第2話 消された生徒



「タクヤって誰?」


朝の教室で、ミカの問いかけにクラス全員が首を傾げた。まるで申し合わせたように、誰一人その名前を知らないという顔をしている。


でも、ミオだけは違った。涙模様の仮面を震わせながら、真っ青な顔で教室の一番後ろを指さしている。


「あの子、昨日まで隣にいたよね…?」


空席。机の上には何もない。まるで最初から誰も座っていなかったかのように、不自然なほど綺麗に片付けられている。


「ミオちゃん、大丈夫? そんな生徒、最初からいなかったよ」


クラスメイトの一人が心配そうに声をかけた。でも、ミオは首を横に振った。


「いた! 絶対にいた! 背が高くて、いつも窓の外ばかり見てて……」


ミオがスマホを取り出した。震える手で写真を探している。


「ほら、これ! 先週のクラス写真!」


画面を見て、ミカは息を呑んだ。確かに最後列に、もう一人生徒が写っている。でも、その顔は――。


「顔が……ない?」


正確には、顔があるはずの場所が、まるで煙のようにぼやけていた。人の形をした影が、そこに立っているだけ。


「昨日の夜までは、ちゃんと顔が写ってたの! 笑ってた! タクヤくんが!」


ミオが泣き出した。教室中が凍りついたような静寂に包まれる。


その時、モノ先生が入ってきた。


「おはようございます。今日も元気に――」


「先生!」


ミオが立ち上がった。


「タクヤくんはどこに行ったんですか!?」


モノ先生の動きが、一瞬止まった。左右非対称の仮面の下で、薄く笑ったような気がした。


「タクヤ? そんな生徒は、この学校にいませんよ」


「嘘です! 昨日、あの席に座ってました!」


「ミオさん」


モノ先生の声が、急に低くなった。


「存在しない者について語るのは、おやめなさい。それは、あなた自身を危険にさらすことになります」


ミオが言葉を失った。涙模様の仮面が、恐怖でかすかに震えている。


授業が始まっても、ミカは後ろの空席から目が離せなかった。本当に誰かがいたの? それとも、ミオの勘違い?


でも、ミオの涙は本物だった。彼女は確かに、誰かを失った悲しみに暮れている。


休み時間、ミカは6年生のレンを見つけて聞いてみた。


「レンくん、退学になった生徒って、本当に消えるの?」


レンの表情が険しくなった。キツネの仮面が、警戒するように黄色く光る。


「……なぜそんなことを聞く?」


「ミオちゃんが、タクヤって子のことを」


「やめろ」


レンが鋭く遮った。周りを見回してから、小声で続ける。


「その名前を口にするな。忘れろ。それが一番安全だ」


「でも」


「いいか、よく聞け。この学園には七不思議がある。その一つが『消えた生徒の呪い』だ」


レンが震え声で説明を始めた。


「退学になった生徒の名前を覚えていると、次は自分が消される順番だって。だから、みんな必死に忘れようとする」


「そんなの、ただの噂でしょ?」


「噂だといいけどな」


レンが立ち去った後、ミカは図書室に向かった。何か手がかりがあるかもしれない。


『夢の図書館』と呼ばれる薄暗い部屋。壁には無数の仮面が飾られている。卒業生たちが残していった、夢の証。


でも、その中に不気味なものがあった。


真っ黒に塗りつぶされた仮面。まるで、存在を消された者たちの墓標のように、いくつも並んでいる。


「これは……」


本棚の奥に、古い記録簿を見つけた。『退学者名簿』という題名。恐る恐るページをめくると――。


真っ白。


何も書かれていない。いや、よく見ると……。


「インクの跡?」


かすかに文字の痕跡が残っている。強い力で消されたような跡。その中に、「タ」という文字の一部が見えた。


突然、背後で物音がした。


「誰かいるの?」


返事はない。でも、確かに誰かの気配を感じる。ミカは記録簿を閉じて、足早に図書室を出た。


廊下で、見知らぬ上級生に呼び止められた。


「君、1年生?」


「は、はい」


「忠告しておく。消えた者のことは追うな。それは、自分も同じ運命を辿ることになる」


上級生の仮面は、ひび割れていた。まるで、何度も砕けそうになったのを、必死に繋ぎ止めているような。


午後の授業で、恐ろしい実習が行われた。


「今日は『記憶の検証』を行います」


モノ先生が、見たことのない装置を取り出した。ヘルメットのような形で、頭に被ると記憶を映像化できるという。


「では、ミオさん。あなたから」


「え? 私?」


ミオが怯えた顔で立ち上がった。


「昨日の記憶を見せてもらいましょう。特に、放課後の記憶を」


ミオが装置を被ると、教室の前のスクリーンに映像が映し出された。


昨日の教室。確かに、後ろの席に誰かが座っている。でも、その人物だけがモザイクのようにぼやけていた。


「ほら! 誰かいるでしょう!」


ミオが叫んだ。でも、モノ先生は首を振った。


「これは記憶の錯覚です。脳が勝手に作り出した幻影」


「違います! タクヤくんは」


その瞬間、ミオの仮面に亀裂が入った。


パキッ。


小さな音だったが、教室中に響いた。


「ミオさん、存在しない者の名を呼ぶのは、ルール違反です。これが最後の警告」


ミオが泣きながら席に戻った。ミカは、いてもたってもいられなくなった。


放課後、ミカはミオを屋上に連れて行った。


「ミオちゃん、本当のことを教えて。タクヤくんって子のこと」


ミオは涙を拭きながら話し始めた。


「優しい子だった。夢は天文学者になること。いつも星の話をしてくれた」


「どうして退学に?」


「分からない。でも、最後の日、すごく怯えてた。『僕は消されるかもしれない』って」


その時、ミオのポケットから小さな紙切れが落ちた。


『忘れないで。僕はここにいた。タクヤ』


震える文字で書かれたメッセージ。


「これ、昨日の朝、机の中に入ってた。でも、もう顔も思い出せなくて……」


二人で夕日を見ながら、ミカは恐怖に震えた。


もし自分が消えたら、こんな紙切れだけが残るの? 誰も覚えていない存在になるの?


「ミカちゃん」


ミオが真剣な顔で言った。


「この学校で生き残るには、本当の夢を見つけるしかない。でも、それが一番難しい」


帰り道、ミカは何度も後ろを振り返った。誰かに見られているような気がして。


消された生徒たちは、本当に完全に消えたの? それとも、どこかで……。


家に着いて、ミカは自分の写真を確認した。ちゃんと写っている。顔もはっきりしている。


でも、いつかこれも、ぼやけて消えるかもしれない。


明日も学校に行かなきゃ。仮面をつけて、ウソをつかないように気をつけて。


消えないように。


存在し続けるために。


(第2話おわり)

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