いようがない。

 —……絶対……フロリンダさまが血を流す未来を、回避かいひして見せる……。

 彩雅に余計よけいな心配をかけぬよう、心にずっと引っかかっている気がかりを笑顔で押しかくし、ロゼッタは強く決意する。

 何度でも、何度でも――…。

※※※

 美惟那が作った曲は、アップテンポで小鳥が飛び回るような可愛らしい曲調だった。

 それを、独特の揺れを響かせるシタールという楽器で奏でると、より深みが出る。

 抱きつくようにかかえてシタールを奏でる美惟那の姿はとてもいじらしく、愛らしい。

「踊ってくださる?姉さま」

 一度目の演奏後に期待に満ちた眼差しを向けられて、フロリンダは二つ返事で引き受けた。

 庭園を持たない城であるが、それを埋め合わせるように、城内にいくつもの緑を配している。

 美惟那の部屋は、バルコニー部分は温室になって緑が配されていた。

 回廊脇には花壇が配置され、透明なドームに守られた中庭もある。

 空の青と植物の緑、そして内装の壁の優しい薄紅色は、目に優しい。

 フロリンダは立ち上がって、広い室内の中央に立った。

 美惟那は部屋の隅に設えた絨毯じゅうたんの上、細やかな刺繍ししゅうの入った大ぶりなクッションに腰かけてシタールを構えた。

 美惟那がつま弾くと、シタールは切ないような音色を奏で始める。

 それに合わせて、フロリンダは肩の薄手のショールを手に即興そっきょうで舞い始めた。

 イメージは、森を飛び交う鳥にした。

 来ている萌葱色もえぎいろの衣装は、フロリンダの波打つ銀色の髪にとても映える。

 リボンや重ねられた薄布、手にしたショールが舞に合わせてひらめいて、さらにフロリンダを美しく際立たせる。

 指の先から爪先まで意識をして、手首をしならせ、片足で旋回し……フロリンダは身体で鳥を、森の木々を、差し込む木漏れ日を表現していく。

 年に一度、ティル・ナ・ノグ常若の国では、女王の生誕祭に舞を競う祭典がある。

 踊りが特に好きな妖精たちがそれぞれに独自の舞を披露ひろうし、拍手の多さで優劣を競い合うのだ。

 優勝者には、女王の作った花冠かかんが、女王の手から贈られる。

 それは妖精にとって、この上ない誉れだ。

 フロリンダは、何度となくその栄誉に預かった。

 女王を喜ばせたくて、一心いっしんに舞を考え、所作しょさを磨いた。

 長い手足を優雅に曲げ伸ばし、軽やかに宙に舞い上がり—――音楽に身をゆだねていると、自分が整ってくる。

 歌でも、舞でも、その感覚がフロリンダは好きだった。

 曲の終わりと共にフロリンダの動きも止まり、動きに沿ってなびいていたワンピースのすそやショールもふわりと落ち着く。

 控えていた侍女たちも、こらえきれず感嘆のため息と共に拍手を打ち鳴らした。

「とっても素敵…やっぱりフロリンダ姉さまは素敵だわ…」

 美惟那ミイナの目は感動で潤んでいる。

「姫の曲がとても良かったからよ」

 美惟那は素直に微笑んだ。

「わたくし…もっと励むわ。姉さまに褒めていただけるように」

「まずは、自分を褒めてあげることよ?美惟那姫は音楽に、素晴らしい才能をお持ちだわ。音楽に造詣ぞうけいの深い妖精王も、きっとあなたの曲を気に入るだろうなってくらい」

「ほんとうに?私…お父さまにもお母さまにも似ていなくって…お兄さまの助けになることもできなくて…」

「あなたの音楽は、心を癒すわ。もっと自信持ってほしいな」

 真っ直ぐに視線を注いで伝えた言葉に、美惟那ははにかむ。

 良い育ちの姫君は、心根が素直で愛らしい。

 多くの妖精がそうであるように、フロリンダも子どもが好きだった。

 と、耳飾りが振動して、通信を届ける。

 耳飾りは、離れた相手と通じ合うための魔法を仕込んであるのが精和界せいわかいの常。

 フロリンダは毎日違うアクセサリーを身に着けるが、そのどれもが魔法を内包している。

『フロリンダさま。少年が目を覚ましました。しかし、パニック状態になっております』

 側近、シャルロットの声である。

「わかりました。すぐに帰還します」

 短く返して、フロリンダは美惟那に向き直る。

「ごめんなさい、至急、対処しなけれいけないことができてしまったわ。今日はここで失礼しますね」

 美惟那は口をへの字に曲げる。

「……ロゼッタさまのお話を聞かせてくださる約束でしたわ」

「ごめんね。また、改めて遊びにくるわ」

 言って、フロリンダはストールを軽くひるがえした。

 すると、どこから出したのか、ガラス瓶が手の中に現れる。

「これ、『希望の妖精』の手作りジャムよ」

 しょげ返っていた美惟那は、飛び上がるように顔を上げた。

 侍女たちも小声で驚きの声を上げる。

「えっ!ロゼッタさまの!有名なジャム!!」

 美惟那は小さな両手を胸の前で組み合わせた。

「お裾分すそわけ。どうぞ召し上がって」

「よろしいのですか…?」

「もちろん」

 美惟那はそろそろと手を出し、受け取って胸に抱きしめた。

「大切にいただきます…」

 この姿をロゼッタが見たら、「大袈裟おおげさですよ~!」と顔を真っ赤にして慌てふためきながら、さらにジャムを差し出すだろうなとフロリンダは考えて小さく笑った。

 —……今頃、クシャミしてるかもね。

 フロリンダは美惟那の髪をなでると、立ち上がる。

「フロリンダ姉さま、お花もジャムも、ありがとう。また近いうちに遊びに来てくださいね、約束ですわよ」

 幼いゆえに一途いちず真摯しんしな願いにフロリンダは頷くと、美惟那に見送られながら部屋を辞した。

 姫君はみだりに表に出ることをしないならいなので、美惟那は左宮さぐうから出てこない。

 フロリンダが元来た回廊を戻っていると、璃守リシュが姿を見せた。

「お急ぎのご様子ですね、ならばどうぞこちらへ」

 言って璃守は、フロリンダを玄関ホールの像の前に誘導した。

「貴女の羽ならば、移動に苦はないとはいえ、負担がないわけではない。何よりも時間が惜しいでしょう」

 巨大な像に璃守が掌を充てると、台座がぐにゃりと渦を巻いた。

「行きたい場所に、通じます。入ったら辿り着きたい場所を念じてください」

 フロリンダは長身の璃守を仰ぎ見た。

「助かります。とても」

 素直にありがたく思い、フロリンダは丁寧に礼を取った。

 璃守は照れたよう顔を背け、さあ、とフロリンダの背を押す。

「ありがとうございます。また改めて伺いますわ」

 ポータルに入り込むフロリンダへと、璃守の穏やかで、しかし思い切ったような声が追いかけてくる。

「次は、私にだけ会いに来て欲しいですね」

 一瞬、眩暈めまいのような感覚に見舞みまわれる中、フロリンダは自分の中にもその答えを見つけることができずに、固く目を閉じてそんな自分の困惑をやり過ごした。

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