第3話

魔術師。

それは全ての生物が保有している魔力を消費する事で通常とは異なる物理現象を発生させる人類を指す言葉。


人類に限って言えば、世界人口の35%が何らかの魔術を行使する素養があり、その内、戦闘に耐えられる出力を出せる者は15%程度、適切な魔術教育を受けられた者となればその割合は更に少なくなる。


太古には部族社会の中核として魔人を含む異種族や危険な動物に対抗する力を持つ者として重宝され、中世期には部族の中核を成していた魔術師がそのまま貴族となり、人類社会の守人として活躍する一方で、その圧倒的な力を同じ人類に奮い、権力と力によって大厄災によって荒廃した世界の支配を再確立した。


嘗て実在した信心深い王の言葉を借りるところの、『神に選ばれた者』が今、片手で私の首を掴み、私の身体を吊し上げていた。




『ぁ……ひゅ……ぅ……』

視界がぼやけると共に、まるで壊れ掛けの電球の様に視界が瞬き、意識が遠のく

手足をばたつかせ、必死に抵抗するが短い手足は誘拐犯の元に届かず空を切る。

だんだん体の力が抜けていく。

迂闊だった。

これまでの威勢は何処に行ったのか、こんな状態に陥ってから私は恐怖心に支配されていた。

あの記憶の中で感じた迫り来る死の気配。

コイツ、私を殺す気だ。

そんなの嫌だ。

…誰か助けて……

反射的に誰かに助けを求めるが、掠れた音が幾つか漏れ出ただけだった。


最後に、残された僅かな力であいつの腕を殴るように手を振った。

すると、私の手の動きと合わせて、近くの噴水の水が誘拐犯の身体に向かって飛翔した。

僅かな量、具体的にはコップ1杯分の水が誘拐犯の肩に当たり、弾ける。

それ以上何もできず、私の意識はそこで途絶えた。




***************





ジュリア=リンドバーグは何故自分がこんな状況に陥っているのか理解出来なかった。

いや、理解を拒んでいたのかもしれない。

ヴィアースブルク市内に住む者としては平凡な家庭に生まれ育った彼女にはこの数時間以内に起きた出来事の全てが異常だった。

両親の知り合いを名乗っていた人物の豹変も。

遊園地で飛び交っていた悲鳴や怒号も。

人が吹き飛ばされ、ぐったりと動かなくなる様子も。

そして……目の前で自分と同じくらいの子供が衰弱していく光景も。


考えていた事が全て抜け落ち、頭の中が真っ白になる。

悲鳴、雑踏、怒号、誰かを呼ぶ声。

場を支配している様々な音が、今のジュリアには全て雑音にしか聞こえなかった。


『きゃっ……』

ジュリアの顔に冷たい水飛沫が掛かった。


底の見えない谷に吸い込まれていくような感覚に陥っていたジュリアの目を覚まさせたのは何処からか飛んできた水飛沫だった。

周囲を見回すと自分の体を引っ張っていた男の身体から水滴が滴っている。

この男を狙った物がジュリアにも掛かったらしい。

じゃあ、誰が男に水を掛けたのか?


ジュリアは目を見開いた。

目の前に吊し上げられている少女が魔術を使ったのだ。

その少女は既に意識を失い、力無くぶら下がっていた。

ジュリアは息を呑む。

そして助けを求めるように周囲を見回すが、あれほど沢山居た来場者はもう誰も居なくなっていた。

唯一、警備員の何人は物陰からこちらの様子を窺っているものの、時折飛来する瓦礫から身を守ることで精一杯であり、どこか悔しそうな視線を私達に向けるばかりであった。


漸く私は理解出来た。

誰も、あの子の事を助けられない。

………いや、助けられる場所に居るのは私だけだ。

幸いにも、今この男の人は私の事を見ていない。

私は何も出来ないと思っている。


違う……私にも出来る事があるんだ。

私とパパとママしか知らない私の特技。

パパとママには危ないから勝手に使っちゃ行けないと言われた私の特技。


私の……魔術。



***************



(はぁ……最悪だ。)

(今日は本当にツキがない。)


誘拐犯の男は、計画が狂った原因を吊し上げながらそう思った。

本来なら早々にリストに載せられていた子供を連れて、さっさと合流地点に連れていく予定だった。

計画も事前シミュレーションも完璧だった。

実際途中まで事は上手く行っていた。

なのに…


(はぁ……誰だぁ〜………この子供。)

(リストにも載ってないし、会ったこともないよな?)


そう思いながら今回の失敗の原因として予定を全て狂わせた黒髪の少女を見つめた。

少女は苦悶の表情を浮かべながら手足をばたつかせている。


(何故自分の事を知っているんだ?)

(そもそも何処で誘拐だと確信したんだ?)

(何かの拍子に誘拐だと勘違いしたのか?いやまあ合っているけど)


そのような事を考えながら周辺の警備員に意識を向ける。

脅威にはならなさそうだ。

何人か居なくなくなっているが、恐らく銃を取りに行ったのだろう。

非殺傷弾しか用意していないのは知っているものの、例え魔術師であっても当たればやはり痛い。


誘拐犯の男には魔術の心得はあるが、流石に軍人のような戦闘の心得は無かった。

現代戦で使われるような高度な魔術も弾丸を止められるような防御魔術も使えなかった。


(まぁ、今回のトラブルは臨時収入の為の残業だと思っておきますか、この子供も魔術適性あるみたいだし)


誘拐犯の男は脱力し、力無く垂れ下がっている少女を持ち直そうとした。


男は完全に忘れていた。

当初のターゲット、ジュリアの存在を意識の外へと押しやっていた。

そして、ジュリアもまた、魔術が使える事を。


『っ!あっづ!!!』

ジュリアを掴んでいた腕に激痛が走る。

男は自分の腕に何か熱いものを押し当てられているのを感じた。

反射的に振り払おうとするが、痛みは止まらない。

意識をジュリアの方に向けると、ジュリアが男の腕にしがみついている。

ジュリアの掌から真っ赤な光が漏れ出ると共に、そこから痛みが伝わってくる。


『このっ……くそガキっ!』


レイラを掴んでいた手を離し、ジュリアの髪を乱暴に掴むと、強引に引き剥がし、ジュリアを投げ飛ばす。

ジュリアは『きゃぁ!!』という悲鳴を上げ宙を舞うが、近くに隠れていた警備員が物陰から飛び出し、ジュリアを受け止めた。


誘拐犯の男は重度の火傷を負った手首を見た後、恨めしそうにジュリアを見た。


『……やってくれたな……もう優しくするのは辞めだ。引き渡す前に……ズタズタにしてやる』


ジュリアはひゅっと息を呑んだ。



****************



身体が暗い海に沈んでいく。

綱のように水面に差し込む太陽の光がどんどんと遠のいて、私の意識もだんだんと朧気になっていく。

身体はまるで鉛のように重く、踠く事も出来ずに沈んでいく。

息苦しさも意識が朧げになっていくと共に感じなくなり、孤独感だけが私を支配するようになった。


(また私、死んだのかな……)

その疑問に答える相手は誰も居ない。


(……前よりは……マシ……かも……)


そう思った私は、意識を手放した。

完全に意識が途切れる直前に、私は感じた。

何かが軋むような低い音を。

何かが背中に触れた感覚を。

太陽の光が段々と近づいている事を



私……レイラ=クロフォードには変わった友達が居た。


当時まだ3歳だった私は兄や姉と同じ遊びが出来ない事から1人で遊ぶ事が多かった。

どんぐりを拾ったり、水たまりを枝で突いたり、枝で地面に絵を描いたり。

一時的な物とはいえ、孤独な幼少期を過ごしていた私は遊び相手を欲していた。




それは初夏の雨上がりの事だった。

買ってもらったばかりの長靴を履いて雨上がりの公園に遊びに行った私は

早速見つけた水たまりに飛び込んで遊んでいた。

パシャパシャという音と共に、波紋で歪む水面に映った風景。

雨の後だけの期間限定の遊びに私は夢中になっていた。


十何度目か、水面に脚を振り下ろそうとした瞬間、そこに妙な影が映り込んだ気がした。


私は脚を止め、しゃがみ込むと水面をじっと見つめた。

コインくらいの大きさの影が一つ、水たまりの中を動き回っている。

波紋がだんだん落ち着くにつれ、曖昧だった影の形が魚影に似た形に変わっていく。

魚影はふよふよと水たまりの外周を何周か回った後に私の視線に気が付いたのか、動きを止めた。

それが私の変わった友達との最初の出会いだった。

それ以来、その不思議な影は幼い私の後を追う様に近場の液体の中に姿を見せる様になり、幼い私も『おさかなさん』と呼び親しんでいた。


……こんな夢を見るまですっかり忘れていたというのに、なんで今更こんな事を思い出したのだろう。

おさかなさんは大昔に姿を見せなくなった。

姉や兄の遊びに付き合える年頃になったからだろうか

気が付けばあの不思議な影は私に付きまとう事は無くなり、次第にその記憶を忘却してしまった。



***************





私が目を開けるとそこには青空が広がっていた。

遊園地に響く風の唸りと男の怒号。

遅れて駆けつけた警備員の手に握られた銃の銃声。

……何故だろうか、すぐ近くで起きている出来事なのにまるで実感が無い。


私はただ、地面に横たわりながら空を見上げていた。

噴水が噴き上げた水飛沫が太陽の光に当たってキラキラと……


『………えっ』

私は驚愕し、目を見開いた。

噴水が噴き上げた水飛沫の一つ、にあの黒い影が見えたからだ。

私に何か伝えようとしてくるその影は、水飛沫が私の視界から外れる直前に慌てて新しい水飛沫の中に移り、再びこちらにアピールをする。

奇妙な光景だった。

幼い頃に見た幻覚のような物が再び私の前に姿を現したのだ。

しかもこんな状況下でだ。

だけど、それ以上に可笑しな事に私はその影の伝えたい事が分かってしまった。

『たすける』『しんじて』『おしえる』





『きゃぁー!!!』

誘拐犯が魔術で飛ばした瓦礫が狙いを逸れ、ジュリアが隠れている花壇の背後にあった建物のショーウィンドウを突き破り、店内をぐちゃぐちゃに変えた。


警備員達がポンプアクション式の散弾銃……恐らく硬質ゴム弾で誘拐犯に対して攻撃を仕掛けているが、誘拐犯の周りを取り巻く強風はそれらの弾道を逸らしてしまい、殆ど有効打を与えられていなかった。

それでも稀に命中しているのか、痛がる様子を見せ、その反撃として警備員達の方へ瓦礫を飛ばしている。

また1人警備員が倒れる。



私は溜め息を吐きながら、ゆっくりと傷だらけの身体を起こし、立ち上がった。


まったく、自分が選択した事だというのに、信じられない。

それでも……私はあの影……『おさかなさん』から教わった事を実行することにした。


『おさかなさん』が言うところの、『私の本気』を試す……私の魔術の限界を




***************




『くそッ、どいつもこいつも邪魔ばかりしやがって!』

誘拐犯の男の苛立ちはピークを迎えつつあった。

秘密裏に実行する筈だった計画は既に崩壊し、この場には警察が迫っている。

いや、男が魔術師だと知られた以上、もっとヤバいのが来るに決まっていた。

早急に逃げなければならない。

だが、男はジュリアを諦めておめおめと逃げ去る訳には行かなかった。

男は早急に金を集める必要があった。


理由は大した事じゃない。

ただ、これまでのツケが回ってきただけだった。

だからこそ、男はこの仕事を始めた。

普通の仕事では首が回らなくなるが、この仕事ならその心配は無い。

いや、安定して回せる様になれば人生設計だって建て直せる。

男は迷わずこの蜘蛛の糸にしがみ付いたのだ。

なのに……

『ぐっ……いってェな!』

男はゴム弾を撃ち込んできた警備員に対して瓦礫を投射する。

男が見た甘い夢は早くも粉々に砕け散ろうとしていた。

誘拐する筈だった目標には逃げられ、警備はぞろぞろと集まってくる。

治安維持組織が来るのは時間の問題。

何もかもが男の思い通りになっていなかった。

途中までは完璧だったのに……

そう、途中までは完璧だったのだ。

不意に男の脳裏にあの忌々しい子供の顔が過ぎる。

長く艶のある黒髪を持ち、他人を小馬鹿にするような笑みを浮かべる深い青の瞳の少女。

そう、アイツが何もかもを狂わせたのだ。

男は怒りの矛先を先程絞め落とした少女に向けようと、地面に倒れ伏せている筈の少女の方を見た。


何処にも居ない。

『くそッ、逃げやがった!あの餓鬼は何処に逃げやが『こっち』……あ……?』


背後から聞こえた子供の声。

男が振り返るとあの憎たらしい子供が立っていた。

だが、様子がおかしい。

あの人を馬鹿にするような笑みも、非難を伴った睨みつけるような視線も、全ての感情がすとんと抜け落ち、まるで精巧な人形を見ているような感覚に陥る。


男はそのような感覚を思考の外へ押しやると、瓦礫を操り、この子供の周りを囲うように並べた。

『おいお前、死にたくなかったらゆっくりこっちに来い!

変な真似をしたその瓦礫で押し潰すからな!』

だが子供は、怒鳴り散らすの声がまるで聞こえていないのか、反応が無い。

痺れを切らした誘拐犯は怒鳴った。


『おい!聞こえてるのか!!』


その子供はゆっくりと軽く握られた右手を高く掲げた。




***************




頭の中が沸騰する様な感覚が私を襲う。

アイツが何か喚いているが何を言っているのか聞き取れない。

今はそんな事どうだっていい。

兎に角、今は少しでも多く集めなければならない。


その一心で私は集中する。


集めた物を束ね、操作する。


魔術師にとって初歩的な処理だ。

目の前に居るあの男もやっている初歩的な魔術。


私も同じ方法でアイツに対抗しようとしていた。

でも私がやろうとしている事はその程度の物じゃない。



ダメだ……魔術の演算処理が追い付いていない。

少しでも負担を減らす為、五感の処理を魔術の制御に回す。


口の中から血の味がしなくなった。


血の匂いもだ。


目に見える世界がだんだんと色を失い、灰色に変わっていく。


耳に聞こえていた音が消える。


腹部の鈍い痛みや突風で感じていた肌寒さが消える。


これでギリギリ処理し切れる……やれる。

集めた物を操作を高く上げた右手の動きと結びつけ、私は握っていた右手をゆっくりと開いた。


***************


誘拐犯の男は目の前の子供……レイラに対して怒鳴る。


『聞こえているならさっさと来い!殺されたいのか?』


男はレイラに対して苛立ちを隠せなくなっていた。

そして何処までも男の言うことを聞けない餓鬼だという認識を再確認する。

男はレイラを許すつもりは無かった。

誘拐しそびれたジュリアを引き寄せる餌として使った後は瓦礫で押し潰して殺す。

ジュリアが手に入らない場合は、逃亡用の人質として扱い、逃げ切った後に人目のつかない場所で殺すつもりだった。

時間が経つにつれ、男はレイラの存在を無視出来ない……いや、必要とする様になっていた。


だからこそ、男は気が付くのに遅れた。

レイラに集中する余り、周りで起きている異常に、レイラの魔術に気が付かなかった。


***************

『……なにこれ』


『お嬢ちゃん危ないから頭下げて!!』


好奇心が抑え切れなくなったジュリアは花壇の陰から頭をひょっととだし、周囲の様子を伺う。

それを見た警備員はギョッとした様子でジュリアを頭を引っ込ませようとするがジュリアは言うことを聞かなかった。

この場に居る人間の中で、ジュリアだけが『何か』を感じ取っていた





最初にジュリアが感じ取ったのは『何か』が大きな物を押しのけ進むような感覚、そしてその次に風の唸りに混ざった小さな破裂音だった。

最初は気のせいかと思っていたが、時間が経つにつれ、どんどんと破裂音と共に様々方向から『何か』がレイラの足元へと集まっていく。


『……お前ら距離を取れ!』

『下がれ!ヤバいぞ!』

レイラを中心とした半径20mほどの周囲の地面から何かが滲むように暗い色に変色した段階で漸く警備員の何人かが異常を感じ取って警戒を強める。


噴水の水が止まった。


レイラは高く掲げていた右手をゆっくりと開く


『……っ!このクソ餓鬼!』

誘拐犯の男も警備員が発する警告をきっかけに漸く異変に気が付き、そして間髪入れずにレイラに対して大量の瓦礫を投射する。


瓦礫がレイラに着弾する瞬間、轟音や強い揺れと共に広場が煙霧に包まれ、レイラの姿が消える。


ジュリアや警備員達の中で動揺が走り、誘拐犯の男は遣り場を失った怒りの矛先を探そうとするが……全員が違和感を感じた。


轟音……いや、地響きが鳴り止まないのだ。



この地響きが岩がぶつかった時の音ならもうそろそろ止まってもよい頃合いの筈、だが実際には止まるどころか弱まる気配すら見せない。

何かがおかしい。

地響きの根源はあの少女……レイラが立っていた場所。

疑問が湧き水の様に湧いて出てくる。


数秒後、まるで周囲の疑問に答え合わせをするかのように煙霧が急速に晴れ始めたのだった。


『……おい……嘘だろう』

誘拐犯の男は目を見開き、2、3歩後ろに後退した。

警備員達も同じだった。

彼等は生まれてから一度もこの様な光景を見た事が無かった。

6月下旬の暖かな空気が冷たくひんやりとした空気に置き換わり、その冷たい空気は彼等の肌に鳥肌を立たせる。

誘拐犯が引き起こした瓦礫が飛び交い、突風が吹き荒れていた異様な環境よりも異質で恐怖を喚起する異常。

一般的な常識では測れない魔術の真髄。


『…………すごい……』

この場でジュリアだけが目を輝かせながらそれを見ていた。


大量の水がレイラの周りを渦を巻く様に周回する。

高さはこの遊園地にあるフリーフォールより遥かに高く、レイラを包む様に守っている水の壁は城壁よりも分厚い。

そしてレイラは像が歪む水面の向こう側に居る誘拐犯を虚ろな目で見ていた。



『おいなんだこれ…!』

警備員の1人が見つけてしまった水の壁の表面に浮かび上がる『何か』の瞳。

まるで慈愛に満ちた母親の様な視線を周囲の人間達とレイラに向けるそれに対して、周囲の大人達は恐怖する。


『ちょ……ちょっと待てよ……別にオレはお前に何かするつもりは無くて……ただ……』

『何か』に至近距離から見詰められた腰を抜かして尻餅をついた誘拐犯はそう嘯く。

『何か』は轟音の中、呟かれた誘拐犯のか細い声を聞き取ったのか、まるでレイラに確認を取るかのような視線を送る。


その疑問に応える為、レイラはつぶやいた。


『……いいよ、やっちゃって』


その言葉を聞き届けた『何か』はその低い鳴き声を大声量で響かせ、渦を巻きながら力強く空に昇っていく。

大量の水が共に巻き上がり、『何か』を形取るように一つの塊はと姿を変えていく。

太陽が覆われ辺りが暗くなる。


渦巻いていた水の頂点に到達すると一際大きな鳴き声を周囲に轟かせ、静止した。


『オレが悪かった……!頼む助けてくれ………!ぐっぁあ!!』

誘拐犯の男は自らの運命を悟ったのか、先程までの威勢は消え去り、情けなく姿を晒しながらまるでレイラに縋るようにレイラの元へ近づこうとするが、水壁に触れた瞬間、強力な水流によって腕が弾かれ、勢いそのまま地面に倒れ伏せる。

何処かの関節が外れてしまったのか、痛みに踠く誘拐犯の男をレイラは一瞥する。

今も演算処理を行っている関係で余り他の事を考える余力は無い。

それでも、ずっと抱いていた疑問を一つだけ呈した。


『……なんで助けてあげなかったの?』

きっとあの記憶の中のジュリアも同じように助けを求めた筈。

あの子だけじゃない。

コイツに誘拐された子供は全員同じだ。

なのに何故?



『は?……何を言って……ぐっ……!』

水壁の一部がコースを変え、男を遠くに弾き飛ばした。

『この子』はコイツが嫌いらしい。


『待ってくれ!後生だ!助けてくれ!』


そうだね、私もコイツが嫌いだ。

私は高く掲げていた腕を振り下ろす。

それを合図に頭上高くに静止していた『あの子』が勢いよく、アイツ目掛けて降下し始める。


警備員さん達がジュリアを連れて蜘蛛の子を散らすように逃げ始めるが、誘拐犯の男は足を挫いたのか恐怖に染まった表情を見せながら地面を這う


空を覆い、冷たい空気を震わせながら膨大な量の水を纏った『あの子』が落ちて来る。

その姿は全長50mは下らない巨大なハクジラ。

そして、その巨体はこの男を決して逃さなかった。


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