水無月あおい編『ゾンビの島と、たったひとりの夜』

プロローグ「ようこそ、だれもいない島へ」

わたし、水無月あおい。小学六年生、アイドルグループ《SPLASH☆SUGAR》のメンバー。


でもアイドルなんて看板、今この島には通用しない。




──ここは、だれもいない島。


……だったはずなのに。




「……おかしい。さっきまで、いたよね……?」




焚き火の周囲。並べられていたキャンプ用のチェア。飲みかけのペットボトル。開けかけのレトルト食。


それがまるで、ぴたりと時間を止められたかのように、置き去りにされていた。




わたしと隼人くん、照明チームの助手の男の子を残して、スタッフ全員が忽然と姿を消していた。


彼らがいた痕跡は残ってるのに、音も声も、ぜんぶ風にさらわれてしまった。




……違う。消えたんじゃない。


“変わった”んだ。




わたしは、見てしまった。


さっき、テントの裏側。


立っていたカメラマンの男性が、呻きながらうずくまって……そして、


真っ白な目を見開いて、こちらを襲ってきたのを。




“あれ”は、わたしの知ってる人間じゃなかった。




そもそも、この島に来ることになったのは、新曲MV撮影のためだった。




「やばくない? ぜったいバズるよコレ!」ってりりあがはしゃいで、


ももかが「無人島って聞いたけど、ほんとに誰もいないの?」って笑ってて、


わたしはひとり、その横で地図をにらんでた。




天候は晴れ、干潮は午後一時。


気温は32度、湿度は78%。


夜はスコールの可能性あり。




南の島の気象は読みづらい。


“油断したら、死ぬ”。




それが、わたしのサバイバルゲームで得た教訓。




でもそれは、ゲームの中の話だった。


現実は、もっと生々しくて、もっと……こわい。




隼人くんと初めてちゃんと話したのは、上陸して三日目だった。




「水無月さん、こっちのライト、少し下げるね」




「“あおい”でいい。そんな、かたくしなくて」




彼は、無表情でちょっとだけ困ったように笑って、


「……じゃ、あおいちゃん」と言った。




その声が意外と低くて、なんだか心臓が変な音を立てた。




わたし、こういうの苦手なんだ。


“ふつうの距離感”ってやつ。




アイドルだからじゃない。


たぶん、昔から。


誰かと仲良くなることが、怖かった。


嫌われるより、好かれるほうがずっと怖いって思ってた。




でも、彼は違った。


わたしのことを特別扱いしなかった。


荷物も同じ量運ばされたし、テント設営も手伝わされた。




「ほんとに小学六年? 体力おばけだね」




「ほめてないよね、それ」




そう言って、はじめて笑った。




その笑顔が、少しだけ焼きついた。




……なのに、どうして。


どうしてこんなことになったの?




島の中心部、草むらの奥の倉庫跡で、隼人くんとわたしは肩を寄せ合っていた。


照明はない。焚き火もできない。音を立てたら“やつら”が来る。




「さっき、見たよね……ゾンビ、みたいな」




「うん」




「冗談、通じないやつ」




「うん……」




隼人くんの息が浅くなってる。


あれからずっと、動きっぱなしだった。疲れて当然だ。




「これ、夢じゃないよね?」




「夢なら、冷めてる。あおいちゃんが隣にいるなんて、夢にしては都合がよすぎる」




「……それ、どういう意味?」




「どうだと思う?」




その言い方がずるくて、でも……うれしかった。


わたしの鼓動が跳ねたのは、“ゾンビ”のせいじゃない。




「水……少し飲む?」




「うん」




彼に渡したペットボトルのキャップが開く音だけが、やけに大きく響いた。




その瞬間だった。




森の奥で、“なにか”が呻いた。




ぐう……ぐるるる……


低い、濁った声。




木が揺れる。枝が折れる音。


足音が、土を踏みしめる。




来る。




わたしたちを、見つけた。




「走って」




わたしが言うと、隼人くんは立ち上がった。


無言で、でも確かにわたしの手を握ってくる。




冷たい手。なのに、あったかい。


ふたりの指が絡まって、それだけで息がしやすくなった気がした。




「ぜったい、ぜったい生き延びよう。ね、隼人くん」




「うん。……ぜったい、守る」




わたしたちは走り出す。




夜のジャングルへ。ゾンビの徘徊する島へ。


だれもいない、いや、“なにかがいる”この島へ。




でももう、ただの撮影なんかじゃない。




これは、サバイバル。




わたしの人生で、いちばん濃くて、


いちばん、命の近くで――


誰かと“心も体もつながる”、夜のはじまり。




生き延びたその先で、


きっとわたしは、“ほんとうの恋”を知る。

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