夕立が上がったあとに吹く風はなぜ

あきたろう

第1話 君を忘れ、僕を知らず

7月13日

藍ちゃん、お誕生日おめでとう!

幸せですか?楽しく過ごしていますか?

世界が君にとって優しく温かなものであればいいなと願っています。


10数年ぶりに、君へ手紙を書いています。届けるつもりもない手紙を書いています。

君のことを思い出すたびに、君に関する言葉と触れるたびに、君の幸せを願っていました。


あれから色々ありました。君も色んなことがあったかと思います。その上、震災があり新型コロナがありで、目まぐるしく時が過ぎていったかもしれませんね。君が今も生きていることすら、私には確証できません。それがとても残念で辛いです。君の今に少しでも関われないこと、手を差し伸べて守れないこと、心の底から寂しいと思います。


今でもそんな風に思えるぐらい、君のことが好きだったんでしょう。愛していたのでしょう。そんなことを思うと同時に、君に何一つ、素敵な思い出を残してあげられなかった後悔が募ります。後悔ばかりです。ごめんなさい。


君と最後に会った日、私は「さようなら」が言えずに去りました。あの日、君が言った「恨んでもいいよ」という言葉、今でも時折考えます。とてもありふれて、ドラマや映画では使い古された言葉ですが、君が口にしたことの重さが苦しいです。


「恨んでもいいよ」それが意味するところは、結末を迎える前から分かっていたのにね。自分から去ることに怯えてしまったんです。君にそんな言葉を言わせてしまったこと、申し訳なく思っています。


君と最後に会った10日後、私は友人も失いました。それは突然の別れでした。1分前まで普通に話していたのに、命は儚いものだと知りました。


その日から私は、君とお別れした傷も癒えぬまま、友人を失った悲しみと対峙しなければならなくなりました。君との別れで死ぬことも本気で考えていたのに、そうはさせまいと毎日遊んでくれた友人が亡くなりました。

何の因果だ…そんな風に思うだけなら簡単で、だけど答えが分かるわけもありません。


ただ、自ら望んで死を選ぶのがとても無責任なことだと感じ、底が見えないどん底の世界でただ生き続けると決めました。


それはそれは、とても苦しいものでした。毎日襲ってくる死への渇望に呼吸することも苦しくなり、いついかなる時でも、場所でも、一人飛び出して生きるためにもがきました。友人の死について、終結したのは2006年12月25日です。


友人が亡くなってから、いけないことだと知りつつも、一度、君に電話をかけましたね。パニックでした。君はすぐに電話を切りました。それが正解です。電話をかけて、君にすがったこと…苦い記憶として残っています。

もし君が優しく話をしてくれたら、私は何かに許されたと思い、死を選んでいたでしょう。


パニックは続きました。もう一度、君にも迷惑をかけました。君の友達にも迷惑をかけました。この時もやっぱり、本気で死にたかったんです。赦しが欲しかったんです。ごめんなさい。本当に情けないです。


その後、君の誕生日に手紙を送りました。内容は…ごめんなさい、覚えていません。誕生日を祝う手紙を書いたこと、それは記憶に残っています。「それは」というのは、それ以外の記憶がないんです。何をしていたのか、どう生きていたのか、5年ほど記憶がありません。


ある時、これまでの10数年間を後悔した瞬間がありました。それは2023年6月1日のことです。あるイベントを鑑賞しに行き、その時に思ったんです。


「もし、この10数年、俺の精神状態がフラットなものだったら…。0の状態で、いつでもどこへでも動き出せていたなら、あの場に立っているのは俺だったのかもな」と。


ようやく後悔できました。2006年から自分が生きてきた時間を。17年も経過していました。明日のことも考えず、夢もなく、ただ食べて寿命が尽きるまで生きるだけの日々を後悔しました。


その時から、私はやりたいことができました。次々に見つかっていきました。堰を切ったようにとは、上手く表現しているなと実感した瞬間です。


東京で暮らし始めてからずいぶん経ちますが、その行動はきちんと意味を持ったんだと思います。


今になって思えば、あの頃の自分は情けなく、幼く、とても弱かった。でも、必死だったんだよなって、君をどうしても失いたくなかったんだよなって思ってやることにしました。


あの頃の私には、夢もありました。でもいつしか、君を失いたくないという思いだけが生きる意味になっていました。申し訳ない話ですが、君しかなかったんです。私のすべてだったんです。自分の存在を証明するものだったんです。


あの頃の自分を正当化するわけではないです。その時を迎えるまでの4年間がどれだけ大切な思い出となり、忘れがたいものだったとしても、決して認めることはできません。そう思っていました。私が自分自身を許すことなどないと。君のことを思い出すたび、君の幸せを願うとともに、自分を殺したくなる私がいました。ですが本当に情けない奴だけど、振り返ってみたときそれも自分なので、たとえ君が許さなくても、せめて私は許してやろうと思います。


これからはあの頃の自分も背負って、一緒に生きていきます。


もう一度君に会いたいと願っています。今、生きている君と話したいと願います。また、それにより私の長くて重い、深くて鈍い後悔の時間が終わりを告げるのかもしれません。きっと。でも同時に、その願いは決して叶わないだろうと思っています。


だからせめて、君のために幸せを願います。いつも、いつだって、君を思い出すたびに幸せであることを願います。

最後に、あの時言えなかった言葉を送ります。藍ちゃん、さようなら!じゃあね!元気でね! そして、ありがとう。


あき


……これが…、着古されたモッズコートのポケットに入っていたこの手紙が、僕の失った記憶の唯一の手がかりだ。


何度か読み返してみたけれど、我ながら僕はずいぶんと、可哀想で寂しいやつだと思う。まるで世界に見捨てられたようでいて、実は自分が世界を見捨てているようではないか。恐らく意図的に一人で生きようとしてきたんだろう。意識して誰ともかかわろうとしてこなかったのだろう。ただ仕事をして、ご飯を食べて、眠るだけの生活をしていたのだろう。


そんな風に思えた。同情はしない。きっと、自ら選んだ生き方なのだろうから、お前が受け入れた今なんだろ?と思う。もちろん、この手紙を書いている「あき」という人物が僕だと仮定すればのことだけれども、それすら今の僕には分からないから、極めて冷静に人物像を俯瞰できるわけだが。


手がかりが何もないのだ。スマホも持っていなければ、財布も家の鍵も、免許証やマイナンバーカードすら持っていなかった。僕がそれまで生きていた証となるものを、この手紙以外、何一つ所持していなかったのだ。


記憶を失くして、今の僕になってから1年半の時が経つ。


あの日、深夜3時過ぎに吉祥寺の路上で倒れていた僕を助けてくれたのは、この街で古き良き喫茶店を営む老夫婦だった。それから1年半、柳夫妻にはお世話になりっぱなしだ。衣食住、警察への届け出から友人知人への聞き込み、そして仕事まで、今の僕が何不自由なく生きていられるのは二人の尽力にほかならない。


僕が思い出したようにお礼を伝えるたび、真知子さんは「昔からお節介なんだよねぇ、私。気にすんな!」と、闊達な返事を返してくれる。それが記憶のない僕にとって、ありのままの姿ですっぽりとハマる居場所があるようで、とても助かっていた。


PuRu…ポケットの中でスマホが鳴る。


「はい、あきです。今は本屋の帰りですけど…え?また仕事?最近多くないですか?………はい、分かりました。店で待ってるんですね。今から帰ります。………あ、今日は誰のサポートですか?………ともちゃんか!だからなんですね!………いや、真知子さんの声が元気だから。ほら、ともちゃんって報酬が取っ払いだし………あはは、急いで戻りますね」


真知子さんにとって、ともちゃんからの依頼は気分がいいらしい。なぜなら、忘れられている報酬を催促する心配がないからだ。真知子さんを通して僕にサポートを依頼する際、報酬は1週間以内に喫茶店の銀行口座に振り込むことになっている。


しかしたまに報酬の支払いを忘れる依頼者もいて、それがどうにも真知子さんは嫌らしい。幸い喫茶店は繁盛しており、お金に困っているわけではない。それはきっぷがよく、面倒見のよい真知子さんらしく、催促するのがどうにもばつが悪いようだ。でもこの場合、ばつが悪いのは依頼者の方だろうに、催促する側がそう言ってしまうあたり、本当に真知子さんは人がいい。


以前、そんなに嫌なら僕が催促しますけどと伝えたことがある。しかし真知子さんは「これはあんたを拾った私たちの責任。どうしても嫌だったら旦那に任せるし」と、申し出を突き返された。それでいて、支払われた報酬は全額僕に渡すんだから、何も言えない。


一方、僕もともちゃんとの仕事は気分がいい。それは報酬の支払いがどうこうではなく、ある面白さが僕の気持ちを刺激するからだ。


彼女は毎回会うたびに髪型が大きく異なる。ある時は、地毛だけでサバンナの弱肉強食を表現するようなワイルドな造形をしていたり、またある時は、ウェッグを駆使して銀河の誕生から終わりを思わせるダイナミックな動きを見せたりと、とにかく楽しめる。


そんなんだから仕事に向かうめんどくささを上回り、今日はどんな髪型をしているのだろうかというワクワクが、僕の気持ちを高揚させた。


ちなみに僕の仕事は「気づく」という行為だ。さまざまな人との会話や場所、出来事の中で、その状況や現象の正体、本質、ズレ、変化、嘘やまやかし、欠点などに気づくのが僕の仕事だ。対象は人間同士のいざこざから、いわゆる心霊系まで多岐に渡る。先日は、ベネディクト・カンバーバッチ扮するシャーロック・ホームズのようにちょっと変わった事件の解決まで対応した。変な仕事?僕だってそう思う。


記憶を失ったからこそ手に入れた能力なのか、それとも元から僕にあった力なのか分からないけれど、それでも誰かの役に立つんだから嬉しい。ただ…、僕に仕事の依頼があるときは、心霊関係にしても人間関係にしてもだいぶ厄介な方向にこじれているケースが多い。だから変な仕事ではあるけれども、決して楽な仕事ではないのだろう。


そして今からサポートをするともちゃんは、おもに物件で起こる怪現象の理由を調べて鎮める人、ざっくりといえば除霊を生業にしている。これまでに4畳一間の狭苦しいアパートの一室や小学校の飼育小屋、100名を超える社員が働くビルのワンフロアなど、僕がこの1年半でサポートした仕事だけでも、さまざまな物件を対象としてきた。


つまり、これから僕は、厄介な事情を抱えた心霊物件に楽しい髪型をしている除霊屋と向かうことになるわけだ。


それでもやっぱり嬉しい。今の僕は、わずか1年と半分生きただけの人間なのだから。それでも他人と意思の疎通が図れて、誰かの気持ちを慮ることができ、一般的なユーモアを有し、なんならウェットに富んだ会話だってできる、見た目は頼りになりそうな成人男性なのだから。


誰かの役に立つたび、たった1年半のこの人生が少しだけ重みを増し、失った記憶の分を穴埋めする気がしている。身体の大きさに見合った記憶の量に届くには、まだまだ足りないのが残酷な現実だけど。


「さて…、今日はともちゃん、どんな髪型してっかなー」


僕は少しだけ速足になった。

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