第12話

PM 7:29

セレモニー開始1分前


ロント子爵邸の広間は、夜の柔らかな照明に包まれ、壁の石材に含まれた大小様々な結晶が照明に照らし出され、きらきらと輝く。


ロント子爵邸で開かれているパーティー会場の中央ステージ付近には、多くのパーティー参加者が詰掛けていた。

パーティー参加者の年齢層は以外と多彩で、上は80はあるであろう御老人から、年齢一桁代であろう、私と同じかそれより小さな子もいる。


私と姉は、ステージから少し距離をとった場所で並んで立っていた。

私は母に選ばれた細やかなレースの襟を気にしながらも、ステージの方へと目を移す。

セレモニー開始の一分前という時刻、会場全体に静かな緊張が広がっていた。



やがて、ロント子爵がゆっくりと壇上に上がる。

彼の歩幅は一定で、重厚な声が空気を切るようにして静けさを作り出す。

彼が台に着くと、余韻のように会話が小さな波になって消え、場内に荘重な沈黙が落ちた。

子爵の礼装は黒の上着に金糸の飾りが付いており、その姿は威厳そのものだった。



『こんばんは、皆様。

本日は我が孫、カルロスの生誕記念パーティーにご出席頂き、御礼申し上げます。

カルロスは今年、八祓年を迎えた。』


子爵は、会場の一角に視線を向け、ゆっくりと腕を上げた。

そこには、私とさほど変わらない背丈の少年が立っていた。

外側に跳ねる癖のある茶色の髪、穏やかで優しい眼差し、時折覗く八重歯が可愛らしい笑顔を浮かべている。

カルロスと呼ばれた少年は、嬉しそうに子爵に向かって手を振った。

その様子を見た子爵の表情が、わずかに緩む。微笑みを浮かべながら小さく手を振り返し、子爵は再び言葉を紡ぎ始めた。



『此処まで大病を患う事なく成長してくれたことに、私は嬉しく思っております。

あの子が……』


子爵のスピーチが続く中、私は、あの優しい眼差しの少年、カルロスから目が離せなくなっていた。

『ユナねぇ』

私は姉のドレスの袖を軽く引っ張り、そっと耳打ちした。

『あの子が子爵の孫?……あんまり似てないね』


『そう?顎のラインや鼻の形は似ている気がするわ。

案外、子爵が痩せたらあんな感じになるんじゃないかしら。』

姉は首をステージの方に向けたまま、ちらっとカルロスを見た後、周囲を気にしながら静かに応えた。


カルロスと呼ばれた男の子は隣に座っていた使用人の指示に従い、大人しく椅子に座っている。

だが、あの子の細かな動作から、これから始まる自分の誕生パーティーに気持ちが昂ぶり、期待と喜びで一杯になっている事が此処からでも伝わってくる。



子爵があの子を可愛がる気持ちがちょっと分かる気がする。

あの子が弟だったら私もきっと溺愛していただろう。


私は視線をステージに戻す。

ステージでは子爵が祝杯を挙げるべく、使用人から受け取ったグラスを高々と掲げた。


『それでは皆様、パーティーをお楽しみください。乾杯』


この瞬間、誕生パーティーと私の人生で特に長い夜が始まった。



***************




『いつもお世話になっております。私はガフェルト販売の……』


『おや、君たちは確かC&E商会の所の子だね。バーナードさんは元気かな?』


『初めまして、ミスクロフォード。

私はユティオ男爵の……』


『お前がクロフォード?喜べ、子分にしてやる』


『(同年代の少女が私に軽蔑するような視線を向けながら、躊躇いつつ話しかけてくる)……お初にお目に掛かります。私はローニア伯爵の……』


『クロフォードちゃん?覚えているかな。

私は君のお父さんの従兄弟の兄弟の……』









『あぁぁぁああぁあ………!』

私はトイレの個室の壁に向かって呻くように叫んだ。


一部例外を除くとセレモニー以降、私の元には様々な人物……全く見知らぬ人達が親し気に話しかけてきた。


………50人くらい。



子爵のと面談を終えた以上、後はパーティーを楽しむだけだと思っていた私は、この事態に面食らった。


ただの誕生パーティーがこんなに忙しい物だとは思いもしなかったのだ。


祖父や父の知り合いと思われる人物から、何処かの貴族の大人、もしくは貴族家出身の子供、

挙げ句の果てには知らない親戚。

これらの人達を無視する訳にもいかず、最初こそ、月並みな対応でお茶を濁していたが、セレモニー終了後1時間で根を上げた私は、姉に後の対応を全て押し付けると、1人でトイレに逃げ込んだのだ。



『はぁ……パーティーってもっと楽しい物だと思っていたんだけどなぁ………』

濡れた手をハンカチで拭きながらトイレを出た私は深くため息を吐いた。






この会場に居るはずのミヒェルさんの所へでも逃げ込もうかと考えつつ、パーティー会場に戻ろうとした私の視線の先を黒い影が過った。

それは私が"おさかなさん"と呼んでいる、あの影だった。

ミヒェルさん曰く、私の無意識が生み出した水分子の分身のような物である"おさかなさん"は、あの遊園地の事件以来、度々私の前に姿を現すようになった。

といっても、大抵は私の周りをゆらゆら泳いで回って、満足したら消えるだけだ。

だけど、今回は少し様子がおかしかった


"おさかなさん"は特定の方向を凝視するように静止していた。

私から見て、左にある長い廊下の方だ。


『どうかしたの?』


私は"おさかなさん"に問いかける。


『……なんかいる』


"おさかなさん"は、まるで珍しい虫を見つけた子供が、夢中になって観察しながら呟く様に言った。


私もその廊下を覗き込んだ。

白い石材のタイルで舗装されたその廊下には、何も居なかった。

あるのは精々、なんらかの部屋に繋がっているであろう扉が幾つかと、廊下を彩る為に置かれた古い石像や壺などの美術品くらいだった。


私は"おさかなさん"に対して訝しむように言った。


『本当に居るの?』


この廊下はパーティー会場とは繋がっていないから他のパーティー参加者が通ったとは考えづらい。

警備員か使用人の人かもしれないが、それにしては気配が無さすぎる。



『いたもん』

"おさかなさん"はそう言い張った。

しかし、何処をどう見たって何も居ない。


私は"おさかなさん"を無視し、パーティー会場に戻る為、その廊下の前を横切ろうとして……足を止めた。


この時、ミヒェルさんの話を一つ、思い出したのだ。


曰く"おさかなさん"は私が無自覚に作り出した幻覚の様な物だ。

しかし、"おさかなさん"の振る舞いは決して適当かつ無作為な物ではなく、一定の合理性がある。

"おさかなさん"は私の心理状態や認識出来ていない環境の変化……例えば気温や湿度、気流、音、光など、の変化を反映する……らしい。


私は再び、その廊下の方を見た。

廊下を伝って流れてくる冷たい夜風が私の髪を靡かせる。


『……ちょっとだけ行ってみよっか』


どうせ、パーティー会場に戻っても挨拶周りと知らない人の応対ばかりさせられるのだ。

此処で少しくらい時間を潰しても損はない。


私はその廊下に向かって一歩、足を踏み出した。



***************


会場に響く、洗練された技術を持つ楽団による優雅な弦楽曲と煌びやかな姿をしたパーティー参加者の談笑。

一般市民が思い浮かべる上流階級のパーティーのイメージそのままの物が、此処、ロント子爵邸で行われていた。


だが、ミヒェルにとっては、そのどれもが聴くに耐えない雑音に思えて仕方なかった。


社交界は陰謀や欺瞞、背信などの、人の悪意を煮詰め、濃縮した醜怪な世界である。

それが、ミヒェルの60年余りの人生経験の中で得た、社交界に対する認識だった。

表面上は笑顔で談笑をしていても、テーブルの下ではお互いに武器を突き付け合い、隙を見せた相手から情け容赦無く全てを奪う。

それは命すらも例外ではない。

しかし、今回は子供の誕生記念パーティーという事もあり、ロント子爵も招く客は自派閥や友好派閥の者を選んでいるのだろう。

ミヒェルの目から見ても幾分かマシに思える。


ふと、ミヒェルは自身の元へ近づいて来る一つの人影に対し目を留めた。

年齢は40代前半、ロント子爵とは打って変わって筋肉質な体型を維持している。

頭髪を綺麗に剃り落としている事を踏まえると、まるで軍人の様な雰囲気を纏った男だった。



男はミヒェルの姿を認めると、態とらしい大袈裟な反応を見せながらミヒェルに話しかけた。

『おや、これはこれはチャールウォント男爵。

こんな所でお会いするとは思わなかった。

なにせ、あの出来事以来、貴方はアナグマの様に巣穴に籠っておられたのでね。』



『初対面では無さそうだが、生憎、お前の様な皮肉屋の男は記憶に残っておらん。

お前は誰だ。』


嫌みたらしい言葉を紡ぐ男に対し、ミヒェルは目を細める。

ミヒェルはこの男が誰なのか、直ぐには思い出せなかった。

この男が言う様に、ミヒェルは"あの出来事"から15年間、一度表舞台に戻った事はなかった。

その事を踏まえて考えると、ミヒェルが記憶しているのは目の前の男の容姿は当時二十代後半から三十代前半の頃の物だ。


その様子を見た男は一瞬だけ考える素振りを見せ、また口を開いた。


『ふむ、どうやら私が貴方の事を一方的に認知していただけだった様だ。

無理もない、先王に仕えていた時代の貴方は、今と違い、多忙だったと聞いている。

そうなると……先ずは自己紹介をすべきか。』


男は握手を求める様に、手を差し出した。


『レイス=ルスカ=ソニエールだ。

父が世話になった。』


レイスと名乗った男の顔と聞き覚えのある家名の記憶が脳裏で交互に過ぎる。

そして一つ……ミヒェルの若かりし頃の記憶が蘇った。

タンクトップに短ズボンという、貴族らしからぬ姿で豪快に笑う、体格の良い大男との記憶。

それはミヒェルにとって、唯一と言っていい親友の姿だった。


『……ミロの息子か』


ミヒェルはレイスと名乗った男の手を払い除ける。

ミヒェルに握手をする意思がない事を確認したレイスは、手首に付けた高級そうな腕時計を弄りながら話始めた。


『ご存知だとは思うが、"残念な事に"父は先王が退位された直後に事故で亡くなってしまった。

交通事故自体は今の時代、よくある事だとはいえ、こんな事が起きてしまうとは……父には穏やかな余生を過ごして頂きたかったのだが……』

レイスは残念そうにしながらそう言った。


その様子を見たミヒェルは鼻を鳴らす。

『ふん……わざわざ私の元へ何をしに来た。』



レイスは腕時計を弄るのをピタリと止め、ミヒェルの顔を凝視した。

『ただ、ご挨拶をと……。貴方こそ、何故今更、あの穴蔵から出る気になったのか。

貴方が降りた席には既に別の者が座っている。

今更、戻る事は出来ないと思うが、貴方の見立てでは違うのだろうか?。

若しくは………』


レイスは視線の先をミヒェルから外し、パーティー会場の一画へと移した。

その先には、孫娘の1人、何人かの大人と会話をしているユーフェミアの姿があった。


レイスはユーフェミアに視線を向けながら話を続けた。

『多少、帝国の野蛮人デテラ人の血を引くとはいえ、自身の血を分けた孫娘の子守りをしたくなる気持ちには一定の理解を示そう。

周りに"不愉快な想い"をさせないのであれば、私とて、場を乱してまで口煩く指摘するつもりも無い。』


レイスはユーフェミアから視線をミヒェルに戻す。

そして、ミヒェルの肩を軽く叩く。


『良い夜を』


レイスはミヒェルの怒りと憐れみの籠った視線を他所に、ミヒェルに背を向け、人混みの中へと消えていった。





数秒間後、今度はミヒェルの背後から聞き馴染みのある声が聞こえた。


『あー…………チャールウォント男爵。

彼と貴方とは絶対気が合わない事は重々承知していますが、

今のルフテン伯爵とは揉め事を起こさないで欲しい。』


ミヒェルが振り返ると、そこにはミヒェルに招待状を届けたロント子爵の秘書、べフリーが立っていた。


『言われなくても分かっておるわ。』

ミヒェルはべフリーに対して僅かに怒気を含んだ視線を送った。

睨まれたべフリーは恐る恐る話を続けた。


『………すみません、国内の保守派の中核の一員となった彼の今の立場を考えると、此処に呼ぶしかなかったんです。

先王が退位されて以来、保守派の勢力は拡大し続けており、最早、国内で彼等を止められる者はおりません。

上部だけでも関係を構築しておかなければ大貴族であっても苦しい状況に追いこれまでしまうのです。』

べフリーは冷や汗を掻きながら、そう言った。


ミヒェルは溜め息を一つ吐くと、ゆっくりと窓辺へと向かい、外の夜景を眺めた。

現代的な高層建築物と17世紀頃に形作られた古い石造りの建築が入り混じった街並みが、無数の夜灯によって照らし出された風景は、星空とは異なる美しさを纏っていた。


ミヒェルは過去の記憶を思い浮かべながら、呟いた。

『今は……融和派にとって、冬の時代だろうな。』

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