2nd×Time

未来は、未定。

未来は、未定。-1-

「ひ……ちゃ…、ひ…こ……、日菜子ちゃん」


 微睡みの中、誰かに名前を呼ばれた気がする。

 誰だろう。優しい声で私を呼んだのはいったい誰だったんだろうか。


 気になる。ものすごく気になる。

 けれどその好奇心は、私を強く襲ってくる睡魔に勝つことはできなかった。


 深い眠りに落ちる、落ちる、落ち……


「起きてください、日菜子ちゃん」

「ひゃい!」


 夢の国に旅立ちそうになっていた私は、優しい声で呼び掛けながら言葉に似つかわしくない恐ろしい強さで私の頭を叩いた桜ちゃんによって、現実世界へと引き戻された。


 うぅ、頭が。頭が痛い。


「日菜子ちゃん、大丈夫ですか」


 心底心配そうに尋ねてくる桜ちゃん。

 だけど、大丈夫なわけないよね。あんなに強く叩かれたらさ。


「もしかして頭が痛いんですか。さっきから押さえてらっしゃいますわよね」


 もしかしなくても痛いんですよ。

 ハンマーで殴られたんじゃないかって思うくらいに痛いですよ。


 だけど、そんなことは口に出さない。


 桜ちゃんが自分の力が半端なく強いのだということを自覚していないって知ってるし、それにもし私が頭が痛いだなんてことを口にしたら、きっと桜ちゃんは凄すぎる勢いで私の頭をグルングルン振り回すだろうってこともわかってるから。


 それにしても、どうして桜ちゃんがここにいるんだろう。

 ついさっきまでぴよちゃんと私の二人、いや一匹と一人しかいなかったはずなのに。


 というか、あれれ。

 ここ病室じゃ、ない……?


 辺り一面真っ白な病院の一室に居たはずなのに、ぼやけた視界に入ってくる景色は心なしかカラフルな気がする。


 それに、四方八方から騒がしい声が聞こえてくる。


 あそこに見えるのは黒板?

 ということは、私が座っているのはもしかして……


 そっと足元を覗くと、ああやっぱり。

 いつも使っている教室の椅子だ。


 あれ、私いつの間に学校に来たんだろう。


「日菜子ちゃんが終礼中に居眠りなさるなんて、珍しいですわね」

「え、今桜ちゃん終礼って言った?」


 嘘でしょ。

 まさか丸一日分記憶がごっそり抜けちゃってるなんて。


 桐生先輩が昨日亡くなったという事実が言葉では表すことのできない大きすぎるショックを私に与えたのはわかっているけれど。


 それにしたって、今日一日のことをまったく覚えていないなんて、私これから生きていけるのかな。


 というか、覚えていないのは今日一日のことだけかな。実は桐生先輩が亡くなったあの日から数日経ってました、なーんてことはないよね。


 ど、どうしよう。自分の曜日感覚に自信が持てない。


「さ、桜ちゃん……。今日って何曜日かな」


 真面目に聞いた私に、大きな瞳を一瞬きょとんとさせた桜ちゃんが、笑顔で教えてくれた。


「今日は火曜日ですわよ。」


 明るくさらりと答えた桜ちゃんに、私は開いた口が塞がらなかった。


 今日がもう火曜日だなんて、そんなバナナ!


 桐生先輩が亡くなったあの日は、水曜日だった。


 うわぁ。約1週間の記憶がごっそりないなんて。どうしよう。本当に本当にどうしよう。


 それに、ヤバイよ。

 期末試験絶対ヤバイよ。


 そもそも私、ちゃんと受けたかな。受けていたとしても記憶が朦朧とするような状態じゃあ、結果はわかりきっている。


 はぁあ。


「テスト返しが憂鬱だな」

「日菜子ちゃんったら、試験期間が始まる前から何を仰るんです」

「え、もう終わったんじゃ……」

「まだ先ですよ。一週間もあるではありませんか」


 嘘、だ。


 それって、それってそれって。


 きっと嘘だよ。


「桜ちゃん、何度も同じようなこと聞いてごめんね。今日って何日かな」

「7月6日、火曜日ですわよ。日菜子ちゃんったら、どうしたんですか。何か、あったんですか」


 再び真剣に聞いた私に、神妙な顔で答えた桜ちゃん。


 桜ちゃんが、嘘を吐くとは思えない。


 私が真剣に問いかけた時にも、ちょっと違う方面から何気なく尋ねた時にも、いつもいつも真剣に考えて、正しい道へと導いてくれるのが桜ちゃんだから。


 だから、きっと。正しいんだと思う。


 この世界では今日が7月6日、火曜日なんだ。


 だけどこれは現実世界?それとも、夢……?


 ぴよちゃんのお陰で桐生先輩の死を受け止められたと思ったけれど、違ったのかな。


 現実逃避して、温かな夢を見ているのかな。


 そっかそっか。私、夢を見ているんだ。


 否。もしかして、桐生先輩が亡くなったっていうのが夢だったのかな。


 桐生先輩が亡くなって、ぴよちゃんが現れて過去とか今とか未来とかのことについて聞いて、それでそれでぴよちゃんが私を過去に飛ばすとかなんとか言って……


 あぁ、そっかそっか。


 そうだった。


 これは夢じゃない。


 桐生先輩があの日亡くなったのも、今私がいる世界がその8日前なのも、全部が全部、夢なんかじゃない。


 現実だった。


 やっと意識がはっきりしてきた。


 そうだよ。


 あのとき、ぴよちゃんに言われたんだった。


 桐生先輩に会いたいと心から願った私を、ぴよちゃんが過去に送り届けてくれるって。


 過去と今と未来を繋ぐ、絶対に侵してはならないルールさえ守れるならば、過去に行かせてくれるって……──────

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