第15話 吉宗、城下に帰る。そして帳簿に震える

和歌山の町に、ようやく春風が戻りつつあった。震災から三年。瓦が崩れ落ちた屋根も、大半が葺き直され、壁のひびも白漆喰で塗り直されている。武家屋敷の並ぶ通りは整然としており、門前には植木の手入れに余念のない家士の妻たちの姿も見える。


「久通、よくここまで戻ったものだ……」


吉宗がぽつりと呟く。


「はい。殿が江戸より援助の人足や物資を送ってくださったおかげにございます」


吉宗は、静かにうなずいた。武家屋敷の視察を終えた一行は、町人の暮らす界隈へと向かう。


ここからは町の喧騒が聞こえてきた。仮設の屋台が並び、干物や味噌、魚などを並べた商人たちが声を張り上げている。


「へいらっしゃい! 本日水揚げの鰹にござんす!」


「殿、あちらをご覧くだされ。仮店舗ではありますが、老舗和菓子屋の“権兵衛”も商いを再開しております」


菓子屋「権兵衛」の仮店舗。粗末な屋台ながら、並べられた菓子はどれも色とりどりで目を引いた。


「うまそうな菓子が揃っておるな」

吉宗は足を止め、目を細める。


「へい。このまんじゅうがいちばん人気でっせ。お武家様も一つ、いかがですか?」


(このおまんじゅう、美味しそうじゃない? 私、おまんじゅう大好きなのよね。プチご褒美にたまに買って、ドラマ見ながら食べてたっけ……)


「二つもらおうか。久通も食べるであろう?」


「私、甘いものはちょっと……」


「そうであったか。では、主人、一つでよい」


「いやいや、お武家様、奥様にもお一つ買って行かれては?」


「うちのまんじゅうは女の方に大人気でして」


吉宗は小さく吹き出して、笑みを浮かべた。


「残念ながら、わしには奥方はおらんのだ」


「そりゃまた失礼を……!」


「まあ、良い良い。では……それで一つ、いただこうか」


「へい、まいどあり!」


菓子屋「権兵衛」後にした吉宗たちは、町を一巡し、夕刻には城へ戻った。


執務室。障子越しの夕陽が、帳簿の上に長い影を落とす。久通が差し出したのは、最新の支出帳簿。人足への支払いや江戸からの物資購入の記録、さらに町民への仮小屋建設援助費が細かく記されていた。


帳簿をめくっていた吉宗の手が、ぴたりと止まった。


「……なんじゃこりゃー!」


心の中で悲鳴をあげる。


(支出が多いのは覚悟してたけど、ここまでとは……!

やばい、やばすぎる。

これ、前世でリボ払いにハマってカード止まった時ぐらいの衝撃……!)


しばらく絶句した後、顔を整えてから呟く。


「……ほう。やはり金が飛ぶな」


「はい。しかし、民の命と暮らしが第一とお考えくだされば、これもまた必要な支出かと」


「わかっておる。だが、このままでは藩の財は底を突く」


(いや、底どころか……

このままじゃ借金返せずお家取り潰しとか、ガチでありえるんじゃない?)

(ていうか前世の時も家計が火の車だったけど、これはもう……火の車を通り越して火の大名屋敷よ!燃えてるのに誰も止めない!藩の財布に大穴開いて、もう藩の財政ごと崩壊寸前。お家断絶まっしぐら!)


吉宗は腕を組み、唸った。


「節約するところはせねばならぬ。だが、今は――民を飢えさせるな。それが最優先じゃ」


その言葉に、久通は静かにうなずいた。


吉宗は帳簿を閉じ、窓の外を見やった。再び、和歌山の町に光が満ちるまで――その責を背負う覚悟が、背中にじっとのしかかっていた。

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