第13話 『最後の理性──ゲロス、崩壊への咆哮』
──ネメシス日本支部・地下第六層、戦術作戦会議室。
空気は冷たく乾燥していた。青白い照明が天井から差し、壁に設置されたモニターには、湾岸スラム第七区画で暴走するゲロスの映像が繰り返し流れていた。
「腐食拡散半径、さらに拡大。予測域を越えて第九区画に到達するのも時間の問題です」
若き戦術分析官の報告に、会議室の空気が一層重くなる。
その中心に座っていたのは、幹部候補・日向イツキ。
かつて"セイガン・レッド"として正義を掲げていた男は、今やネメシスに身を置き、己のかつての理想と対峙する存在となっていた。
「……ゲロスは、もう我々の制御下にはない。これは"討伐任務"だ」
イツキの声には、迷いも激情もなかった。ただ、鋼のような意志だけがこもっていた。
その隣に立つのは、黒髪の美女──ラミア。彼女もまた、ネメシスにより創られた改造個体であり、ゲロスと同じ実験棟で生まれた存在。
「指名、ありがとう。……でも、あたしが前に出るのは当然よ。あの腐れ触手、あたしの姉妹の仇だから」
ラミアの声音は静かだったが、瞳の奥には煮えたぎるような復讐の炎が宿っていた。
◆ 作戦名:コードG-Omega(ゲロス・オメガ計画)
・目的:第二形態からさらに進化した変異体ゲロスの完全排除。
・対象:元・死刑囚 神宮寺創一。被検体E-04。現状、第三段階への進行兆候あり。
・実行部隊:幹部候補・日向イツキ/改造怪人・ラミア(LM-07)
・補助兵力:デルタ級バイオ戦闘員10体、狙撃班2名、隔離支援班(回収不可の場合、区域封鎖を実施)
◆ 作戦内容
先行陽動:ラミア
ゲロスの腐食能力と触手攻撃に耐性を持つ唯一の存在であるラミアを先行投入。
彼女の鞭型武器“自己融解性スタブマインによる中距離戦闘で注意を引きつけ、ゲロスの変異加速を抑制。
主攻撃:日向イツキ
新兵装"を用いて、ゲロスの中枢神経核を細胞単位で焼却。再生機構を物理的に封じ込める。
特別仕様超重圧陽子爆裂槍デトネイター・ルシファーにより、イツキの神経と兵装は同期されており、使用には高負荷が伴うが、短時間での焼却処理が可能。
時間制限:8分
ゲロスが第三段階に完全変異するまでの猶予時間。作戦はそれ以内に終了しなければならない。
最終手段
タイムリミットを超えた場合、区域ごと爆破処理を実施(コード・O-MD)。
ネメシス支部からの許可済。
◆ 出撃前夜
ブリーフィング終了後、ラミアは誰もいない格納庫に立っていた。月光が差し込む天井窓の下、彼女は静かに自らの鞭を点検する。
「姉さん……見ててよ。あたし、怪物になる前のあなたを思い出しながら、ちゃんと終わらせるから」
その背に、イツキが静かに歩み寄る。
「怖いか?」
「……バカ。怖いわけないでしょ。今さら……死ぬことなんて」
「違う。殺すことだ」
ラミアは一瞬、目を伏せた。
そしてすぐに、また笑った。艶やかで、どこか哀しみを含んだ笑みだった。
「……それも、もう怖くない。だってあたしには、あんたがいる」
イツキは黙ってうなずいた。そして二人は、格納庫のゲートが開かれる音と共に歩き出す。
この戦いの果てに待つものが、贖罪か、終末か。誰にもわからなかった。
だが、少なくとも。
この二人は、それを迎える覚悟を胸に、戦場へと向かった。
この作戦記録は後に、ネメシスの中でも一部の者にしか閲覧が許されない"禁秘ファイル"として封印されたという。
──湾岸スラム・第七区画、任務前夜。
ネメシス日本支部の地下格納室に、ひとりの女性がいた。
ミカ・イリザワ。かつてドクトル・メディアスの研究補佐として、神宮寺創一──後のゲロス──の人体強化プロジェクトに関与していた人物である。
ミカは白衣の内ポケットに忍ばせた古びた写真を取り出した。
そこには、研究初期に撮られた若い神宮寺の笑顔が写っている。
「まだ、あなたの中に……“ソウイチさん”は残ってるはず……」
彼女は自ら志願して、説得任務に向かう準備を整えていた。
──
ゲロス、第二形態。
その肉体はすでに異形へと変貌を遂げていた。
しかし、ネメシス上層部は“まだ早い”と判断していた。
彼を破壊するのは、最後の手段。
「成功率は一%以下だ。……だが、やらなきゃならん」
戦闘用モジュールも持たされず、ミカは単身で腐蝕蒸気が立ちこめる湾岸第七区画へと送り込まれた。
──廃棄倉庫跡地。
そこに、ゲロスはいた。
粘液を垂らしながらうごめくその肉体。
地を這うようなうなり声。
ミカは、手にした写真を掲げて声を張った。
「ソウイチさん! わたし、ミカです! お願い、思い出して!」
ゲロスの巨大な体が、ゆっくりと彼女の方を向いた。
その眼。
赤く濁り、焦点の合わないその双眸の奥で、かすかに……ほんのわずかに“震え”が生まれた。
「……ミカ……?」
低く、くぐもった声が漏れる。
名前を呼んだのだ。
ミカの目に、涙が浮かぶ。
「まだ間に合う。あなたは……人間なのよ、ソウイチさん!」
だが、その瞬間。
ゲロスの背後から伸びた触手が、反射的にミカの腹部を貫いた。
「──っ」
彼女は崩れ落ちる直前まで、彼の顔に手を伸ばし続けていた。
「……わたし、あなたを……ずっと……」
血の泡を吐きながら、ミカの体が地に崩れ落ちる。
写真が風に舞い、ゲロスの足元に落ちた。
ゲロスは、何も言わず、それをじっと見つめた。
しばらくして、彼は自らの頭をかきむしり、吼えた。
「アアアアアアアアァァァアアアァァァッッ!!!」
彼の中の“神宮寺創一”が、完全に沈んだ瞬間だった。
──
──同時刻、ネメシス本部。
作戦司令室のモニターに「接触失敗」「対象、完全暴走」の文字だけが浮かぶ。
「ミカ・イリザワの記録は……?」
「すでに抹消済みです。報告には載せません」
「……そうか。では、作戦移行段階に入れ」
こうして、“説得任務”の記録は闇に葬られた。
彼女が見た、かすかな人間性も、最後に浮かべた微笑みも、
誰にも知られることはなかった──。
──湾岸スラム・第七区画、廃棄倉庫跡地。
夜霧のように漂う腐蝕蒸気。その中で、異形の影が蠢いていた。
ゲロス──第二形態、いや、それすら通り越した“変異体”。
その肉体はかつての人間の名残など微塵もなく、膨張した胸部からは骨のような突起が生え、四肢は液状化した筋繊維と刃状の骨が交錯した忌まわしき構造に変わっていた。
地面に這うように散らばった遺体。スラムに潜んでいた住民たちは、彼の触手によって生命を吸い尽くされた後、皮膚を溶かされ、骨すらも残らず消え去っていた。
瓦礫の影に、ひとりだけ生き残っていた。
漁師風の老人が膝を抱え、息も絶え絶えに呻いた。
「……た、すけ……て……だれか……」
その微かな声に、ゲロスの“眼”が揺らいだ。
背後の触手が一瞬だけ、動きを止めた。
──やめて……いたい……たすけて──
幻聴のように、かつての記憶が脳裏をかすめる。
あれは実験台として拘束されていた頃の声か。
いや、違う。
それは、もう存在しない“神宮寺創一”の、最期の祈りだった。
その瞬間、ゲロスの胸部から紫色の光が脈動し、次の瞬間には爪で自らの頭部を引き裂いた。
「……アア……アァアアア……アアァァァ!!!」
地面が震え、倉庫の壁が腐蝕性の蒸気で崩れ落ちた。
目の前の老人が何かを叫ぶ間もなく、頭上から降りかかった触手に貫かれ、そのまま肉体ごと液状化して消えた。
狂気が、咆哮となって空に響く。
「グゥゥァアアアアアアアアアァァァ!!!」
その叫びは、地獄の門の開放を告げる音のようだった。
──
満月すら霞む霧の夜。
瓦礫と錆びたパイプの間に、異形の怪物が蠢いていた。
ゲロス。
ネメシスが生み出した腐食型怪人。
そして今、第二形態を超えた進化の果て──
その姿は、もはや人型の名残すらない。
黒紫色に染まった巨大な肉体は六メートルを優に超え、触手と刃、骨と粘膜が融合した“神性なき神”と呼ぶにふさわしい異様な存在。
頭部には王冠のような骨の角。
数十の有機的な眼球が蠢き、視線の合う者に恐怖と幻覚を与える。
腹部からは常に酸性の霧が立ち上り、周囲の金属を音もなく腐食させていた。
その咆哮は、言語でも咆哮でもない。
“逆再生された人語”のような異音──精神を蝕むノイズだった。
無差別に虐殺された住人の死体。
喰いちぎられた首、溶けた骨、焼け落ちた皮膚。
湾岸第七区画は、もはや生の気配すらない。
──
ネメシス日本支部・生体兵器開発局・バイオ観測室。
「観測ポイント、異常跳躍。腐食域が拡大……! 拠点機能、壊滅レベルです」
研究員の叫びに、ドクトル・メディアスの影が沈黙を破った。
「……進化したか」
その声は、歓喜と絶望が混ざった奇怪な色を帯びていた。
「だが、まだ完全体ではない……私の理論では、あと一段階……」
「ドクトル、それ以上の進化は……制御不可能に」
「制御? 馬鹿を言うな。これは“神”を生み出す作業だ。我々が信仰してきた正義の向こう側──」
メディアスは、狂気の笑みを浮かべた。
──
湾岸スラムでは、ゲロスが緩やかに歩を進めていた。
その一歩ごとに、足元の地面が崩れ、鉄が融解し、瓦礫が発泡するように崩れ落ちる。
触手の一つが、残された少年の骸を引きずる。
すでに生きてはいない。
だがその顔は、かつて神宮寺創一が死刑囚だった頃に見た、弟の姿と重なっていた。
──記憶は不要。
ゲロスは、自らの頭部を鉄杭のような触手で貫いた。
残された人間性を消し去るために。
そして、静かに咆哮する。
「──我ハ、喰ラウ者」
次に狙うは、ネメシスの本部か。
あるいは、国家の中枢か。
その存在は、正義も悪も等しく踏み潰す“災厄”そのものだった。
第三形態・Ωゲロス。
その進化の終端は、やがてこの世界の終焉へと至るだろう。
だがその前に、彼を止める者がいる。
黒き幹部候補──日向イツキ。
そして、哀しき怪人──ラミア。
ネメシスの創りし怪物を、ネメシス自身の手で終わらせるための戦いが、今始まろうとしている。
──同時刻、ネメシス日本支部・作戦司令室。
「目標のエネルギー反応、さらに増大。生体信号は不規則……これは……!」
「第三形態への移行兆候……だな」
イツキが、低くつぶやいた。
その表情にはもはや迷いはなかった。
「出撃の準備を」
「了解。ラミア、すでに待機中です」
モニターに映るラミアの姿は、以前よりもさらに引き締まり、黒いスーツの隙間から見える青白い肌が、戦いの冷気を孕んでいた。
「ふふ、久しぶりに派手に暴れられそうね」
「これは遊びじゃない。任務だ」
イツキが言い終える前に、ラミアは唇を吊り上げた。
「わかってる。でも……あのゲロスは、あたしの“姉妹”を殺した。あれは私情よ」
「……なら、きっちりケリをつけよう」
ふたりは短く頷き合い、格納庫の出撃ゲートへと歩み出した。
もはや誰も、あの怪物を止めることはできない。
ならば止めるのは、かつて“正義”と呼ばれた者たちの責務だった。
今、すべての因果が、激突しようとしている──。
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