第2話 種族


「はぁ…あッ!」

「ヌルい」

 ——山の中にある一軒の家。その広い庭で、ヴァラックと師匠ガルンは拳を交えていた。ヴァラックの顔には鬼気迫る気迫が宿っていたが、相対するガルンは、まるで当たっていないかのように静かだった。

「どりゃあああッ!!」

 拳が空気を裂き、庭に重い音が響く。

「拳の速度は十分……だが構え直しが、まだ少し甘いな」

 ヴァラックの連打を真正面から受け止めながら、ガルンは穏やかに的確な評価をする。

「いい力だ。もう数分続けたら終わりにしよう」


「アアアアアアアアアアッ!!!」

 拳をひたすら打ち込むヴァラック。しかし――。

 「(は、早く終われ! これキツいんだよ!)」

 心の中で泣きながら拳を打ち続ける。汗は滝のように流れ、髪は乱れきっていた。だが、ガルンの体は一ミリも動かない。


 ——ちょっとは効けよ……! 大人げないったらありゃしない!などと文句を垂れても師匠は続けるように言うんだろうな、と我武者羅に拳を放ち続けるしかない…。

「…ん?」


「雑になってる」

「!…ぅぅうおおおお!!」

 —ガムシャラはガムシャラで、駄目らしい。


——


○数十分後


「よし、今日はここまでだ。しばらく自由時間。一時間後に飯にしよう」

「っは、っは……げぇっ……おええぇぇ……なんでそんなに余裕なんだよ……!」

「もう十数年続けてるだろ。」

「年数の問題じゃ……ないってぇの……!」

 地面に大の字に倒れ、白目を剥いたまま荒い呼吸を繰り返す。

 ——実際この訓練を初めてすでに10年少ししている。そのお陰がこーんな見事な「マッシブ」を手に入れ…いや、キツいことに変わらない。

 —そして私の文句の後に師匠が続ける対応も決まっている。

「何を食べようか……猪肉の鍋がいいか。山菜は行きで採って、白菜とキノコは街で――」


「話をッ話を聞け…!」

 ——師匠は私がグズると決まって目を逸らして適当なことを言うんだ。


——


○滝場


 数分後。ヴァラックは体を起こし、家から少し離れた水場へ向かった。

 そこには、滝の飛沫が岩を伝い、自然にできた「岩のバスタブ」に注ぎ込む仕掛けがあった。水は冷たいが、常に循環していて清潔だ。


「ふぅ……まだちょっと冷たいな」


 片肘をかけ、髪をかき上げる。疲れがじわじわと抜けていく気がした。


 ……あんなに殴っても効きやしない。その上昼飯のこと考えてたとか……私、弱いのか?


 ふと両手を見つめ、ぐっぱぐっぱと開いたり閉じたりする。

 訓練の感触を反芻しながら、バスタブの縁に指を添えてスナップを効かせる。

 ぼごっ

「……ん」


 岩が、指先で摘んだ形のまま、あまりに綺麗に欠け落ちた。抉られ窪んだ岩からは、小さな水の滝が出来ていた。

(……これで、弱いわけないよな)

 岩片をぽいっと投げ捨て、肩の力を抜く。師匠との訓練は長い、染み込んだ疲労を癒すように滝のミストにマットな質感の髪を艶々に濡らしていく…。

「ふぅーーーー…。…あー」

 静けさの中、独り言がこだまする。



「ってことはやっぱ、師匠がおかしいんじゃねぇか!!!」

 —そのツッコミは山中に虚しく響いた。ここで誰かが笑い飛ばしてくれれば、浮かばれると言うのに、ここには誰もない。気恥ずかしくなり、『ザブン』と水に顔を沈めてぶくぶく泡を出した。


 —ちなみにマスクを外したヴァラックの顔は、絶妙に木の枝と水飛沫に隠されていたという。


——


○市場


 そのころ、街の市場では――。


「ぬぅ……」

「ガルンさん、そろそろ決めてくれません?」


 —財布と野菜を睨み付けていた、眉間に幾つもの皺による溝が生まれているガルンだが、財布と野菜を見つめる彼は、いつもより深い皺を眉間に刻む。


「……白菜、高いな」

「季節的に仕方ないっすよ」

「む……仕方ない。二つもらおう」

「毎度あり〜」

 —山を降りた先にある街で買い物をしていた。代金を払い終えると、少し軽くなった財布と重くなった買い物籠の差に、ちょっと悲しくなる…。ふと、背後から声が飛んできた。


「あら〜ガーちゃんじゃないの! もう、私のとこ来てくれたら人参くらい分けてあげたのに〜!」

「パイルさんの奥さんこんにちは。相変わらず若々しい…」

「そこの白菜は買っちゃったなら……そうだ! 人参が大量に余ってて困ってるのよ。持っていきなさい!」

 何とも気前の良い言葉に財布と買い物籠の重量が気にならなくなった。気のせいか、視界には花が舞う思いだ…。

「おお…ありがたい。人参スープにでも使わせてもらいますよ」

 ならば早速と招かれる手に誘われて、3mの俺は、背の曲がった彼女に合わせる為に、歩幅は究極に小さくした。

「この間の薪も助かったわ〜。もう歳で斧なんて振れないし、毎年助かってるのよ」

「お互い様ですよ。今冬は寒波もあったのに、被害が少なくて何よりでした」

「隣町なんて、ゴブリンに襲われたらしいのよぉ?食糧がなくて森から出てきたんですって!」

「…どこも大変ですね」


 おばあちゃんのマシンガントークに押され気味になりつつ、ガルンはお礼を述べながら歩いていった。


 —しかし、ヴァラックも俺の山でオークにあったと聞く、意外と他人事ではないなと、早速帰ったら、ヴァラックでも引き連れて山の見回りでもするか。


——


○ヴァラックの家


 一方、家では――。


 —涼しい風に髪を靡かせながら、縁側に座り、私は熱い紅茶を片手に読書をしていた。

「……ふぅ……渋い……けど、疲れた体にしみる……気がする」

 気のせいかもしれないが、悪くはないと思う(多分)。と根拠のない理由で愛飲しているのだ。

 手にしているのは『火の燃焼原理──酸素という概念』という難解な本だった。師匠から知識をつけるよう言われているので、本は比較的昔から沢山買い与えられてきたのだ。

「しかし……にしても遅いな。白菜買うのにどんだけかかってんだよ……」


 —いい加減腹も空いた。運動して汗を流して、滝風呂でスッキリ清めて、ティータイムで体もすっかりと『晩飯』の気分だ。腹の虫が鳴いてるし…。



ガサリ…。

「ああ…?」

 ——その時だった。庭の先、低木の向こうから「ガサガサ」と草木の揺れる音が聞こえた。衣擦れ。足音。そして、息遣い。


「……区切りの悪いところで『来客』かよ」


 少しヌルくなった紅茶を飲み干し、ゆっくりと腰のポケットに手を入れながら庭の中央へ歩き出す。流石に縁側なんかで「」壊れちまうからな…。

「で、用は?」


 言葉が終わるよりも早く、木々の隙間から黄色味がかった緑色の醜悪な…ああ、人を選びそうな見目の生物――ゴブリンたちが姿を現した。

 —10、15と視線の数を把握した私は、正直、構えこそしたが、戦う気分ではなかった。

「……せっかく風呂上がりでいい気分だったのに。タイミング悪ぃなゴラ」

 もう運動する気分じゃないからだ、風呂上がりに誰が好んで運動などしなくてはいけないのだ。ゴブリンたちはギャアギャアと騒ぎながら、私と家を交互に見ていた。

 —この時点で『計画性がある』事に気付いた。「のゴブリン」が、建物なんかに視線を向けるはずがない。

「金か?」

「ガガマ! ギヒヒヒ!!」

「酒か?」

「『グール』! グル! ガガマ! 『グール』!」


 —何を言っているのか当然分からない。そもそも言葉ですらない呻き声だろう…しかし、『知っている単語』が出てきたのだ。

(『ぐぅる』って言ったな……?『喰う』の意か。)

「そんでガガマ…女、だったか? ククク……全く女の扱いがなってないな」


「ギャアアアアアアアア!!!」


 ゴブリンたちが一斉に吠え、襲いかかってくる。

 ヴァラックはポケットから拳をゆっくり抜き、腰の位置に脱力したまま構える。


「……風呂上がりで砂埃つくの嫌なんだけどな」

「ギィイイイ!」


 突撃してくる一匹を、足払いのように捌いて転がす。


「……来いよ」


 ゴブリンたちが咆哮を上げながら突撃してくる。ヴァラックは静かに息を吐き、地を蹴った。


 バチィィンッ!


 手にした鍬を振るうゴブリンの武器を、ヴァラックの掌打が弾き返す。反動でゴブリンは倒れ、失神。


「……おらッ!」


 ヴァラックが手のひらで空気を叩きつけると、砂礫が爆発的に舞い上がり、ゴブリンたちを一掃した。


「グガァ……ユルサナイ!」


 その中に、一体だけ人語を話すゴブリンがいた。


「……言葉を喋る? 血の純度が高いのか?」


「ワレ、ドワーフノ血……ガガマ!」


(ゴブリンは血の純度で知性が決まる……人語を話す奴がこの山に現れるなんて、13年ぶりか?)


——


☆種族


 この世界の「人」に類する種族は、大きく分けて四つ存在する。

• 多様で最も人口の多い只人ヒューマン

• 獣の特性を残す獣人ビーストマン

• 魔物の力を引く亞人デミ・ヒューマン

• ドラゴンの血を宿す竜人ドラゴニュート


 ゴブリンは『亞人』に分類されるが、例外的に『モンスター』と見なされる個体も多い。

 理由は「血の濃さ」にある。濃い血を持つ者は人並みの理性と知性を、薄い者は理性を失い、対価として強力な能力や力を会得する、特殊な性質を有しているのだった…。


——


「ゼッタイユル——」

「……はぁ、庭こんなにしやがって……誰が掃除すると思ってるんだよ……」

 —怒号の途中で、ゴブリンは現実に引き戻された。

 ——見知らぬ男の声が、自身の真横から聞こえたからだ。

「オッゴッゴッ!? ダレダ!?」

「この家の所有者だ。あと、ヴァラーック……やりすぎだ」

「うっ……すまん……」


 庭の奥でゴブリンを捕えようとしていたヴァラックは、立ち直りつつ声をひねり出す。そして、この声の主が、自身の肩を掴んでいる事に気づき、大いに焦った…。逃げられない…と。


「で、お前は……ギリ、モンスター側か……? ん?」


 と、そのとき。その大きな男…ガルンは、庭の荒れ具合を見つめながら、ヤンキー座りでゴブリンの肩をぽんぽんと叩いていた。


 —師匠は凄く疑いの目を私に向けてきたが、取り敢えず自然に視線を外しておいた。これは…優しさ(?)だよ。優しさ。


「グゥ!! ダカラ!? ナンダ!? コロスカ!!」

「怖いこと言うなよ。……殺すつもりはない。縛って、あとは司法に渡す」

「!? ワレ! ヒト! チガウ! ワレ! ホコリアル! モンスター!! アラソイステタ——」


「クビー、とん。」


 —ゴブリンの言葉を遮るように、師匠の指が首元に触れた。—その事実に気付いたのは、師匠がゴブリンを支えていた時であった。


「がぅ……」


 ゴブリンの意識が、すとんと落ちた。


——


「……なにその当て身。こわ」

「フフ……いわゆる『首トン』は危険だからな。これはその応用だ。」

 —応用、応用?らしい「当て身」—簡単に言えば相手の意識を一時的に奪う技—基本的に人に使うべきではないのだが…。

 …私も今度モンスター相手に使ってみるか…。

「脳にも頸椎にも負荷をかけず、一時的に酸素の循環を遮断する…俺のオリジナルだ。真似すんなよ? 失敗すれば普通に死ぬぞ」

「……了解」

「…すんなよ」

「……わかったってば……」

「ふう……わかってるならいい。こんな変な技術、教えないしな」

「ぬー……」


 こんな技態々教えて貰わんわ!と強く言えないのは事実だが、そんなに疑わなくてもいいとは思う。その時、師匠無言で立ち上がり、家の裏から木材用の縄を持ってきた。

 倒れたゴブリンたちを、一体ずつ丁寧に拘束していく。無造作ではない。まるで作法のような静かな手つきだった。


 —その背中をじっと見つめる。すると——胸の奥に、言葉にできない違和感が芽生えた。ざわつくような感情…どこか落ち着かない。けれど、怒りや悲しみとは違う。

 —そんな私の視線に気づいたのか、師匠は背を向けたまま口を開く。

「……いくら言葉を話そうが、アイツは『モンスター』にしか見えない。そう思ってるんだろう?」

「……まぁ」

「…お前も1人で行動する事が多くなった今、死生について教えておこう」

「……?」

「殺害は、自己防衛の終着点だ。」

「……自己、防衛?」

 ——縄を締めながら、まるで台詞を読み上げるように言葉を続けた。

「理由は何でもいい」

「危害を加える者を遠ざけるため。」

「自分の快楽のため。」

「他者の願いを叶えるため。」

「恨みを晴らすため」

 ギュッ、と縄が締まる音が、会話の空白を埋めた。言葉を重ねる度に師匠の顔には、深く大きな溝が生まれる…。まるで金属が軋むような音を幻聴するほどに、深い闇が生まれている。しかし、言葉はたまらない。

「どれも結局、『自己』を満たし守る行為だ。身体か心かは関係ない。……だからこそ、『殺す』という行為は最も危忌すべき極端な選択だ。使う時は、必ず選ばなきゃならない」


 ——その口調は淡々としていた。だが、響きには研ぎ澄まされた刃のようなが宿っていた。私は何も返せず、ただ師の背中を見つめ続けるしかなかった。


——


 すべてのゴブリンを縛り終えたガルンは、庭の裏から荷車を引き出してくる。

 ゴブリンたちを乗せ終えたとき、ふとヴァラックの前に立ち、真正面から目を見据えた。


「『殺すと言う行為』…これは、俺たちのような『強者』が安易に選ぶべきじゃない」

「人であり、言葉を話すなら……まだやり直せるかもしれない。そう思って、俺は向き合うようにしてる」

「非殺傷で終わらせる。それは、強者にしかできないやり方だ」

「肉体的な強さだけじゃない。心も、だ」

「……おう」


 私ははふっと目を逸らす。——その時、頭にふわりと、温かな手のひらが乗った。いつもの温かい手、しかし何処か「不安そうな手」、そんな感情を撫でられた頭から感じる。けど


「強くなれ」

「……ん」

 —やさしい手だった。だけどその優しさには似合わないような、意志の強く迷いのない言葉だった。

「ハハハ…、別に不殺を絶対の正義にするつもりはないぞ。場合によっちゃ必要になる場合もある」

「!? どっちだ!」

「だから『場合による』って話さ。さあ、ゴブリンさん達を預けに行こう。今日はもう外で昼にするか」

ヨシヨシ……ヨシヨシ……


 撫でる手はゴツゴツとした手だけど、愛がある。

 その声は、いつもの無表情に似合わないほど、どこか嬉しそうだった。


○山道


「おう……今日は何食う?」

「魚とか?」


「いいなあ〜」

 —昼の陽光が、二人を包み込む。

 荷車にゴブリンと一緒に乗り込んだヴァラックは、ふとガルンの背中を見つめた。


 ——師匠は、どんな相手にも優しく接している。

 少なくとも私は、そんな背中しか知らない。

 私も、あんなふうに、強く優しい人になりたい。


(……そういえば私、師匠のこと、全然知らないな……。ガルンって名前もあだ名・・・らしいし。何故か本名も教えてくれない……)

(まぁ、がるん……って響き、なんか可愛いけど。こんなデカイのに)

「……ふっ……」


「……? なにニヤついてるんだ、ヴァラック」

「ふふ、なんでもない」


「??」

 —まぁ、これからゆっくり知っていけばいい。

 そう決めた私は、昼食のメニューについて師匠と話し始めた——。


——


○???山


ズシン……ズン……ズン……ザッ……


『バオオオオオオオオオオオオオオ!!!』


 ……山が、再び隆起した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る