人狼と人間
解体は何度もやっているから簡単に終わった。普通のパック肉の様に見えるようにレトルトパウチに詰め込み、手伝ってくれた二人に礼をして倉庫を出る。功が土地を貸している精肉工場の一角に設けられたそこは、肉の廃棄用の施設もあって、後片付けも楽だ。そうして、人肉を希望していた三〇人分のそれをクーラーボックスに入れ、帰途に就く。時刻はすでに一二時を回っていた。そうして、家に戻ると、昴の家の前に、制服の少女が腰掛けていた。
それを見て、顔をしかめる。息が、詰まる。
「昴ちゃん……」
そう、泣きそうな声で話しかけてきたのは。
跳ねた髪。小さな背。
魔女の襲撃によって全部失くした昴が、その時に出会った、新しい友達。
鈴鳴澄香が、そこに居た。
「何しに来たの」
「メール、返事なかったから」
そう言って、座り込んだ澄香の横を通って、家に入る。待って、という声は無視して、家の扉を閉める。
澄香の事は好きだ。でも、いや、だからこそ、今一番合いたくない相手だった。どんな顔をしていいのか分からない。いや。澄香がどんな顔をして、昴に会って来るのか分からない。
人食いの、化け物を、どんな目で見るのか分からない。
『ごめんね』
逃げるように閉めた扉。その外から、声が聞こえた。クーラーボックスを置いて、靴を脱ごうとしていた手が止まる。
『私、そんなつもりじゃなかったの。昴ちゃんは、ずっと、そうだって言ってくれてたのに、冗談だって受け流して、自分の目で見るまで本気にしなかった。もしかしてって、思う事もなかった。変だな、とは思ってたはずなのに』
そう、澄香は言う。傷つけてごめんと、澄香は言う。
『それを、今日は謝りたくて……。ごめん。私の独りよがりで。でも、ごめん。どうしても、言いたくて。ごめんなさい』
最後の声は、酷く小さくかぼそくて。昴は、ゆっくりと振り返り、ドアを開ける。
「服」
「え?」
「ずっと待ってたの?」
「あ、ごめん。昴ちゃん、帰って来る時にいないの、嫌だったから」
「そう」
うつむいて、ごめんと、つぶやくような声で言う澄香の頭にちょっと待ってて、と、声をかける。意図を確かめるように顔を上げた澄香に、笑って昴は言った。
「荷物だけおいてくる。嫌でしょ、人食いの家入るの」
そんなこと、という声は無視して、家に入る。話したくない、どうでもいいという心に覆った幕は、彼女の泣きそうな顔で晴れてしまった。昴は彼女に弱い。そう思う。でも、やっぱり話は聞いてほしくて。せめて、拒絶されない事だけ確認したくて。
最後のお別れを、したいと、その顔を見て思ってしまって。
肉だけ冷凍庫に入れて、外に出る。澄香はそこに心配そうに立っていて、昴はその頭をくしゃくしゃと撫でて歩き出す。後ろからは、慌てた様に小さな体がついて来た。
「昴ちゃん、本当に、ごめんね」
「うん」
「私、あんな事になるなんて、思ってなくて」
「うん」
「昴ちゃん」
「気にしてないよ」
「そっか。うん。でも、ごめん」
「初めてさ」
勤めて明るい声で、昴は言う。たぶん、今何よりも澄香を許せないのは、澄香自身だ。だから、自分の声で、それを振り払おうとする。そうしなければ、一生の傷になるような気がして。
「初めて会った日の事、覚えてる?」
「……うん」
こんな、春の夜だった。昴は基本的に学校が終わってから地区の見回りをするから、この時間にはよく外を歩いていた。何もない夜の街を歩くのは、世界に自分が一人ぼっちの様に感じられて好きだった。周りの、誰にも迷惑をかけることがないから。
澄香は、そんなところにいた。昴の前を、所在なさげに歩いていた。
「大丈夫って、声かけられたの、びっくりした」
目が合ったのは感じた。同年代位だなあ、とも思った。ただ、会釈しただけの自分と違って、澄香はそう声をかけてきた。大丈夫って、何が。そう聞く昴に、澄香は言った。
寂しそうに、見えたから。
「お節介だったよね」
「かもね」
でも、そのお節介な感じは、嫌いではなかった。なぜだろうか。多分、澄香は誰かを助けるつもりがないからなんじゃないかと思う。誰かを助けようとか、どうにかしようとは、思っていない。ただ放っておけなくて、ただ、関わらずには、その相手の事を知りたいと思わずにはいられない。彼女と過ごすうちに、彼女と話すうちに、そんなことを思った。通じないとは思いつつも、彼女に人狼だと話したのは、そういう理由だ。
理解してくれるとは思わなかった。
受け止めてくれるとも思わなかった。
ただ、彼女の望みに答えてあげたかった。
澄香には、嘘をつきたくないと思った。だって、澄香はいつだってまっすぐだった。まっすぐ、誰かを見つめていた。それには向かう気力は、昴にはなかった。でも、裏切ることもでき中かった。だから、おどけて寄り添うふりをすることしか、昴にはできなかった。
誰かには、それに向き合ってほしかった。
澄香の、温かい心が、昴は好きで。
澄香のそれが、いつか報われてほしいと思った。
澄香には、いつも幸せなことが起こっていて欲しいと、心から願っていた。
昴には、それを叶えてあげる資格なんてないから。
「でも、嬉しかったよ。だから、私はここにいる」
ありがとう、そう言おうとして、それは口から出てこなかった。友達でいてくれてありがとう。私の友人が、澄香で良かった。もし、もし、もっと早く出会えていたら。昴も、同じようにまっすぐ、澄香と向き合えたのだろうか。自分の心に言い訳を重ねずに話せていたのだろうか。
そんな言葉が、脳裏に浮かんでは、消える。
言葉にできないのは、昴の弱さで、昴の自己嫌悪だ。
澄香に、否定されるのが、怖かった。
「…………。昴ちゃん」
後ろから、一度も振り返らずに話し続ける昴に業を煮やしたように、申し訳なさそうに、澄香が口を開く。言ってくれるな。と思った。多分、彼女のお願いには答えられないから。
「つみきちゃんと、戦うの?」
「……うん」
「なんで? つみきちゃんのこと、嫌い?」
「いや」
「じゃあ」
「でも、あいつは私の事を殺すよ」
「そんなこと!」
投げ捨てるようにそう言った昴の腕を、澄香の手がつかむ。その手は、柔らかく、暖かい。自分の手を握るのには、ふさわしくないと思った。だから、それを振り払って振り返る。
「そんなこと、つみきちゃんはしないよ」
「なんで分かる?」
「それは」
澄香が言葉に詰まる。それはそうだ。だってそれは、きっと彼女が思い描いた、彼女の願望に過ぎない。
「私の兄さんや姉さんは、あいつと仲間に殺されている」
「え……」
「二年前。魔女が人狼をたくさん殺した時に」
聞いた話に心当たりがあるのか、息を呑んで、澄香は押し黙った。
「あいつは悪い奴じゃないと思う。でも、あの子は人を殺せる。いや、これは語弊があるね。人狼を殺せる」
だから、先に殺さないといけない。
「私にも、守るべきものがある。一緒に暮らしている人狼達がいる。その人たちのためにも、私は戦う」
それを、したいと思えるか、確認したかった。
今日の会合で、それをできると感じてしまった。
大丈夫だ。昴はたとえ死んだとしても、人狼のために散るのなら、悔いはない。
瀬尾昴は、そのくらいには、人狼と言う生き物の一員だった。
「でも、戦うだけがそうする方法じゃ」
「それ、あいつに言ってみたか?」
何とか。何とか、自分を思いとどまらせようとする澄香の声にかぶせるように、昴は言う。澄香は、それに答えられない。もし聞いたとしたら、あいつも自分と同じように言うだろうと、昴は思う。
つみきたちも、人狼との戦いで、三人の魔女を失っている。第一の魔女、第二の魔女、第五の魔女。彼女達も、人狼を許すことはないだろう。人間を守るために、人狼と分かっている人間を、見逃したりはしないはずだ。そうでなければ、許さない。許せない。
だから。
「ごめんな」
そう苦笑して澄香に言う。澄香は、泣きそうな顔をしてうつむいている。こういう、優しいところが、昴は好きだ。もっと言ってもいいはずなのに。昴の言葉を、否定したっていいはずなのに。普通に生きてきた澄香には、昴の言う言葉なんて、実感がわかないだろうに。
澄香は、それを否定しない。大切なものだから、それを間違っているとは言わない。
その小さな体を、ぎゅっと抱きしめる。
「ありがとうな。澄香」
そう口にする。卑怯にも、謝罪と別れの挨拶は飲み込んで。
今日、昴は学校に行かなかった。明日も、明後日も行くつもりはない。
これはけじめだ。人狼として、生きていくための、昴なりのけじめ。
澄香に会うのは、これで最後にしないといけない。そうしなければ、彼女は澄香を幸せにできない。
だって、昴は。
人を喰う、人狼なのだから。
澄香が、抱きしめた昴の胸に顔をうずめて、腰に腕を回す。
目からこぼれた涙を、服が吸うのが分かった。
満足いくまでは、満足するまでは、こうして抱き合っていたいと、昴は思った。もっと強く、分かれることがないように強く、二人を混ぜるように昴は澄香に密着する。
その体からは、甘くて、おいしそうな匂いがした。
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