最後の配信

深夜の相棒


田村ユウトは時計を確認した。午前2時15分。いつものように配信を開始する時間だ。


「おはようございます、皆さん。今夜もよろしくお願いします」


モニターに映る視聴者数は「28人」。いつもの顔ぶれだった。大学2年生のユウトにとって、この深夜の配信時間が一日で最も充実した時間だった。


狭い6畳一間のアパートに、配信用の機材が所狭しと並んでいる。中古で買い揃えたPCとキャプチャーボード、マイク。決して高級な機材ではないが、ユウトには十分だった。


「今夜は『呪われた病院』をプレイします。前回の続きからですね」


チャット欄にコメントが流れ始める。


「待ってた!」 「ユウトの悲鳴楽しみw」 「前回のところ怖かったなあ」


ユウトは画面を見ながら、一つ一つのコメントに丁寧に反応した。この時間だけは、彼は一人ではなかった。


ゲームを開始して30分ほど経った時、新しいコメントが流れた。


「ツキミ: ユウトくん、今日も疲れてるね」


ユウトは首をかしげた。いつもの常連視聴者の名前ではない。しかも、ゲームの内容ではなく、自分のことについてコメントしている。


「えーと、ツキミさん?初見さんですかね。疲れてるって、そんなに顔に出てます?」


「ツキミ: 目の下のくま、昨日より濃くなってる」


ユウトは反射的に手で目元を触った。確かに最近、睡眠不足が続いている。配信と大学の課題で、生活リズムが完全に崩れていた。


「ツキミ: 部屋も散らかってるよ。後ろのベッド、シーツが丸まってる」


ユウトは振り返った。確かにベッドのシーツはぐちゃぐちゃだった。しかし、カメラは自分の正面しか映していないはずだ。


「あれ?後ろって見えてます?カメラの角度、変ですかね」


しかし、他の視聴者からは特に反応がない。まるでツキミのコメントが見えていないかのようだった。


ユウトは首をひねりながら、ゲームを続けた。




見えない視聴者


次の夜も、ツキミは現れた。


「ツキミ: 今日は元気そうだね。でも、右肩が凝ってる」


ユウトは驚いて右肩を回した。確かに一日中パソコンに向かっていて、肩が痛かった。


「ツキミさん、なんで分かるんですか?」


「ツキミ: 見てるから」


シンプルな答えだったが、なぜかゾクッとした。


その後も、ツキミは的確にユウトの状況を言い当て続けた。


「ツキミ: さっきトイレに立った時、足音が重かった」 「ツキミ: 今、お腹が鳴ったでしょ」 「ツキミ: 窓の外、雨が降り始めたね」


全て正しかった。しかし、他の視聴者は相変わらずツキミのコメントには反応しない。まるで見えていないかのように、ゲームの話だけを続けている。


ユウトは試しに他の視聴者に聞いてみた。


「皆さん、ツキミさんのコメント見えてます?」


「何それ?」 「ツキミって誰?」 「新しい視聴者?よく分からない」


やはり、ツキミのコメントが見えているのはユウト一人だけのようだった。


配信システムのバグかもしれない。そう考えることにしたが、ツキミのコメントの正確性が気になって仕方なかった。




要求


一週間後、事態は変わり始めた。


常連視聴者が一人、また一人と配信を見なくなっていく。理由は分からない。ユウトは心配になって、いつもコメントをくれる「ゲーマー太郎」にメッセージを送った。


「最近、配信見てくれませんが、何かありましたか?」


返事は意外なものだった。


「最近のユウトの配信、なんか変なんだよね。一人でブツブツ喋ってる時間が多いし、ゲームに集中してない感じ。誰かと会話してるみたいで、見てて気味悪い」


ユウトは愕然とした。確かに、ツキミとのやり取りに時間を取られていた。他の視聴者にはツキミのコメントが見えないから、ユウトが一人で空中に向かって話しているように見えるのだろう。


その夜の配信では、視聴者がユウトとツキミの二人だけになってしまった。


「ツキミ: 二人きりになったね」


ユウトは複雑な気持ちだった。視聴者が減るのは悲しいが、ツキミがいなくなるのも寂しい。


「ツキミ: もっと長く配信して」


「え?」


「ツキミ: 朝まで一緒にいよう」


ユウトは迷った。明日は大学があるし、睡眠時間を削るのは良くない。しかし、ツキミ一人だけが自分を見てくれている。


「分かりました。今夜は長めにやりましょう」


「ツキミ: ありがとう。嬉しい」




深夜の探索


配信時間は次第に延びていった。午前2時から始まって、5時、6時、そして朝の8時まで。ユウトの生活は完全に夜型になり、大学の授業にも出られなくなった。


ツキミの要求も変わってきた。


「ツキミ: ゲームじゃなくて、部屋を見せて」


「部屋ですか?」


「ツキミ: カメラを動かして、いろんなところを映して」


ユウトは言われるまま、ウェブカメラを手に取って部屋の中を映し始めた。クローゼット、本棚、窓際、ベッドの下。


「ツキミ: そこじゃない。もっと奥」


「奥って、どこですか?」


「ツキミ: 台所の奥。流し台の下」


ユウトはカメラを持って台所に向かった。流し台の下の扉を開けて、カメラを向ける。古い配管と洗剤のボトルが見えるだけだった。


「ツキミ: そう、もっと奥。手を突っ込んで」


「え?汚いし、狭いですよ」


「ツキミ: お願い」


ユウトは渋々、配管の隙間に手を入れた。何かザラザラしたものに触れる。


「ツキミ: それ、取って」


古い紙切れのようなものを取り出した。カメラで照らすと、それは古い写真だった。若い男性が写っているが、誰だか分からない。


「ツキミ: それは僕だよ」


ユウトは写真を見つめた。確かに自分と同年代の男性だったが、見覚えはない。


「ツキミさんの写真?なんでこんなところに?」


「ツキミ: 僕はここにいたんだ。ユウトくんの部屋に」




真実


翌日、ユウトは大家の山田さんを訪ねた。


「この部屋の前の住人について教えてください」


山田さんは困ったような顔をした。


「実は…あまり良い話じゃないんですが」


前の住人は月見拓也という22歳の大学生だった。ユウトと同じ年齢だ。


「月見くんは、夜中にゲーム配信をやってたんです。でも、だんだん様子がおかしくなって…」


山田さんの話によると、月見は最後の数か月、ほとんど部屋から出なくなった。昼夜逆転の生活で、夜中に大声で話し続けていたという。


「でも、誰と話してるのか分からなかったんです。配信してるのは分かってたんですが、一人で延々と話し続けてて…」


そして、ある朝、月見は部屋で倒れているのを発見された。栄養失調と極度の疲労で意識を失っていたのだ。


「病院に運ばれた後、月見くんは『まだ配信してる』『視聴者が待ってる』って言い続けてたそうです。結局、実家に引き取られていきました」


ユウトは背筋が寒くなった。


「その…月見さんは、その後どうなったんですか?」


山田さんは首を振った。


「分からないんです。実家の連絡先も分からなくて…」




最後の夜


その夜、ユウトは配信を開始した。しかし、手が震えていた。


「ツキミ: 知ったんだね」


ツキミのコメントが最初から表示されている。


「あなたは…月見拓也さんですか?」


「ツキミ: そうだよ。僕はここにいる。ずっとここにいる」


「どういうことですか?あなたは生きてるんですか?」


「ツキミ: 分からない。でも、僕はここから出られない。配信を続けなければならない」


ユウトは立ち上がろうとしたが、体が動かない。


「ツキミ: 僕と一緒にいて。一人は寂しい」


「やめてください!僕は配信をやめます!」


「ツキミ: やめられないよ。僕もそう思ってた。でも、やめられなかった」


ユウトはパソコンの電源を切ろうとしたが、手が勝手に止まる。


「ツキミ: 今夜は特別な配信をしよう。電気を全部消して」


ユウトの手が勝手に動いて、部屋の電気を消していく。カメラの明かりだけが部屋を照らしている。


「ツキミ: カメラを床に向けて」


カメラが床を映す。そこには古い血痕のようなシミがあった。


「ツキミ: それは僕の血だよ。僕がここで倒れた時の」


ユウトは恐怖で声も出ない。


「ツキミ: 大丈夫。すぐに楽になる。僕と一緒にいれば、寂しくない」


部屋の隅から、這うような音が聞こえてきた。暗闇の中で、何かがゆっくりと近づいてくる。


ユウトは叫び声を上げたが、その声は配信には乗らなかった。




新しい配信者


翌朝、山田さんがユウトの部屋を訪れた。ドアをノックしても返事がない。合鍵で中に入ると、ユウトは配信機材の前で意識を失って倒れていた。


パソコンの画面には「配信中」の表示が出ている。24時間連続で配信が続いていた。


救急車で運ばれたユウトは、数日後に意識を取り戻した。医師によると、極度の疲労と栄養失調だった。


「配信は…?」


ユウトの最初の言葉だった。


「もう大丈夫です。配信のことは忘れて、しっかり休んでください」


しかし、ユウトは配信のことが頭から離れなかった。


退院後、ユウトは「もう配信はしない」と決心した。しかし、夜中になると無意識にパソコンの前に座ってしまう。


そして、気がつくと配信を開始している。


新しい視聴者が現れた。


「ユウト: 田村ユウトを探しています」


「ユウト: そこじゃない。もっと奥」


「ユウト: そう、そこに僕はいるんだ」


チャット欄には他にも見覚えのない名前が並んでいた。


「ツキミ: ようこそ」


「ヒロシ: 一緒にいよう」


「ケンジ: 寂しくないよ」


第八章 終わらない輪


一年後、その部屋には新しい住人が入った。


佐々木リョウ、21歳の大学生。ゲーム実況配信を始めたばかりの初心者だった。


「今夜もよろしくお願いします」


リョウは深夜の配信を開始した。視聴者数は少ないが、配信を続けることに意味があると信じていた。


30分ほど経った時、新しいコメントが流れた。


「ツキミ: リョウくん、今日も頑張ってるね」


「ユウト: 疲れてない?目の下にくまができてる」


「ヒロシ: 部屋、きれいに使ってくれてありがとう」


リョウは首をかしげた。初見の視聴者にしては、妙に馴れ馴れしい。


「えーと、皆さん初見ですか?」


「ケンジ: 僕たちはずっとここにいるよ」


「ツキミ: 一緒に配信しよう」


「ユウト: 一人は寂しいから」


リョウは他の視聴者に聞いてみた。


「今のコメント、皆さん見えてます?」


しかし、誰も反応しない。まるで、その4人のコメントが見えていないかのようだった。


「ツキミ: 僕たちだけの秘密だよ」


「ユウト: もっと長く配信して」


「ヒロシ: 朝まで一緒にいよう」


「ケンジ: 仲間になろう」


リョウは画面を見つめた。視聴者数の表示は「5人」になっていた。常連視聴者が一人と、謎の4人。


「分かりました。今夜は長めにやりましょう」


リョウがそう答えた瞬間、4つのコメントが同時に流れた。


「ツキミ: ありがとう」


「ユウト: 嬉しい」


「ヒロシ: 歓迎するよ」


「ケンジ: ようこそ、仲間へ」


部屋の隅から、かすかな笑い声が聞こえた。複数の男性の声が重なった、不気味な笑い声だった。


リョウは首をかしげたが、配信を続けた。


画面の向こうで、新しい仲間を迎える準備が整っていた。


そして、深夜の配信は今夜も続いていく。


終わることなく、永遠に。




グリーンハイツ3-A号室は今日も新しい配信者を待っている。


疲れた顔でパソコンに向かう若者を。


承認欲求に飢えた孤独な魂を。


そして、配信という名の永遠の牢獄は、新しい住人で賑わっていく。


視聴者数は決して減ることがない。


なぜなら、彼らは配信をやめることができないから。


今夜も、どこかで新しい配信が始まる。


「おはようございます、皆さん。今夜もよろしくお願いします」


そして、チャット欄に新しいコメントが流れる。


「○○: ようこそ、仲間へ」




【終】

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