第1章「兄、胃痛。」
――それはある冬の午後、年明け直後のことだった。
編集部の一角。
コンビニのカップスープを啜りながら、天野伊吹は机に突っ伏していた。
「……いてててて……」
かすかに呻いた腹の音。
湧き上がるのは栄養ではなく、胃液の方だった。
誰もが忙しくキーボードを叩く中、彼だけが明らかに顔色が悪い。
「……くっそ、また……っ」
お腹を押さえながら、引き出しから常備薬のボトルを取り出す。
中身は胃薬、正露丸、ビオフェルミン……もはやミニ薬局である。
目の前の原稿チェックリストには、朱文字で「※至急返答」「作者超多忙」と赤字が飛び交っていた。
「……湊……てめぇ、年始からどんだけ飛ばしてんだよ……」
ひとりごとにしては、若干殺意がこもっていた。
*
漫画家・佐原湊。
彼は今や“時の人”である。
青春群像劇のヒット作『アネモネ・バレット』は、アニメ化決定。
関連グッズや書き下ろしイラストの依頼も雪崩のように舞い込み、
担当編集である伊吹は、完全にキャパオーバーの真っ只中だった。
「こっちは正月返上でメール返してんだよ……!休めやせめて!!」
さらに追い打ちをかけるように、伊吹の私用スマホが震える。
「――あっ、なずな?おう、今帰るとこ……うん、うん……は?保育園?ああ、迎え?うん、大丈夫大丈夫(吐血寸前)……ああ……」
胃痛×残業×家事=即死。
ひとまず電話を切った後、伊吹は机の下で崩れ落ちた。
「胃……いてぇ……このまま死んだら労災おりるかな……」
*
そして場面は変わって、帰宅後の天野家。
子どもたちがわいわいと玄関に駆け寄ってくる中、伊吹は絞り出すように声をかける。
「……ただいま……」
「パパおかえりー!」
「おなかいたいのなおったー?」
(どこで聞いた……?)
苦笑しつつ、靴を脱ぎながらリビングに入ると、
なずながキッチンから手を止めずに一言。
「伊吹、最近コーヒー減らしてる?」
「えっ……?」
「その顔。絶対、胃、やられてる。ていうか今日の昼もカップ麺だったでしょ?」
ギクリ。
「ちょっ、なんで知って――」
「湊くんから連絡来た。“兄さん、今年まだちゃんとした飯食ってない”って。」
「……裏切り者ォ……」
*
夕飯時。伊吹はテーブルの味噌汁をすすりながら、内心で葛藤していた。
(昔はもっと体力あったのにな……)
ふと、となりの席でスプーンを持ったユメが小声でつぶやく。
「……胃にくるなら、コーヒーやめたら?」
「……うるせぇ……」
『ほんと、無理しないでよ。あんたの仕事、支えるために私も頑張ってるんだから』
伊吹:「……あーもう、わかってるってば……」
すると子どもたちが、「ねーねー!」と色紙を見せに来る。
「パパ見て!『おくすりはいたいのにまけないためにあるんだよ!』ってかいた!」
「……どこの哲学者だよ、おまえは……」
伊吹の中で、ようやく笑いがこぼれた。
*
その夜。
湊からの“とある画像”が、伊吹のスマホに届く。
「兄さん、これ見て。俺の部屋に、機材がまた増えました(汗)」
伊吹はその写真を見て、また胃がキリキリと痛み出す。
(おいおい……なんかタブレット増えてね?)
次回、「その買い物、本当に必要?」に続く――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます