魔女と人間

 志水つみきは、人狼から鈴鳴澄香を救った時に、彼女が自分のクラスメイトだと気が着いてはいた。ただ、認識疎外の魔法をかけていたのもあり、勤めて冷静に対処しようとし、対処することができたと思っていた。問題は、つい癖で髪をかき上げてしまった事。そして、彼女がばっちりと自分の顔とその時の顔を覚えていたことだ。

 一応クラスでは目立たない地味な少女としてふるまっているつもりではあるが、よく見られていたな。と運のなさをつみきは嘆く。つみきの行動は、実はかなり目立つものではあったのだけれど、彼女にその自覚はない。

 ともかく、澄香に正体がばれてしまったのは失態だった。彼女を巻き込むことになってしまった事に、澄香はずっと悔しい思いでいた。だから、その安全を守ることに関しては、人一倍熱心であった。

 つみきの視線の先には、その澄香が一人で立っていた。黒のTシャツに、ベージュの、少し丈の大きなオーバーオールのスカート。肩には小さなリュックサックを下げている。夜にあった時とはやはり服装が違っていて、今の服装は小柄な彼女によく似合っているとつみきは感じた。地下鉄の駅には継続的に音楽がなっている以外は静かだ。つみきは、時折時計を見つめながら佇む彼女を、構内に何本か立った柱の陰から覗いていた。

「何してんの、お前…………」

 そうして、じっと澄香を覗いていたつみきの頭上から、声がかかる。聞きなじみのある声に顔を上げると、果たして呆れた顔でつみきを見下ろしていたのは瀬尾昴だった。

「おはようございます、瀬尾さん」

「おはよう。で、何してんの?」

 そのまま挨拶をしたつみきにそう返して、昴はそう問いかける。今日の昴は、口の広いジーンズに胸元の開いた白いシャツといういで立ちだった。首元に見えるネックレスの銀の首掛けが色っぽい。乱暴そうな彼女のイメージには、よくあっていた。

「なんか今失礼なこと考えただろ」

「いえいえ」

 こちらの顔を見ただけで目を半眼にした彼女にそう肩をすくめて、つみきは視線を澄香に戻す。

「何してんだ、本当に。というかなんでいるんだ」

「お構いなく」

「すごく構うんだけど」

 心の底からの言葉を、そう言って昴は流す。つみきは放っておいて欲しい空気を纏いつつ無視してみるが、彼女が後ろから消える感じが一向にしないので、仕方なく向き直って説明する。

「今日は鈴鳴さんを見させていただこうと思いまして」

「なにそれ」

「鈴鳴ウオッチングです」

「なにそれ……」

 昨日、とても嫌そうな顔をした昴に睨まれながら、つみきは澄香の今日の予定を聞いた。今日、ここを最寄り駅とする水族館に瀬尾昴と行くのだという事だった。となればそこに人狼があらわれる可能性はとても高いとつみきは判断し、もちろん、そんな事情に澄香も昴も巻き込まれることはないと考えていたので、警護することにしたのだ。

 黙って、勝手に。

「という訳ですので、昴さんも気にせず楽しんでいただけると」

「すまん、何が『という訳』のか全くわからない」

 念のため言っておくと、もちろんつみきは今日来た目的を昴に告げていない。あくまで彼女の中で、今日来た目的を反復しただけである。

 彼女は、会話をするのが下手くそだった。

 本人にその自覚はないけれど。

「……。というか、お前さ」

 にっこりと微笑んでいるつみきの顔を見てなにかを諦めたのか、昴が黙って柱越しに澄香を指さす。なので、つみきも視線をそちらに向ける。

 視線の先では、澄香が恐る恐る、と言った感じで目をこちらに向けていて、つみきと目が合った瞬間に、びくりと震えてまた目をそらした。

「あれ見て、なにか思う所とかないの?」

「昴さんが大きいからばれてしまうではないですか」

「いや、あれは最初からバレてんだろ」

「ははは、そんな事」

 そう言ってつみきは胸を張る。ちなみに言うと、積木の服装は無地のTシャツに薄いカーディガン、下は細めのジーンズといういで立ちで、顔を隠すように少し大きめの野球帽をかぶっていた。駅で行きしなに勝ったそれには、白字でDと書かれている。

「…………ああそう」

「まあ、最初にも言いましたが私の事はお気になさらず」

 そんなつみきの様子にふう、とだけため息をついて、昴は澄香の方に歩き出した。よし。とつみきもひと息つく。今日ここに来たのは彼女の勝手だ。澄香と、まあ、昴の邪魔にも、なりたくはなかった。見つかってしまったのは想定外だったが、どうやら昴も納得はしてくれたらしい。歩いていく昴の背を目で追いつつ、昴はそっとリュックからオペラグラスを取り出して首にかけた。

 その昴は、てくてくと澄香に近づいていくと軽く手を挙げて挨拶をした。澄香も何かそれに笑顔で応じている様子が見て取れる。つみきと二人の距離はそう離れてはいないから、声も漏れ聞こえては来るのだけれど、電車の音と水族館に来た家族連れ達の声に紛れてしまって、何を言っているのかは分からない。

 昴が右手を上げ、澄香が指の先を見る。その指先と視線はまっすぐにつみきの方を向いていた。昴は呆れた顔を隠そうともせず、澄香も困ったように笑っている。やがて、澄香が昴に何かを言い、昴は苦笑して頷いた。

 そのまま二人で、とてとてと、つみきの方に歩いてくる。

「志水さん、おはよう」

「…………」

 油の切れた機械のようにそちらから目をそらすと、クスクスと澄香は笑った。その後ろでは、昴が憮然とした表情で、どこか仕方ないな、という雰囲気を漂わせながら立っている。

「おはよう」

「…………………おはようございます」

 重ねられたあいさつに、つみきも仕方なく返答した。

「一応、状況は瀬尾さんに説明した通りですので、お気になさらず」

「いや気になるよ?」

 すっごく気になる。そう、澄香は笑いながら突っ込んでくる。

「だから、つみきちゃんが良ければ、今日一緒に回ろうよ。水族館」

「…………しかし」

「昴ちゃんもいいって言ってるし」

「ああ」

 ね。と同意を求められた昴はそう言って返答をしたが、口調からは不満が丸わかりだった。ただ、少なくとも同意はしており、これ以上事を荒立てる気がないのも分かる。

 だからこそ、余計に申し訳ない。

「……でも、ですね。今日は本当に私の我儘でして、お二人にご迷惑をおかけするつもりは」

「視界の隅でちらつかれる方が気になるって」

 それでもなお、つみきが断ろうとすると、昴がぶっきらぼうに付け足した。昴ちゃん。と澄香が声をかけるが昴は目をそらしている。澄香も異論はないのだろう。苦笑している顔には、そういう事だから、と書いてあるように見えた。

「…………分かりました」

 じっとつみきの瞳を覗き込む澄香の目に根負けするような形で、つみきはゆっくりと腰を上げた。じゃあ、行こっ! と、積木の手を両腕で握って、澄香が跳ねるように歩き出す。つみきはそれに引かれるように足を出した。昴は、後ろからゆっくりとついてくる。仲のいい友人みたいだな。そう、かすかに思った。

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