第2層

第7話 「再びの迷宮」

「七不思議について知りたくはありませんか」


 振り返れば、高砂たかさごさんが仁王立ちでわたしのことを見ていた。朝日をバックに立つ姿は凛々りりしい。今のわたしにとってはどうでもいいことだったけれど。


「私からすれば、宿題のほうがどうでもいいのですが」


「高砂さんみたいにはできないかな……」


 数日間一緒に過ごして分かったことだけど、高砂さんは宿題を全くしない。そのくせ先生にあてられてもすました顔で答えを言う。この答えが間違ってないんだからびっくりだ。


 先生が叱らないのもわかる気がした。宿題なんかしなくても、授業についていけるんだからさ。


 いつだったか、わたしはその秘訣とやらを高砂さんに聞いた覚えがある。


「ただ授業に集中すればいいだけではありませんか」


 これである。天才が凡人の苦労を理解できないのも当然だ。たぶん、頭の構造からして違う。


 そんな高砂さんの天才エピソードを適当に放り投げ、わたしは机の上に広げたプリントに目を落とす。


 なぜ七言絶句なんて勉強しなくちゃいけないんだろ。


「ええっと」


 愚痴っている間に、高砂さんがそばにやってきて覗きこんできた。


「代わりに解いてあげましょうか」


「……自分で解くからいい」


「そんな寂しいこと言わないでくださいよ。ここはですね……」


 あーあーあーとわたしは高砂さんを押しのける。彼女の細い体には筋肉なんてほとんどなさそうなのにどっしりしていて動かない。まるでトラックを相手にしているみたいだ。


 それでもグイグイ押しのけていたら、高砂さんは笑いながら机から離れていく。それから、自分のベッドへダイブ。そのままの体勢でわたしのことを見上げてくる。


「妹さんの居場所を知りたくはないのですか」


「知りたいけど……」


「怖い?」


 わたしは怖がっているんだろうか。高砂さんの問いかけには答えず、ペンを止めて考えてみる。


 先日の迷宮で見たものといえばどこまでも広がる大草原、雲がゆったり流れていくさわやかな青空、ユリの華やかな香り。


 血のようなものを噴き出した、ユリのような何か。


 その花は今もなお花瓶に刺さっている。あの日から1週間が経とうとしているけれど、ピンと張った花びらは枯れる気配がない。


 造花みたいにずっと咲き続けている。


「……別に怖くなんかないし」


「じゃあ行きましょう今夜行きましょう」


「明日は古文のテストがあるからイヤ。それに、今日は英語の小テストあるでしょ」


「あんなもの遊んでいたって満点取れますよ」


「とれなかったら?」


「食堂で裸踊りします」


「それはちょっと……」


 いくら食堂には女子生徒しかいないとはいえ犯罪的すぎる。ペアの人間として、そして、いじめてるんじゃないかって思われないためにも、それだけは絶対に止めなくては。


 残念です、と肩を落としながら高砂さんが言う。


「では、庭白にわしろさんが望むまで七不思議のことは言いません。代わりに、私が満点を取ったら今夜迷宮に行くというのはどうでしょう」


「いいよそれで」


 いくら高砂さんが天才だからと言って、あの英語の先生から満点が取れるわけがない。


 この櫻羽さくらば学院は全寮制の女子高であると同時に進学校でもある。授業は1年の段階で他校の2年分を行っているほどである。あとの2年で応用的な部分を勉強する。


 とにかく、英語の小テストも難易度が高い。単語自体が難しいしひっかけ問題もある。先生が鼻高々に、今日も満点はいませんでした、と言うほど。


 とまあ、そういうわけで賭けはやる前からわたしの勝ちみたいなもの。今夜もゆっくり休んで、この前の不気味なユリのことなんかきれいさっぱり忘れることとしよう。


 迷宮の探索はそれからでも遅くはない。






 前を行く高砂たかさごさんは見るからに上機嫌だった。


 理由は考えるまでもなく英語の小テストで満点をとったから。


 わたしたちは、深夜の校舎を歩いていた。


 要するに、わたしは賭けに負けたのだった。


 その時の高砂さんの表情と言ったら、日本統一でもしたのかってくらい晴れ晴れとしていた。クラスメイトが歓声を上げる中、わたしだけしか見てなかったし。


 愕然としていたのはわたしと、英語の先生くらいだった。


「ほらほら歩いてください。ここまで来たのですから、元気に行きましょう」


 高砂さんを睨めば涼やかな笑みが返ってくる。俳優にでもなればいいのにってくらいに美しい。そのくせ、迷宮に執着してるんだから不思議だ。


 不思議と言えば、存在そのものが不思議だ。何が不思議なのかはわからないけれども、とにかく不思議なんだ。


 第一、あの時会った少女はここにいる高砂さんじゃないのか。だとしたら、わたしは迷宮へといざなわれるみたいなものか。


 誘蛾灯に引き寄せられて、バチンと殺されなければいいけど。


 そういえば。


「七不思議を教えてくれるって言ってなかった」


 高砂さんが振り返る。その口角は上がっていた。


「真剣に取り組んでくれているみたいで、私は嬉しいです」


 熱血な先生みたいなことを高砂さんが言った。


「『地下に広がる迷宮』『動く人体模型』『夜の校舎に響く校内放送』『いつの間にか現れる花』『真実を映しだす鏡』『廊下から伸びる腕』そして『あの世へ連れていく女子生徒』」


 指折り数えながら、高砂さんが七不思議を挙げる。


「最後のはわたしたちのことじゃないの……」


「あの世へ連れて行けるのなら、そうかもしれませんけどね」


「じゃなくて、七不思議を追い求めて夜の校舎に忍び込んだ生徒が、別の誰かに目撃されただけとか」


 前を歩く高砂さんが急停止。くるりと振り返る。ロボットみたいな動きだった。


「そんなの夢がないとは思いませんか」


 再び歩きはじめた背中に、ぜんぜん、と言ってみる。


 七不思議なんかいつもなら信じてない。話をするのはいいかもしれないけれど、それが本当に存在しているかのように思うのは別だ。


「そんな現実主義者な庭白にわしろさんがここまでしているのは、妹さんのためですか」


 わたしは返事をせずに黙々と歩く。高砂さんもそれ以上は聞いてこようとしなかった。


 ひんやりとした夜の校舎に響く2つ分の足音。


 前回と同じように、わたしたちは3階にある開かずの間へ向かっていた。


 3階に足を踏み入れた瞬間。


 ピーガガガガッ。


 静寂を引き裂くようにジャギーなノイズが響いた。


 思わず、わたしは高砂さんを見た。高砂さんがスピーカーを指さす。そこから耳障りな音が飛び出してきたらしい。


 それは校内のいたるところにあるスピーカーだ。校内放送を行うために設置されているもので、チャイムだったり放送部が選んだBGMだったりが流れる。あと避難訓練の時とか。


 そんなものが4時44分に動いている。


 はじめはノイズ交じりで聞くにたえないものだったけれど、徐々に音声はクリアになっていく。


 それはメロディだった。


 遊園地とかテーマパークとかで流れてそうなリズミカルで愉快なもの。


 それをバックに誰かが何かを喋っている。バス、テノール、アルト、ソプラノが、それぞれ別々のことを同時に喋っているような声は、耳をすませてみても何を言っているのかわからない。だけど、興奮しているのはなんとなく伝わった。


 まさしく、夜の校舎に響く校内放送だった。


 放送はしばらく続いていたけれど、始まりと同じく唐突に終わった。


 校舎に静寂が戻ってくる。


「予定を変更したいと思うのですが、いいですか」


「うん……」


 高砂さんが、今上がってきたばかりの階段を下りはじめた。


 言葉はなかったけれど、わたしと同じことを考えているに違いない。1階にある放送室に行くつもりなんだ。


 階段を下りきり、放送室のある廊下へと出れば、向こうがぼんやりとした光に照らされているのが見えた。


 その白い光は開かずの部屋から発せられていたのと同じもの。


 わたしたちは光へ吸い込まれるように近づいていく。


 放送室の扉は完全に開かれていた。それを高砂さんはしげしげ眺めて、


「どうやら、どなたかが先に入られたみたいですね」


「なんでわかるの?」


「だって開いているではありませんか」


 当たり前のことをどうして聞くんだろう、とばかりに高砂さんが首を捻るのが腹立たしい。


 先生たちが戸締りしてるらしいからそうかもしれないけどさ。もしかしたら、迷宮の力で勝手に開いてるのかもしれないじゃない。


 もしくは――。


「高砂さんがやったとか」


「やってませんってば。いつまで疑えば気が済むのですか」


「……冗談」


 冗談はよしてください、と高砂さんが肩を叩いてくる。


 その柔らかい表情にさえ、悪いものを感じてしまうのはどうしてなんだろう。


 この人だって佐藤さんと同じで、何も知らないかもしれないっていうのに。


 ピースピースと顔に似合わないことをしている高砂さんを無視して、わたしは光の中へと入りこむことにする。


「あ――」


 その時、わたしは思い出した。


 高砂ってうちの高校の理事長と同じ苗字なんだ、と。

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