第2話 炎と零の境界線を

 前を行く少女――ひいらぎ空木うつきに連れられて、俺はどこまでも長く続く廊下の中を黙って歩いていた。


「えっと……そういえばあんたのことはなんて呼べばいいんだ?」


「空木でいいよ。そっちの方が呼びやすいでしょ」


「……分かった。なら空木、今、どこに向かってるんだ?」


「この先に、君に会ってもらいたい人がいるから、その人のところまで」


「.....会って、どうするんだ?」


「君がこれからどうなるかを、決めるんだよ」


 淡々とした声だったが、どこかに優しさが含まれていた。その横顔を見ながら、俺は無言のまま歩き続ける。足音だけが静かな廊下に反響する。しばらくの沈黙が続いた後、彼女の方からぽつりと口を開いた。


「……着くまでに少し時間があるから、質問とかあったら今のうちに答えるよ」


「……いいのか?」


「もちろん、といっても言える範囲でだけどね」


 異能も、零環機構れいかんきこうのことも正直まだよく分からない。聞きたいことも山ほどある。でも、これだけは真っ先に知りたかった。


「……どうして、あんなことが起きたんだ?」


 空が焼け落ちる光景が脳裏をよぎる。あの男に家族を奪われた記憶が、痛みとともに胸を締め付けた。


「……あの時、誰かがいたんだ。ソイツが俺の目の前で、家族を──」


 言葉の続きを、喉が拒んだ。空木は立ち止まり、ゆっくりとこちらを振り返った。


「その“誰か”については、私たちも調査してる。でも……正体はまだ掴めてない」


「……まだ?」


「同じような異能の痕跡が、いくつもの現場で確認されてる。今も、似た事例が発生してる。けど、犯人は分からないんだ。同じ異能を持つ誰かが、事件を繰り返してるっていうことしか、分かってないんだ」


 同じ異能――なら、俺の目の前にいたアイツが。何もかもを奪っていったあいつが、今もどこかで暴れているっていうのか。


「だったら──なんで、そのことを世の中に知らせない? 異能ってやつの存在も、こんな危険な奴がいるってことも。なんで、黙ってるんだよ……!?」


 誰にも知られずに、誰にも気づかれずに、こんな狂った力が好き勝手に暴れてるなんて、許せるわけがない。


 彼女の表情に、ほんの一瞬、迷いが走ったように見えた。でも、すぐにその目はまっすぐに俺を見つめ返してきた。


「理由はいくつもあるけど──いちばんの理由は、世界が壊れるから」


「……は?」


その言葉は静かだった。けれど、その奥にあるものは冷たさではなく、痛みだった。


「5年くらい前にね。異能の存在が、一度だけ明るみに出そうになったことがあるの。でもそのたびに、争いや暴動が起きた。力を持つ者は恐れられ、怪物扱いされて、迫害されて、殺された」


「……!」


「だから、異能は隠されたままでいなきゃいけない。存在が明らかになるだけで、世界は壊れてしまう。人と人が信じ合えなくなる。誰が異能者か分からないってだけで、街は恐慌に陥る」


 空木は視線を前に戻し、静かに歩を進めた。その背中を追いながら、俺の中にも少しずつ、これまでに起きた不可解なことの繋がりが見え始めていた。


「……だから事件は、なかったことにされる。異能による事故や惨劇は、すべて自然災害や偶発的な事故に偽装される。記録も、映像も、証言も。必要なら、場所そのものが処理されることもある」


 淡々と語られるその現実に、背筋がひやりと冷える。でも、それを誰がやってる?


「……じゃあ、そのなかったことにするってのは……誰が?」


「私たちだよ。機構が、そういう役割を担ってる」


 言いながら、彼女は少しだけ視線を落とした。


「異能の存在が公になれば、社会は崩れる。差別と憎悪が連鎖して、力を持つ者も、持たない者も、お互いを恐れて壊し合うようになるから」


「……だから、隠してるってわけか」


「うん。私たちは、異能の存在を世間に知られないように管理してる。発現した者はすぐに追跡して、保護か、監視下に置く。もしも暴走が始まれば、止める。場合によっては、することもある」


「そんな……それじゃあ」


 喉の奥に、苦いものがこみ上げる。あのとき。俺の内側から溢れ出た力は、すべてを燃やし尽くした。その力が何なのかも分からず、止めることもできずに。ただ、呑まれた。


「じゃあ……俺は? あのとき、暴走して、街ひとつを燃やした。何人死んだのかも分からない。そんな俺を……どうして、今もこうして生かしてるんだ?」


 思わず、問い詰めるような声になった。俺は異能に呑まれて暴走した。人を殺した。街を焼いた。なら、こんなふうに歩いてる資格なんて、本当はないはずだ。


 空木が、少しだけ立ち止まり、こちらに振り返った。その目には、揺らぎがなかった。


「本当は、助けられなかったかもしれない。君の暴走は、被害規模だけで言えば処分対象として扱われてもおかしくなかった」


「だったら──」


「……でも、君は


 そう言って、空木はゆっくりと歩き出す。俺も、わずかに遅れてそれに続いた。


「出会った時、もし本当に君が完全に異能に呑まれていたら……あの場でしかなかった。でも、君は最後の一線で自分を取り戻した。それが、判断の分かれ目だったんだよ」


 心を取り戻した……だと?そんな訳がない。俺は、ただ燃え尽きただけだ。倒れ込んだときにはもう、何も残ってなかったんだ。


「俺は……本当に戻ってきたのか、分からない」


 吐き出すように零した言葉に、空木は足を止めなかった。ただ、その背中越しに静かに言葉を置いていく。


「でも、戻ってきたんだよ。君が今、ここにいるってことが、それを何より証明してる」


「……」


「異能に呑まれた人は、もう二度と自分に戻れない。意思も、記憶も、人格も全部、力に喰われてしまう。そうなれば、ただの災厄になる」


 その言葉に、胸の奥が冷たくなる。


「それが、俺を助けた理由ってことか?」


「うん。君が立ち止まったから。壊すだけの存在じゃないって、証明したから」


 静かな声だったが、その響きには確かなものがあった。決意とも、信念とも違う。ただ、事実としてそこにある重さ。


俺は、力に呑まれて、それでも――踏みとどまった?……分からない。あのときのことは、今も断片しか思い出せない。だけど。──俺は、今ここにいる。


「……でも、それでも俺は、あの街を焼いた。取り返しのつかないことをした。家族だって、俺のせいで……」


「君が自分の罪から逃げない限り、私たちは君を見捨てたりしない」


 振り返った空木の目はまっすぐで、どこまでも真剣だった。


「この組織には、そうやって戻ってきた人がたくさんいる。誰もが、何かを背負って、何かを失って、それでもここにいる。君も……そうなるかもしれない」


「そうなるかもしれない……?」


「うん。私の役目は、君を連れてくるところまで。ここから先は、あの人が決める。君がどうなるかを。君が、どこに行くべきかを」


 あの人。最初に言っていた「会ってもらいたい人」。


 やがて廊下の奥に、大きな鉄扉が見えてくる。まるで、世界との境界を示すかのように、重々しく、厳かに閉ざされた扉。


 空木がその前で足を止め、手を軽く掲げると、無数の錠が静かに音を立てて解除されていった。


「この先に、君の答えがある。行こう」


 ゆっくりと扉が開いていく。


 俺は足を踏み出す。過去を焼き尽くした異能の炎と、これから歩む道。その境界線を超えるように。

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