人間と友達
きんこん。とチャイムが鳴って、つみきちゃんが席を立つ。
「待って!」
教室中の視線が集まるのもかまわず、澄香はその手をつかんだ。昼休み、彼女は決まって教室から消える。もし、何事もなければ、昨日からは三人で食べようと思っていたけれど、土曜日にあんなことがあって、その機会を逃してしまった。今日も昴ちゃんは登校していない。昨日、話したけれど、止められなかった。だから、今澄香にできるのは。
「なんでしょう」
振り返って、平坦な声で彼女がつみきに尋ねる。一瞬ひるみそうになって、でも、それを認めたくなくて、澄香はその眼前に袋を取り出した。
「今日も購買でしょ? つみきちゃん。お弁当作って来たの。つみきちゃんさえよければ、一緒に食べたくて」
そう言って、顔に笑顔を張り付ける。自分の笑顔が、引きつっていない自信がなかった。でも、つみきちゃんは短く答えを返してくれた。
「いいですよ。どこで食べます?」
その言葉を足掛かりにして、澄香は教室から出る。
足を向けたのは、屋上だ。人がいない場所ならどこでもよかったけれど、たぶん、ここを選んだのは、初めてつみきちゃんと話した場所だからだ。
「はい」
包みを開けて、弁当を渡す。つみきちゃんは黙ってそれを受け取って、中身を開いた。横から差し出した箸をとり、いただきますと、それをつまみ始める。それを横目で見ながら、澄香も自分の分の弁当に箸を伸ばした。唐揚げ、卵焼き。できるだけ好きなおかずを入れたつもりだったけれど、砂をかんでいるように味がしない。
言いたいことはあって。それでつみきちゃんを呼んで。話さなくちゃ、と気は焦るのに、口から言葉が出てこない。つみきちゃんも何もしゃべらず、無言のまま箸を進める。そんなだから、二人ともすぐにお弁当は食べ終わってしまった。ごちそうさまでした、と、ここでもやっぱりつみきちゃんは、丁寧に箸を収める。
「ありがとうございます。美味しかったです。これは、澄香さんが?」
「あ、うん。お母さんは、早くに出るから。ご飯は大体自分で」
「そうですか。素晴らしい腕前です」
「そんなことは……」
「それで」
何の話ですか? そう、微笑んでお弁当箱を返しながら、つみきちゃんは言う。心臓が跳ねるのが分かった。多分つみきちゃんは、本当は澄香が何を言おうとしているのか分かっている。でも、促すように尋ねてくれている。それが分かって、情けなかった。
「……。昨日、昴ちゃんに会ったの」
「……。そうですか」
「それで」
「危ないですから、次回からはやめた方がいいですよ」
言葉を続けようとした澄香を遮るように、つみきちゃん言葉を重ねる。そこに込められたのは、明白な拒絶の意志だ。それに、澄香が思わずつみきちゃんの顔を見る。彼女は、無表情に澄香を見下ろしていた。
「澄香さん。昴さんは人狼です。人間ではありません」
「! でも」
「澄香さん」
優しく、語り掛けるように。子供に言い聞かせるように、つみきちゃんは言う。
「彼女は人狼です。人狼でした。それを、澄香さんは知って付き合っていたのですか?」
「それは、知っては、いたけど、冗談と思っていたというか、そんな事はないと思っていたというか」
「彼女が人狼である以上、人を食べます」
つみきちゃんが、そう断言する。
「以前と同じようには、付き合わない方がいい」
いや。
付き合っては、いけない。
「…………。なんで」
「……」
「なんで、そんなこと言うの?」
情けない声が、自分の口から漏れた。
だって、水族館では、あんなに楽しそうにしてたじゃないか。三人で、友達になれそうだったじゃないか。
それなのに。
どうして?
「私は、両親を殺しています」
「え?」
「小学生の頃です。私の魔法は、そのために身に着けました」
自嘲するように、薄く笑いながら、つみきはそう言って笑う。
「私にそれを強いたのは、人狼でした」
「……、昴ちゃんは、そんなことしない」
「ええ、そうでしょうね。でも、その後私にできた家族、魔女の友人たちを殺したのは、私の両親の仇ではありません。普通の人狼です」
つみきちゃんが、言葉を紡ぐ。
「彼らは、人を食べます。幼い子供を持つ親を、親に愛されて育った子を、将来があった若者を、社会に貢献した老人を」
区別なく。人間を、彼らは食べる。
「だから、私は彼らを殺します。彼らが殺さなければ、幸せだった人達のために」
そう言って遠くを見るつみきちゃんの目は、酷く冷たく、冷え切っていた。それには、意思というよりも、諦めに近いものが感じられた。人狼の引き起こした、いくつもの、悲劇と呼べるべき事柄を知っている人間の、それは目だった。
それで、澄香は気が付く。気が付いてしまう。彼女が、瀬尾昴という人間には、それほど悪い感情を持っていないことを。
それでもなお、昴を殺す、殺さなくてはいけないと考えている事を。
それは、めらめらと燃える、炎のような感情ではなかった。
暗い海の、底の底のような。
冷たく、重い。
変わることのない、感情。
「……………。どうしても?」
自分の声が、震えているのが分かった。視界がゆがんで、涙が落ちるのが分かった。彼女が見てきたものに対抗できる、彼女を説得できるものを、澄香は持ち合わせていない。だから、きっともう、何を言っても、理屈では彼女を止められない。そう、自分の理解が追いついてしまって。
ぽたぽたと、流れる涙が、止まることはなかった。
「……ごめんなさい」
肩に澄香の頭を寄せて、抱きしめながら、つみきちゃんが言う。
それは悲しませることしかできない、自らの行動への謝罪だった。
その、間違っているのが澄香ではないんだと伝える優しさが、彼女が暖かい人間だと伝えていて。
それが、ただどうしようもなく、悲しかった。
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