願いは、きっと。-2-

「ママとどこではぐれちゃったかわかる?」

「あっち」

「あっち?」


 室内へと続く道を指差してコクりと頷くしおりちゃん。


「それじゃあ、そっちに行ってみようか」

「うん」


 ペタ、ペタ、ペタ、ペタ。


 そんな音を立てながら、すばしっこく走るしおりちゃん。


 な、なんて元気なんだ。


 どうしよう、私全然ついていけないよ。


「しおりちゃんちょっと待って。」


 ピタ、ピタ。

 あ、良かった。止まってくれた。


「ありがとうって、え、なんで走るの」


 しおりちゃん……


 あなた、何か私に恨みでもアルンデスカ?


 私が呼び止めたあと、一度止まってくれたと思ったらさっきよりも速いペースで走り出したしおりちゃん。


 一体なにがしたいのよ?


「しおりちゃん、どこ?」


 あーもう。あんなにも俊敏に動くなんて。


 すばしっこすぎてどこにいるのかわからないよ。


 これじゃ、お母さんとはぐれるのも無理はない。


「しおりちゃーん」


 大きな声で呼んでみるも、全然返事が返ってこない。


「おーい、しおりちゃん」


 もう一度大きく叫ぶと、あれれ。


 なんだあれ。


 大きな柱の陰に隠れてこちらをチラチラチラチラ眺めているあの小さな生き物はなんなんだ。


「しおりちゃん、みーっけた」

「へへへっ。みつかっちゃった」


 いや、うん。喜んでくれるのは嬉しいけどね、何かが可笑しくないかな。何かが。


「次はひなちゃんが隠れてね」

「うん、わかった」


 絶対に見つからないところに隠れないとって、違う違う違う。


「いーち、にーい、さーん、」

「ちょーっと待ったしおりちゃん。かくれんぼしに来たわけじゃないからね」


 危なかった。このまましおりちゃんのペースに飲み込まれてかくれんぼしちゃうところだった。


「ひなちゃんはかくれんぼ嫌い?それなら鬼ごっこにする?」

「かくれんぼも鬼ごっこも懐かしいな」

「なら、両方する?」


 いや、待って。瞳を輝かせて走り出さないで。

 そっと腕を伸ばしてしおりちゃんの腕を掴んだ。


 まったくこの子は落ち着きがない。


 なんて、私が言えたことじゃないか。


 だけど、このままじゃ困るな。いついなくなるかわかったもんじゃない。

 どうすればいいのだろうか。


 うーん……


 あ、そうだ。


「隠れてるしおりちゃんのママを一緒に探そう」


 よーし、これなら大丈夫だよね。


 しおりちゃんの大好きなかくれんぼ要素入れたら大丈夫だよね。


「うん、そうする!」


 ふぅーっ。とりあえずはなんとかなったか。


「いーい、しおりちゃん。しおりちゃんのママを見つけるまで、走ったりして私とはぐれたら絶対にダメだからね」


 こんなにも危なっかしい子がひとりで歩いていたら、悪い大人になにされるかわからないんだから。しおりちゃんは私がちゃんと守らないとね。


 あれ、しおりちゃんったら無反応ですか。


「しおりちゃん、返事は?」


 私の右斜め後ろをじーっと見つめたと思ったら、パアッと顔を輝かせたしおりちゃん。


 ん?なんだろう。


 あっちに誰かいるのかな。


 可愛らしいペンギンさん?カッコいいサメさん?それともこの水族館のアイドル・イルカさん?それとも、えーっと、あと誰がいるかな。


「ママァ!」


 そうそう、ママ。


 って、え。


「ママ見つけたの?」


 私の質問にものすごく嬉しそうに頷くと、しおりちゃんはお母さんと思しき女性に向かって走っていき、そして思いっきり抱きついた。


「ママー!」

「詩織、あなたどこにいたのよ」

「あっち」


 良かった。しおりちゃんのお母さんが見つかって。結局私はしおりちゃんの後を追っかけていただけで何にもできなかったれど。


 おっと。しおりちゃんが無事にお母さんのもとに辿りついたことをそっと確認しようとしたら、あまり遠くないところにいたしおりちゃんのお母さんと目があった。


 一応、ぺこりと頭を下げておこうっと。


「詩織、あのお姉さんに連れてきてもらったの?」

「うん。ひなちゃんね、しおりとかくれんぼしてくれたんだよ」

「あら、そうなの。ありがとうね、ひなさん」


 丁寧にお辞儀をしてくれるしおりちゃんのお母さんに、いたたまれなくなる。


「いえいえそんな、私は何も」


 しおりちゃんのために何にもできなかった私に、そんなにも頭を下げることないですよ。


「詩織はよく迷子になるんですけど、いつもなら見つけた時に大泣きするのに今日はこんなにも楽しそうな顔して。きっとひなさんのおかげですね」

「そんなことはないですよ」


 でも、それでも。


「ひなちゃん、ありがとう」

「しおりちゃん」


 何にも出来なかったけれど、もしもしおりちゃんがちょっとでも心強く感じてくれていたのなら嬉しいな、なんて思った。


「それにしても大変だったでしょう、この子をここまで連れて来るの」

「え。いや、しおりちゃんがどんどんこっちに向かって行くのについて来ただけですよ」

「そうなの?はぐれた場所からここは随分と遠いのだけれど、勘が働いたのかしらね」


 そう言ったしおりちゃんのお母さんにはぐれた場所を聞くと、あれれれれ。

 向こうの方ではぐれたの?


 イルカショーのステージをはさんで反対方向じゃないですかい。

 しおりちゃんは、こっちって言ってたけど。もしかしてあの時適当に言ったのかな?


 それでも、すごいよね。

 あてずっぽうに進んだ先で、お母さんを本当に見付けちゃったんだから。


「この子はよくはぐれるけれど、いつも絶対に見つかるのよね」


 笑ってそんなことを言えるのは、きっと幸せなことだと思う。


 しおりちゃんのお母さんはゆっくりと続けた。


「どこにいても、きっと見付けられる。もしかしたら泣いているかもしれないし、笑っているかもしれない。今どんな場所にどんな気持ちでいるのかはわからないけれど、それでもいつかは絶対に会えるのよ」


 それってすごい素敵だと思う。


 しおりちゃんとこのお母さんは、きっとどこかで繋がっているんだ。


 どこへでも走って行っちゃうのは危ないし、決して良いとは言えない。


 けれど。それでもしおりちゃんには、迷子になっても絶対にまたお母さんに会えるっていう自信があるから、こうやって好きなところに気の向くままに行くことができるんだ。


 消えることのない絆があるから、安心して自由に動きまわれるんだ。


「ママ、はやくペンギンさん見に行こう!」

「はいはい。詩織、もう迷子にならない様に手を繋いで歩きましょう」

「うん!」


 嬉しそうにお母さんと手を繋ぐと、しおりちゃんは明るく笑顔を私に向けた。


「ひなちゃん、またね」


 この広い世界の中で、しおりちゃんともう一度会えるかどうかはわからない。きっと会えない可能性が高いと思う。


 だけど、いや、だからこそ。


「またね、しおりちゃん」


 一生の別れの言葉ではなくて、また会えそうな予感のする挨拶をしてくれたしおりちゃんに、同じ言葉を返すことにした。


 しおりちゃんがお母さんと再会できて良かった。本当に良かった。


 良かった、けれど。


 だけれども。


 ここは一体どこですか。

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