第15話 『英雄の影──ネメシスの光と闇』
──ネメシス本部・
白銀の花弁が舞い落ちるような照明の下、イツキは中央の演壇に立っていた。彼の姿を囲むように集うのは、幹部たち、研究班、そして兵員たち。全員が一様に、その男を讃えていた。
「ゲロス、討伐完了……!」
「“神喰い”と化した第三形態の怪人を、たった二名で……」
「これが……我らが“幹部候補”の実力か」
拍手と歓声が鳴り響く。
だがその中心にいるイツキの表情は硬いままだった。
彼の隣にいるべき存在、ラミアは今、再生ポッドの中で昏睡している。ゲロスとの戦いの最終局面──彼女は左腕と片脚の機能を完全に喪失していた。
脳へのダメージも深刻で、回復には時間がかかると告げられている。
──「生きて帰るつもりはある?」
戦いの直前、ラミアが笑って口にした言葉が、今もイツキの胸を刺す。
あれは、覚悟の笑みだった。自分の死を想定した、戦士としての最後の言葉だった。
だが彼女は生きている。イツキがその命を、彼女の身体を、奪わせなかった。
彼女が遺したもの──あの瞬間に託された、熱と血と意思。それを背負うことが、今のイツキの全てだった。
──
■
──ネメシス地下第九層、医療中枢“再構築室”。
冷たい青白い光が天井から差し込む中、無音の空間に機器の電子音だけが響いていた。中央の再生カプセルには、戦闘で重傷を負った怪人ラミアが静かに横たわっている。仮接続の義肢モジュールが、彼女の失った左腕の代わりに無骨な輝きを放っていた。
彼女の体温、脳波、筋繊維再生状況、いずれも臨界下のギリギリを彷徨っていた。心拍は機械の制御下にあり、今も命をかろうじて繋いでいるだけの状態だ。
「……機械として再生させるか、記憶媒体として保存するか。我々は決断を迫られている」
再生医学主任・リース博士が、背後に控える数名の戦術技官を見回しながら口を開いた。その声に感情はない。彼にとって、ラミアは“有機データ端末”の一つに過ぎない。
だが、別の声が即座に飛ぶ。
「記憶の温度を持った者に、再改造は……倫理的にも、軍規的にも越えてはならない一線だ」
反論したのは、若き戦術官補佐・ユージンだった。彼はモニターに表示されるラミアの脳波パターンを見つめながら、拳を握り締める。
「彼女は、最後の戦闘でも自らの意思で戦った。道具としての再改造は、もはや彼女に対する冒涜だ」
「だが、戦力が必要だ。ゲロスの死によって、前線の損耗は想定を大きく超えている」
再構築室の議論は堂々巡りを繰り返していた。冷たい計算と、熱い倫理のぶつかり合い。
その空間の片隅、誰にも言葉を挟まず佇んでいた男がいた。
イツキ。
彼は、無言のままラミアの再生カプセルの前に歩み寄ると、そっと額を透明なガラスに寄せた。
「ラミア……俺は、まだお前に――」
その言葉の続きを呑み込み、イツキはそっと目を閉じた。
ラミアの脳波に、微かな変化が現れたのはその瞬間だった。明らかに、感情由来と思しきスパイクが波形に走った。
「……脳反応、上昇傾向……? これは……」
技官の一人が驚きの声を上げる。
誰もが沈黙する中、イツキは静かに呟いた。
「もう一度、自分で選ばせてやってくれ。それが、お前らの言う“再構築”だろう」
その言葉に、ユージンが息を呑む。
そしてリース博士は、無感情なまま口を開いた。
「……72時間、観察フェーズを延長する。もし自発意識が戻らなければ、兵器モジュールへの置換処理に移行する」
誰もがその判断に異議を唱えられなかった。
だが、イツキはもう一度、ラミアの眠るカプセルにそっと囁いた。
「戻ってこい。……もう一度、俺と肩を並べろ」
カプセル内、昏睡状態のラミアの眼が、ほんの僅かに揺れた気がした。
──その一瞬が、やがて英雄と“再生されし怪人”の新たな戦いの序章となることを、まだ誰も知らなかった。
■
ネメシス本部・地下第七階層。
そこは“幹部会議室”と呼ばれる特別区画であり、日常的には立ち入りすら制限されている絶対機密の空間だった。
長方形の黒曜石テーブルを囲むように、異形の者たちが沈黙して座っていた。
各部門を束ねる上級幹部たち。バイオ室の責任者・ドクトル・メディアスの席は空いており、重い喪失感が部屋の空気を支配していた。
その中、ひとりだけ“異質”な存在がいた。
――日向イツキ。
元・セイガンレッド。現在、ネメシスの幹部候補としてゲロス討伐作戦を成功裏に導いた“黒き英雄”。
彼は黒のタクティカルスーツの上に、深紅のオーバーコートを羽織っていた。肩に刻まれた新たなエンブレムは、ネメシス内部でも最高位に近い象徴だった。
「日向イツキ――よって、今回の武功により、汝を正式に“戦術統括幹部”に任ずる」
低く響いたのは、重厚な鎧を纏った幹部・ゾルグの声だった。
彼の宣言に、周囲の幹部たちは微かに頷いた。だがその目は、決して祝福などしていない。
――それは歓迎ではなく、“観察”の眼差しだった。
ラミアのいないその場で、イツキは答えなかった。黙って立ち、深く一礼するのみだった。
だがその胸中には、冷たいものが蠢いていた。
(幹部、か……。ここまで来ても、やはり“俺”は信用されていないということか)
幹部昇格――それは表向きには武功を称えた人事だ。
だが裏では、イツキの力と影響力を恐れたネメシス上層部が、その動向を“内部から監視”するための措置だった。
「我らは汝に信頼を置く」
別の幹部が言った。
「だが信頼と監視は、決して矛盾しない。我らネメシスは“敵を見誤ること”を最も忌避する」
イツキはその言葉を、ただ静かに聞き流した。
会議が終わり、重い扉が閉じられると、彼は独り通路を歩いた。
ラミアはまだ昏睡状態にある。誰よりも信じられる存在は、今は目を覚まさない。
だからこそ、彼は決意していた。
(裏切り者の目で見られても構わない。俺が“正義”を見つけ出すためには、ここで、上に立つしかない)
その歩みは、やがて怪人部門の管轄フロアへと続いた。
今後、彼が直接指揮を執る怪人部隊は、暴走因子を抱えた“危険な存在”たちばかりだった。
だがイツキは、彼らをただの兵器とは見なさなかった。
ゲロスを倒した時、ラミアを失いかけた時、彼は痛烈に思い知ったのだ。
――命の価値も、正義の定義も、そして“怪人”の意味も。
今や彼は、英雄でも怪人でもない。
ただひとり、ネメシスという“矛盾と闇”の中心で、己の信念を問い直す者であった。
一方、その昇格人事の裏側で。
「制御不能な英雄は……ただの“火種”だ」
5名に満たぬネメシスを牛耳る最高幹部たちが集い、イツキの処遇を巡って激論が交わされていた。
「ゲロスを討伐したのは事実だ。しかし──もし奴が次に“我々”に牙を剥いたら?」
「イツキは忠誠心で動いてはいない。ラミアとの私的関係がモチベーションの根幹だ」
「つまり、ラミアが死んでいたら……どうなっていた?」
沈黙が落ちる。
その沈黙こそが、彼らの不安の答えだった。
──
だが、セイガンを倒すにはイツキの力が必要なのも最高幹部達は言葉にはしないものの……一応に理解はしていた。
そしてその日の午後、ネメシス最高評議会は一つの“指令”を下す。
コード:Athena Break──日本政府中枢への直接介入計画。
対象は、首都防衛庁・総合安全情報局。
セイガンの残党がまだ根を張る“情報統制の核”を、物理的に排除し、国家機構を麻痺させる。
そのために必要なのは、“次の神喰い”ではなく、“制御可能な殺戮兵器”だった。
──
深夜、イツキはラミアの眠る再生カプセルの前に立っていた。
彼女の顔は安らかだった。
左腕の無い肩に包帯が巻かれ、脚部の義肢接続部にはまだ補助装置が取り付けられている。
イツキはそっと、ポッドの冷たいガラスに指を添える。
「お前が生きている、それだけで俺は……」
声が震えた。
「なのに、俺は今、“世界の敵”をやるらしい」
ネメシス地下第六管区・戦闘兵器収容フロア。
重厚な自動扉が開いた瞬間、まるで獣舎のような空気が外へ漏れ出した。
「こちらが、貴殿に与えられる新たな直属戦力。ネメシス“特異戦力部隊”……通称、影翼シャドウウィング」
案内役の技術官が説明する。イツキは無言のまま、鋭い目で格納セルの中を見つめた。
そこには、明らかに通常の戦闘員とは一線を画す“怪人”たちが眠っていた。
◆【001:ファング=ハウル】
分類:猛獣融合型強襲怪人
特性:肉弾戦、感覚追尾、超咆哮波
外見:鋭利な牙と鋼鉄の爪を備えた獣人。全身は狼のような銀毛に覆われており、戦闘時には咆哮で周囲の聴覚を破壊する。
かつては闘技場で使い捨てられた失敗作とされていたが、イツキの指揮下で初めて“戦術的な指示”を受け、生存本能を制御し始める。
◆【002:セピア=ミール】
分類:触手寄生型情報収集怪人
特性:潜伏、変身、精神侵入
外見:女性型のフォルムだが、体内から無数の細い触手を操る。普段は無害な外見を装い、情報潜入と操作を担当。
イツキに対しては異様な忠誠心を見せ、「あなたの嘘だけは見抜けませんの」と不気味に微笑む。
◆【003:グラディア=ゴア】
分類:重装甲殲滅型戦闘怪人
特性:火力偏重、自己修復、高熱兵器
外見:全身を厚い外骨格と金属装甲に覆われた巨体。背部に四門の焼夷砲を備える。
指示がなければ動かないほど鈍重だが、命令には忠実。かつてゲロスと同区画に収容されていたが、暴走記録は一切なし。
◆【004:ユル=トゥーム】
分類:精神干渉型幻惑怪人
特性:幻覚、記憶操作、錯視空間
外見:常にフードを被り、顔を見せない。見る者によって姿が変わるという不気味な存在。
かつては尋問部隊に所属し、多くの敵情報を引き出してきた。イツキには「まだ心を閉じている」と興味を示している。
◆【005:クラグ=リース】
分類:爆破工作特化型怪人
特性:爆弾生成、解体、潜入
外見:細身で道化師のような装束。体内に複数の爆裂体を隠し持ち、必要に応じて即興の兵器を生成する。
戦闘だけでなく建物破壊、通信妨害、暗殺任務などに精通。語尾に「バクッ」とつける癖があり、狂気に近いユーモアを持つ。
この五体は、本来なら単独運用が前提とされた危険度A~S級の個体であった。
だが、ゲロスの件を受け、ネメシス本部は“強力かつ制御可能な戦力”を生み出す必要に迫られていた。
そして選ばれたのが、“かつて敵だった人間”でありながら、最も多くの怪人たちを理解していた男――イツキだった。
「お前たちは今日から、俺の影となる。敵の正義を喰い破り、必要なら……この組織すら叩き潰す」
静かに告げたイツキに、怪人たちは沈黙のまま膝を折った。
新たな部隊、影翼シャドウウィング。
それは、ネメシスという“悪”に与えられた、最も鋭利な正義の刃であった。
イツキの背後で、警報が静かに点灯する。
新たな任務の通達。
英雄としての影が、深く彼の足元に落ちていた。
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