第4章:麦畑に揺れる恋心

 収穫祭を終え、村に冬の気配が訪れる頃には、私とエドワードの関係はさらに親密なものになっていた。共に畑仕事をし、食事をし、村の未来について語り合う。それが私たちの日常だった。彼のそばにいると、不思議と心が安らいだ。


 ある晩、凍えるような夜だった。屋敷の暖炉で火を焚きながら、私たちは珍しくお互いの過去について話していた。


「エドワードは、どうしてこの村に?」


 私の問いに、彼は少しだけ遠い目をして、ぽつりぽつりと語り始めた。彼は辺境の男爵家の次男として生まれたが、母親が平民だったため、親戚からも冷遇されて育ったという。しかし、幼い頃から植物を育てることが好きで、その才能を見出され、特待生として王立農業学院への入学を許された。


「学院では首席で卒業した。王国の農業を発展させたいと、大きな夢も持っていた。だが……現実は厳しかった」


 貴族社会は、彼の出自を理由に、その才能を正当に評価しようとはしなかった。革新的な農法を提案しても、「平民の血が混じった男の戯言だ」と一笑に付されるばかり。失意の彼は王都を離れ、誰にも干渉されないこの辺境の村に流れ着いたのだという。


「ここでは、土は嘘をつかないからな。身分も血筋も関係ない。かけた手間と愛情に、正直に応えてくれる」


 彼の横顔を見つめながら、胸がちくりと痛んだ。私自身も、公爵令嬢という身分に縛られ、苦しんできた。形は違えど、彼もまた、見えない鎖に囚われていたのだ。


「あなたの才能は、本物よ。誰が何と言おうと、私が証明するわ」


 私の言葉に、エドワードは驚いたようにこちらを見た。そして、ふっと優しい笑みを浮かべた。それは私が初めて見る、彼の心からの笑顔だった。その瞬間、私は自分の気持ちにはっきりと気づいた。私は、エドワード・グリーンフィールドという一人の男性に、どうしようもなく惹かれているのだと。


 私自身の気持ちを自覚すると、彼のすべてが愛おしく思えた。ぶっきらぼうな話し方も、時折見せる不器用な優しさも、土に汚れた大きな手も。


 エドワードもまた、私の変化に気づいていたのかもしれない。私が悪役令嬢を演じていたこと、本当は臆病で優しい心を持っていること。彼はすべてを察しているようだった。そして、彼の鳶色の瞳が私に向ける眼差しには、日に日に熱がこもっていくのが分かった。


 私たちは恋に落ちていた。言葉にしなくても、お互いの気持ちは痛いほど伝わっていた。けれど、見えない壁が私たちの間に横たわっている。それは、元王太子妃と、男爵家の次男という、あまりにも大きな身分の差だった。


 そんな中、村に一人の商人が訪れた。彼は王都で手広く商売をしているらしく、次の商材を探して地方を回っているのだという。私が試しに、自分の畑で採れた野菜をいくつか見せると、彼はその品質の高さに目を見張った。


「素晴らしい!こんなに瑞々しくて味の濃い野菜は、王都の高級店でもなかなかお目にかかれませんぞ!」


 商人は興奮した様子で、私の野菜をすべて言い値で買い取りたいと申し出た。エドワードの革新的な技術と、私の惜しみない努力が、初めて目に見える形で実を結んだ瞬間だった。震える手で銀貨の入った袋を受け取る。それは、私が自分の力で稼いだ、初めてのお金だった。


「やったわ、エドワード!」


 喜びのあまり、私は彼の手を握って飛び跳ねた。彼は驚きながらも、私の手を優しく握り返してくれた。


 その夜。商人が去った後、二人でささやかなお祝いをした。月の光が、黄金色に輝く収穫後の麦畑を優しく照らしている。私たちは、その美しい景色を眺めながら、並んで座っていた。


「私の野菜が、王都で売られるなんて……夢みたい」

「あんたの努力の結果だ」


 優しい声だった。沈黙が落ちる。月の光に照らされた彼の横顔は、いつもよりずっと大人びて見えた。気づけば、私たちの視線は絡み合っていた。どちらからともなく顔が近づいていく。彼の大きな手が、私の頬にそっと触れた。


 あと数センチで唇が触れ合う、その瞬間。エドワードははっとしたように、弾かれたように身を引いた。そして、気まずそうに立ち上がった。


「……すまない。もう遅い。屋敷に戻れ」


 そう言い残し、彼は私に背を向けて足早に去って行ってしまった。残された私は、彼の触れた頬に手を当て、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。彼の瞳に宿っていた熱と、そして同じくらい深い葛藤の色を思い出しながら。私たちの間にある壁は、思った以上に厚く、高いのかもしれない。

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