第40話:楓の過去と意識消失

 ◇◆◇◆


 ――楓の意識は、日本の光景を映し出していた。

 だが、それは楽しい光景ではなく、むしろ心のうちに秘めていた、楓の悲しい過去を掘り起こすような光景だった。


『――あんたがいなかったら、私はもっと楽できたのよ!』

『――ごめんなさい、おかあさん! ごめんなさい、ごめんなさい!』

『――うるさいのよ! 黙ってなさい!』


 楓は物心ついてからというもの、母親から愛情を感じたことが一度としてなかった。

 父親はいない。楓が生まれる前に母親と離婚しており、彼女の記憶には全く残っていない。

 そんな彼女を可哀そうに思ったのだろう、楓は母方の祖父母の家に預けられることになった。

 祖父母からは深い愛情を感じていた。これが愛なのだと、教えられたと今でも思っている。

 だからこそ祖父母が亡くなった時、楓の悲しみは誰よりも大きかった。

 遺産は母親が相続したが、仏壇だけはすぐに処分しようとしたため、その時には既に自立していた楓が引き取った。

 母親とは祖父母に引き取られてから一〇年以上、顔を合わせたのは片手で足りる回数くらいだ。

 楓を引き取りたい、とかではない。単純に祖父母から金を無心するためだった。


(……どうして、今になってこんなことを思い出しているの?)


 体を動かすことはできない。完全に意識だけで、母親から罵声を浴びせられる光景を見せつけられている。


(……もしかして、日本に戻っちゃうの?)


 そう考えると、楓の心に恐怖が沸き上がってくる。


(そんなの、嫌! 絶対に嫌だ! 帰りたくない! 何もない日本になんて、帰りたくないんだ!)


 声に出して叫びたいが、言葉が出てこない。

 どれだけ必死になっても、心の中で思うことしかできない。

 楓が必死になる理由は、帰りたくないからだけではない。

 目の前の光景がこの後どうなるのかを、トラウマのように覚えているからだ。


『――なんであんたなんか、あんたなんか生まれてきたのよ!』


 記憶の中の母親が右手を振り上げる。

 このまま振り下ろされた右手が頬をはたき、バランスを崩した楓は倒れ、棚の角に頭を打ち意識を失ってしまうのだ。

 背筋がゾッとする感覚を覚えた楓は――


 ◆◇◆◇


「――はっ!」


 目を覚ました楓が見たものは、初めて見るどこかの天井だった。


「キュルリャリリャアアアアッ!(目を覚ましたよおおおおっ!)」

「カエデさん!」


 楓が目を覚ました直後、彼女のすぐ横で心配そうに顔を覗き込んでいたピースが声を上げると、続けてセリシャがベッドへ駆け寄ってきた。


「……ピース……セリシャ様……あの、私はどうしてベッドに?」


 何が起きたのか理解できておらず、楓は寝起きではっきりしない思考のまま問い掛けた。


「魔力を酷使し過ぎたの。カエデさん、最初から魔力を使ったことがないと言っていたでしょう? その反動が来てしまったの」

「そう、だったんですね」

「ギャリュリュ?(大丈夫?)」

「大丈夫だよ、ピース。ありがとう」


 楓の質問にセリシャが答えると、納得したように頷く。

 そこへピースが顔を出し、心配そうに声を掛けてきたので、楓は笑顔で答えた。


「……あ。でも、カリーナ様への従魔具が……まさか、失敗ですか?」


 自分が無事であることは喜ばしいが、楓の思考はすぐに作っている最中だったカリーナの従魔具へ向けられる。

 もしも従魔具作りが失敗したとなれば、それは自分の責任であり、ボルトにとっても大きな損失となる。

 もしかすると、自分がその損失を埋め合わせなければならないかもしれない。

 様々な可能性が頭をよぎり、楓の思考は真っ白になっていく。


「安心してちょうだい、カエデさん」


 するとここで、セリシャが楓の頭を優しく撫でながら、そう声を掛けてきた。


「でも、でも……」

「カエデさんは、従魔具を完成させたの」

「……え?」

「完成させたのよ、カエデさん」


 失敗したと思い込んでいた楓は、セリシャが何を言っているのかをすぐには理解できなかった。


「……完成、したんですか? ……本当に?」

「えぇ、本当よ」


 実のところ楓は、カリーナの従魔具を完成させた直後に意識を失っていた。


「……あぁ、よかった。本当に、よかったです~!」

「全く。カエデさんは、自分のことよりも従魔たちの従魔具が大事なの?」

「だって~!」

「私たちもそうだけれど、あなたに何かあったのかと、子爵様も大慌てだったのよ?」


 セリシャの言葉通り、ボルトとドルグは楓が倒れた直後、大慌てでこの部屋を用意してくれていた。

 従魔具を作る過程で、二人は楓が凄腕の従魔具職人であることを理解していた。

 自分たちがお願いした従魔具作りのせいで、それも完成と引き換えに楓を失ったとなれば、今後一生を後悔して生きていくことになったかもしれない。


「あはは。それじゃあ、子爵様にも謝らないと、いけませんね」

「あなたが謝る必要はどこにもないわよ?」

「でも、貴族様に心配を掛けさせてしまいました」

「従魔具を依頼したのは子爵様なのだから、構わないの。それに……ほら」


 セリシャが「ほら」と口にしたあと、部屋の外からバタバタと誰かが近づいてくる足音が聞こえてきた。

 すぐに扉がノックされ、セリシャが開けると勢いよくボルトが入ってきた。


「カ、カエデ殿! 無理をさせてしまい申し訳なかった! 無事で本当によかったぞ!」


 入ってきて早々、ボルトは勢いよく頭を下げて謝罪を口にした。


「し、子爵様が謝ることではありません! 私の体力不足ですから!」

「いいや、これは間違いなく俺が悪い! 本当にすまなかった!」

「ほ、本当にもう大丈夫ですから! セ、セリシャ様~!」


 貴族に謝られてしまい、楓はどうしたらいいのか分からなくなり、セリシャに助けを求めた。


「子爵様。そのくらいにしてあげてください。カエデさんが困っていますよ」

「はっ! ……分かった」


 セリシャの言葉を受けて、ボルトは貴族という存在の立ち位置を思い出し、顔を上げた。


「だが、カエデ殿。あなたに悪いことをしてしまったという思いは本物だ。だから、まずは謝罪だけでも受け取ってもらえないだろうか?」

「う、うーん……いいんでしょうか?」


 正解が分からない楓は、ここでもセリシャを横目に見ながら問い掛けた。


「受けていいんじゃないかしら」

「わ、分かりました。ですので、もう謝らないでくださいね? むしろ、私の方こそご迷惑をお掛けしてしまいましたから」

「迷惑だなんてとんでもない! あの従魔具を見て、そんな風に思う者など誰一人としていないだろう!」


 ボルトの言葉を聞いた楓は、ハッとした表情で口を開く。


「し、子爵様! 従魔具は、カリーナ様にお渡しされましたか? どうでしたか? お気に召していただけましたか?」


 楓としては、従魔具の出来と、カリーナの感想が何より気になってしまう。

 会心の出来だったとしても、結局は使う従魔の使用感が何より大事になってくる。

 特に今回は最後の完成した瞬間を、楓は覚えていない。

 そのせいもあり、完成したんだという安心感はあれど、それ以上に不安感の方が大きかった。


「……カエデ殿。中庭にカリーナを待たせているのだが、少しだけ歩けそうかな?」


 ボルトの問い掛けに、楓は力強く頷く。


「ならば、カリーナから直接聞いてくれるか? 俺たちだけでは、言葉までは分からないからな」

「分かりました」


 言葉にも力強さがこもっていた楓を見て、ボルトは大きく頷いてから歩き出す。

 ベッドから下りた楓は、小さく息を吐いてから、ボルトについていく。


(不安はある。だけど……お願い、カリーナ様が満足する仕上がりになっていて!)


 心の中で何度もそう願いながら、楓は中庭を目指して歩いていった。

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