第2話 告知されない部屋

今日は大型客船だった。


髪の話だ。ともちゃんの髪型の話。彼女の頭には、まるでシンガポールのマリーナ・ベイ・サンズの屋上にある、あの逆U字の豪華客船が乗っかっていた。しかも、ところどころに銀のアクセが散りばめられていて、まるで夜間航行中の灯りまで演出している。


店外からは、カウンター席に座るともちゃんと真知子さんが談笑している姿が見えた。見るからに二人とも楽しそうな様子が見てとれる。


そんな二人の姿を見ながらも、どうしたって僕の視線はともちゃんの髪型に注目してしまい、思わず「いつか待ち合わせ場所になる気かよ……」と口に出していた。それに応えるように、喫茶店の軒先に吊るされた風鈴が“ちりん”っと鳴る。


赤と黒、二匹の金魚が青々とした水草のかき分けながら優雅に泳ぐ…そんなデザインの風鈴。今週の風鈴は夏らしく涼し気であり、風情もある。ここ、柳夫妻が営む喫茶店「喫茶風鈴」では、毎週異なるデザインの風鈴が訪れる人が出迎えた。いわゆるラーメン屋ののれんに近いものだ。その日の営業開始と同時に店の軒先に吊るされ、営業終了でしまわれる。風鈴が鳴らない日は定休日。実にシンプルで分かりやすい合図である。


「今日もすごいですね…」


そう呟きながら、僕は店の扉を開ける。それに気づいた真知子さんが、暑い夏の定番となった出迎えをする。


「あ、あき。おかえり。アイスでいいかい?」


視線を僕に向けたままで、氷をアイスコーヒー用のグラス入れ始めている。それを制するかのように、慌ただしくカップに注いであるコーヒーを飲み干し、立ち上がったともちゃんが言う。


「真知子さん、そんな暇ないって。ほら、急いでるって言ったじゃん」「あら、そ?」「そ!ほら、あきさんもそんなところでぼさっとしてないで」


と、彼女は自身の言葉を言い終わる前に、僕の右腕を掴んで店の外へ向かって引っ張り始めていた


ともちゃんこと“友利里香(ともり りか)”は、子どもの頃から「里香ちゃん」と呼ばれるのが、あの“リカちゃん”みたいで嫌だという理由から、周囲に「ともちゃん」と呼ばせるようになったらしい。そんな彼女は“ほら行くよ!”とばかり、グイグイとさらに力強く僕を店の外へと引っ張った。


僕は慌てながら抵抗する。単純な力で負けるわけにはいかない。


「え、ちょっ……ちょっと! まだ心の準備が…っていうより、僕もコーヒー…」


僕が示した明確な意思は見事にスルーされ、彼女はお構いなしに意外と力強い腕力を発揮する。その時、僕らの小競り合いを端から見ていた真知子さんが、あきれたように声を飛ばす。


「じゃあ、ほら塩舐めて、水飲んでいきな!」と。カウンターには状況を察して手際よく用意されただろう、常温の水が注がれたグラスと、小皿に山盛りとなった塩が置いてあった。それを見たともちゃんは、ザ・優等生のようにピンと真っすぐに右手を挙げ、「私にも〜」と、したたかで、気分屋なロシアンブルーのように要求した。


僕は水をひと口含み、小皿に盛られた塩を指でつまんで舌の上にのせた。やや重たく感じる苦味が喉の奥へと流れ込む。その隣では、同じように塩をひとつまみし、口に放り込むともちゃんの姿がある。


「ところで、今日はどこ?」


僕がそう問いかけると、ともちゃんはあっさりと答えた。


「西荻。西荻にあるマンションの305号室」


「じゃあ、歩き?」


「やだよ、暑いし。今日は重い資料もあるから、車」


ともちゃんがそう言った瞬間、僕の頭の中には、あのイタリアンレッドの塊が浮かんだ。


アルファロメオ・ジュリア・スーパー1600。クラシックカーなのにエンジン音が無駄に主張していて、停めてあるだけで周囲がざわつくような派手さがある。しかも、その赤はとにかく目立つ。はっきり言って、除霊に向かう車としては最悪の目立ち方だった。


「よし、じゃあ行くか!」


気合の入ったともちゃんの声に反応して、真知子さんが落ち着いたトーンで声をかける。


「おい、里香。あんまり、あきに無茶させるんじゃないよ? うちの大事な従業員なんだから」


そんな真知子さんの心配する声を聞いたそばから忘れたと言わんばかりに、ともちゃんは「へーい」と、軽く手を振り返事を返す。


その「へーい」に込められた軽薄さの中に、何とも言えない愛嬌を感じて、自分の身の安全がテーマになっていることにも関わらず、僕はふっと笑ってしまう。それと同時に、あることを思い出し、肩から下げていた鞄を開いて、ビニール袋を取り出した。


「あ、これ。喜一さんに頼まれてた本です」


先ほどまで滞在していた本屋で買った、コミックの新刊たちを真知子さんに手渡す。


「ありがと。旦那に渡しとくわ。……じゃあ、二人とも、気をつけて行ってきな」


真知子さんの送り言葉に僕らは合わせたわけではないけれども、重なるように返事をした。


「行ってきます」



* * *



ともちゃんの車の中は、相変わらずレトロな革の匂いがした。車内では、Oasisのセカンドアルバム「(What's the Story) Morning Glory?」がシャッフル再生され、助手席に座った瞬間、エンジンの振動が骨にまで響く。ともちゃんはハンドルを握りながら、いつの間にか煙草を咥えていた。僕は遠慮しがちな感じでちょっとだけウィンドウを下げてお礼を伝える。


「なんか、気を遣わせて悪いね。ありがとう」


「ん? あぁ、私も好きだし。このアルバムは名盤だもの。それに、あきさんの失くした記憶の手掛かりになるかもしれないのなら、協力したいしね。…ってか、煙草…ごめんね。仕事前に、この、きっついの吸わないと気合入らないんだよね」


「あぁ、いいよ。気にしないで。……それより前から気になっていたんだけど、煙草……それって、ヘビーな銘柄だよね?」


「そ! 三つ子の魂百までってね! 私の叔母が吸っていたのよ。だから」


「憧れってやつか。いいな、なんかそういうの」


「……あきさんにも、何かあったんじゃないの? クセ強そうだし」


「ふっ、なんだよそれ」


唐突なディスに吹き出したけど、そうだといいなと思う。


たとえばだ、今の僕として生きるようになってから、この、車内で流れるアルバムを聴いたとき、とても懐かしい気持ちになった。それはもしかしたら、過去の僕が好きだったものの一つなのかもしれないと思う。その日から色々な音楽を聴いてみた。何が好きなのか、心に刺さるのか分からないから…。すると、面白いことが分かった。記憶にはないはずなのに、鼻歌を口ずさめる曲があったのだ。


「あきさんって、ブルーハーツも好きなんだっけ? じゃあ、ハイロウズもクロマニヨンズも?」


「うん、全部好きだね。何故か……初めて聴いたときから口ずさめた。ま、初めて聴くのはあくまでも今の僕であって、過去の僕は好きだったんだろうね。あとは、ジャニス・ジョプリン」


「しぶ…っ! センスいいじゃん!」


「あー、ともちゃん好きそうだね」


「好きよ。こ~魂がぁ、命がぁ、叫んでいるみたいな」


「はははっ、そうだね」


音楽だけではなく、映画やドラマ、本なんかも自分の好きなものがドンドン増えていく。不思議な感覚だ。一度は自分が触れてきただろう好きだったかも知れないものたちに、新しく出会うというのは。それは再会や再接触などではなく、まったくの初対面な気分。だけど、常に懐かしいという感覚がつきまとう。本能で好きだと思うものに触れたとき、もう二度と手放さないようにと、すべて両手でしっかりと抱えて抱きしめたくなる。


「…さて、今回の依頼だけどさ」


ともちゃんは吸っていた煙草を車載灰皿に押し付けて消した。僕は簡単な相槌とともに質問をする。


「うん。僕を呼ぶってことは面倒なの?」


「う~ん、事故物件じゃないのよ、これがまた」


「……どういうこと?」


「つまり、部屋の中で人が死んだわけじゃない。なのにね、この1年間で5人が死亡、4人が行方不明になってるの。その部屋に住んだ人限定で」


「なるほど……。」


僕は言葉を失い、たぶん、どんな相手にも嫌悪感を抱かれないだろう中身のない相槌を打った。すると、ともちゃんは僕が浮かべた表情から適切な言葉を選んで続けた。


「…おかしいでしょ?」


「うん…。じゃあ、告知条項に心理的瑕疵物件って記載はないってことなの?」


「ないわね。部屋の中には何もいないし。霊感持ちの私でも何も感じない。きれいだし。内見に行ったら、誰もが住みたくなるタイプの良質な物件。今は貸し出し禁止になっているけどね」


「……それで、僕の“気づき”に期待して依頼したってわけだ」


「そ。頼んだよ、あきさん」


ともちゃんの声には、ふざけた軽さの中に少しだけ緊張が混じっていた。それに気づき、僕の背筋は少しだけ伸びる。これから向かう先で出会うかもしれない違和感と、その裏にある真実――僕は、ゆっくりと息を吐き、目をつむる。


車内では「Roll With It」が流れていた。


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